2008年2月13日

女性の涙

ちょっと古い話になりつつありますが...

倖田來未が泣いていました。
ヒラリークリントンも泣いていました。
船場吉兆のおかみも泣いて... ??
もっと昔には松田聖子のウソ泣きとか、いつの時代も女性の涙は世の関心をかうようですね。

さて、アメリカの映画、ドラマでは女優さんが泣く、わめくのオンパレードで、それらがアメリカ人女性の日常と思っていらっしゃる方もいるかもしれません。
私なんかは本来最もそう思う性分かも...。

現実的にはそういうタイプの女性もいると思いますが、少数派のように感じます。
私は友人夫婦の修羅場を見たこともないし、そもそも女性が泣いているところすら見たことがありません。
もちろん、その程度の付き合いでしかなかったわけですが、そういうことではなくて、アメリカ女性は結構タフな気がします。
なんか、女性であることに甘えていないというか...
表現が難しいですが、日本とは男女平等の奥深いところにあるマインドが違うんじゃないか?と思うといいますか...
その点で映画やドラマの中のキャラクターと、現実の女性にすごく大きな隔たりを感じておりました。

だからヒラリー・クリントンが泣いてんのか、泣いてないのか、よくわからない状況で、あれだけ人々の関心を引いたということなんでしょうか?
あの我慢具合がアメリカ国民のハートに触れたんでしょうかね?
女優のようにボロボロに泣いていたら世論はどうなっていたのでしょうか?

ヒラリー・クリントンの涙について書いていらっしゃるブログさん♪
SOHOスタッフのナイショ話
私好みのニュース記事
団塊女性よ これからです
映画を見ませんか?

2008年2月11日

アメリカ人と俳句

ちょっと日本贔屓なアメリカ人は俳句の存在をご存知のようで、この人たちは日本人なら誰でも俳句を読むと思っているようです。

同じ日本人でも「大阪の食卓には毎日たこ焼きがあがる」と思っている人がいるようですし、それを思えば不思議ではありませんね。

在米中に3人から初対面のときに「日本人なの?俳句知ってる?」と言われました。
一度目のときはつい「知ってるよ」と言ってしまいました。
すると、~相手は女性でしたが~「今ここで一句考えましょうよ。」
"ゲーッ!!" と思いましたが、NOと言う勇気もなく付き合わされるはめに...
「日常的なことがいいわよね。」
「そうだね。」
「こんなのどう?
 "Trying to diet, trying to diet harder, still in the middle."
 (ダイエット 繰り返しても 肉おなか)
アッ八ッハッハ~ これ最高だわ。気に入ったわ。」
と言ってもう一度繰り返す...
「どう?気に入った?」
「うん。最高だね。」 ←大うそつき

それって、俳句じゃなくて「働けど働けど我が暮らし楽にならず...」のバッタもんじゃないですか?
しかも肝心のオチがない...

さっぱりわかりませんでした。
何が面白いのか...
俳句ってよくわかんないけど、もっと奥深い世界を表現して、自分に染み込ませていく楽しみを味わうものと思っていた私にとっては、むしろ日本の文化をバカにされたような気分になりました。
そして、今度俳句のことを聞かれたら「わからない」と一言で片付けてしまおうと決心しました。

ところが...

学校の授業で先生がこう言いました。
「このクラスには日本人の生徒が多いので、今日は英語で俳句をやってみましょう。」
数分の考え時間が与えられ、発表タイムに...
「誰が発表しますか?」
「...。」
「仕方ないわね。katz どう?」

例の "Trying~" が頭をグルグルまわって、新しいものなど考えられなかったので、白紙状態だったのですが...
何を思ったのか私はこう言いはじめました。

"Trying to diet, trying to diet harder, still in the middle."

結果は "ヤヤうけ" しかも先生だけ。
当然の結果です。
やはり面白くなかったのです。

そういうわけで、あと2回の「俳句知ってる?」に対しては "NO" と一言で片付けさせていただきました。

日本の文化を尊重していただいていることはありがたいのですが、これって逆の立場で例えるなら...
「アメリカ人なの?ハンバーガー大好きだよ。」
「そうなんだ?」
「ちょうど今からハンバーガー食べようと思って買ってきたところなんだ。よかったら一つあげるよ。」
と、紙に包まれたバーガーを渡す。
「ありがとう。」
「うん。遠慮しないで食べてね。」
アメリカ人、包みを開ける...
「え?これ何?」
「これライスバーガー。和風ハンバーガーだよ。あっはっはっはっ。」
「まじかよ。 パクっ。 しかもキンピラかよ!」

2008年2月 8日

どこからがアメリカンドリーム?

「プラダを着た悪魔」(THE DEVIL WEARS PRADA)を観ました。
昔見た「摩天楼はバラ色に」(THE SECRET OF MY SUCCESS)を思い出しました。

プラダ~は主人公がそれを目指していたわけではなくて...、ビッグになりたいと思っていたわけでもなくて...、入った世界で頑張るうちに認められていくというちょっと変わったサクセスストーリーでしたが、これもアメリカンドリームなんでしょうか?

私も夢を持ってアメリカに渡ったクチでした。
レコードに自分の名前がクレジットされる仕事をして、作品がビルボードにチャートインしたこともあり、それが自分が目指していた道だったわけですが、それってアメリカンドリームなんでしょうか?

一体アメリカンドリームってどこからなんでしょう?
なぜかプラダ~を観てそんなことを考えてしまいました。
あれをサクセスストーリーと捉えること自体が間違いだったんでしょうかね?(汗)

ゼロからスタートして、超メジャーになって、不動産をいくつも所有して、移動は自家用ジェット...
漠然とした感じですが、それが私のアメリカンドリーム像です。

だけど、そんな大袈裟なものではなく、目標を持ってアメリカに渡り、その目標を達成したいという夢を持っている人(若者)のヒントになればと書かせていただきます。

社会はたくさんのピラミッド型組織で構成されていると考えてください。
大きなピラミッドもあれば、小さなピラミッドもあり、それらは線で繋がっています。
ピラミッドは「会社などの組織」、線は「取引」。
そしてそのピラミッドと線で繋がった大きなカタマリが「業界」といわれるものです。

ピラミッドは箱を積み上げてあるとイメージしてください。
箱がひとつ抜けると、ピラミッド自体が崩れてしまいますから、箱が抜けたら崩れる前に代わりの箱を入れなくてはなりません。
(あくまでもイメージの問題です。)
箱は「人」です。

そうして社会が成り立っていると考えると、自分がその中で目標を達成しようと思ったとき、何をしましょうか?

社会にはポジション(箱)があって、そのポジションには誰かがいます。
が、そこにいた誰かが別のポジション(箱)に移動すると、もといたポジションは空きます。
そこにスッと入るというのはいかがでしょうか?

自分はどのあたりの箱になって、その後どのあたりの箱になって...最終的にはこの箱!(=目標の達成)という青写真を持つのです。
まずは自分が次に目指す箱が見える位置の箱に収まり、目指す箱が空いた瞬間を見逃さないこと。
そして、目指す箱で必要とされる力を養っておくこと。
社会に必要とされ、すでに存在している箱に自分が入るという考え方。
プラダ~もそうでしたが、映画のサクセスストーリーはこのパターンが多いですよね。

いきなり平地に自分を頂点とするピラミッドを建てること(これこそアメリカンドリームですかね?)は、考えただけで大変そうです。
大変だからやりがいがあるという考えも「あり」だと思いますが。

なんか、生意気なこと言っている気がしてきたので、この辺でやめときます。
m(_ _)m

「プラダを着た悪魔」の記事を書いていらっしゃるブログさん♪
RAY's Favorites
365日映画
filmをめぐって
ture

2008年2月 5日

スーパーチューズデイ vs ギョーザ

いよいよスーパーチューズデイです。

日本にとっても重要な局面ですが、なぜか日本のマスコミはギョーザ報道に一生懸命です。(泣)
最近になってようやく気付きましたが、テレビって本当視聴率至上主義ですね。

今回のギョーザ問題で日本の自給率の低さを国民の多くが改めて自覚したことは事実だと思いますが、現実問題として国産品だけで今日の食卓は成り立たないわけですし、大勢の人が「今日から農家になろう!」なんてのもあり得ない話です。
そもそもガーッ!と騒いですぐに忘れてしまうのが日本のパターン。
レメンバー朝青龍です。
マスコミが引けば多くの人は忘れてしまいます。
今までのパターンだと「やっぱ安いほうが良いわ。味も国産と変わらないし。ちゃんとやってもらえればそれで良いんだし。」ってなっちゃうんです、きっと。

だから最初から「ちゃんとやってもらうために私たちが何をすべきか?」という話をマスコミがしてくれる方が良いと思うんですけどね...

個人的に思うことですが、この問題は日本の企業の管理体制、食の安全に対する危機感がまずかったことが原因で、それ以外にどこにも集結のさせようがないのではないでしょうか?
中国の工場の不手際だったとしても、他人が作ったものを右から左で売る怖さの自覚が日本の企業に足りなかったことが一番の問題であるような気がしてなりません。
私がサラリーマンだった頃は「丸投げ仕事」は上司に怒られたものですけどね?

そんな風に日本の企業が自らの責任の重さを自覚していない感じがしているのは私だけでしょうか?
どの会社も今後の対策を未だ打ち出していませんが...
中国のマスコミが「日本は責任を押し付けている」というのも何となくわかります。

そんなことより、個人的にはスーパーチューズデイです。

今の日本企業の勝ち組はアメリカから大きな利益を生んでいます。
次期大統領が保護貿易路線を敷けば、今儲かっている日本の企業は戦略を変えざるを得ないことになり...
ヤバイんじゃないでしょうかね?

明日の報道はスーパーチューズデイ関係であることを期待しております。

2008年2月 3日

同じ看板でも国がかわれば...

日本マクドナルドが店長に訴えられ、東京地裁によって約755万円の支払いを命じられました。

簡単にその内容を書きますと...
マクドナルドの店長は多いときには月の残業が135時間を越えることもあるほどの激務だそうで、中には過労死にいたった人もいたとか...
しかし、会社からは「管理職扱い」されて時間外手当を支払われておらず、収入が部下より少なくなることもしばしば...

管理職「扱い」ということは会社規定に「店長=管理職」と書いていなかったんでしょうかね?
他所様のことなのでよくわかりませんが。
世間には同じような例がいくつもあるはずなので、今後こういうケースが増えていくのかもしれませんね。

さて、マクドナルドといえばどの国に行っても同じようなメニューとサービスがあることが特長だと思いますが、外国の店長さんも同じ労働環境なのでしょうか?

想像でしかありませんが、これって日本独特のことなのでは?という気がします。

海外に数年いらっしゃる方はご存知ないと思いますが、今マクドナルドは無茶苦茶安いです。
日本の物価からは考えられない安さで、「100円あったらマックへ行こう」なんてコピーを打って営業しています。
100円のメニューが結構充実していて、その中から3種くらい買うとお腹いっぱいになります。
ランチが300円で済んでしまうんですよ。

これが登場する前はバリューセットで500円~600円だったと思うので、戦略あってのことでしょうが考えてしまいます。

あったかいマックポークが、スーパーで売られている菓子パンの多くより安い必要がどこにあるのか?
どの国を探しても同じ状況はないのではないでしょうか?

平均的な物価を下回る金額で薄利多売する企業の社員には大抵厳しい労働環境があり、そういう社員の努力のおかげで消費者が得をしているのが現状だと、廃業した旅行会社の社員だった私は思います。

2008年2月 2日

演説の人々

「みなさん!そう思いませんかぁ~!!」
「Yeah!」
そんな意見や主張がたくさんあるのが外国の話で、
「みなさん!そう思いませんかぁ~!!」
「...。」
が、日本の話と思いませんか?(笑)

海外に出る前、外タレのコンサートに行って、アーティストが言うことすべてに両手を挙げて「Yeah!」と言いつつ、実は「何言ってんだろう?」と密かに思っていた私。
きっと会場の中には私と同じように、とりあえず参加型で「Yeah!」を連呼していた人がいたことでしょう。
例えば、「おめえらクソったれがお金積んで頭下げたから仕方なく来てやったぜ!かったりーぜ!このイエローモンキーめが!さっさと終わらせて帰っからよー、アンコール求めんじゃねぇぞ!」と言われても両手を挙げて「Yeah!」だったと思うのです。

あれって何なんでしょうか?

外国のコンサートの模様を誰かが日本に持ち込んだのでしょうか?
日本の映画館の盛り上がり方はアメリカのそれとはあんなに大きく違うのに、コンサート風景はさほど変わらないのです。
どちらかというと、日本の文化は映画館のほうで、コンサートは輸入文化という気がします。
外タレのコンサートの楽しみ方としてああいう盛り上がり方が波及していく中で、日本人アーティストのコンサートにも同じように波及したってことなんでしょうか?
かなり不思議なんですけど...

マドンナのコンサートをシドニーで観たときのこと。
最初のMCで "Hello, Sydney!" と言った後、
「私シドニーはすごく素敵な街って聞いてたの。でも来てみたらサンフランシスコみたいなもんじゃん。」
と往年の彼女らしい毒舌ぶりを披露しました。
これに対してシドニー市民の半分は引いてました。
あとの半分は"いい意味"に受け取ったようで「Yeah!」と言っていました。

言葉がわかる地のことですので当然ですが、やはり「Yeah!」と思えることに対して「Yeah!」と反応しているんですよね、本来は。

リーダーが「ああだ!こうだ!」と主張し、民衆が「Yeah!」と答える様子を見ていると、なぜかヒトラーの演説ビデオとダブってしまいます。
もちろん個人的見解ではありますが...
私はそれを見ると「ああ、演説の人たちなんだな~」と感じます。

日本人は元来演説を静かに見守るスジなんでしょうかね?
国会議員の演説もただ静かに聞いてますよね。
「ウソつけこのヤロー!」とか反発する人を見たことがないし、ひどい場合にはサクラが仕込まれていて「そうだ!そうだ!」なんて恥ずかしげもなくやってますよね。

でも、戦国時代の日本人はきっと
「みなさん!そう思いませんかぁ~!!」
「Yeah!」
ってやってたと思うのです。

では、私たち日本人はいつ民衆の主張をやめてしまったのでしょうか?
「生類憐みの令」から?(笑)
今の世の中こそ、民衆が立ち上がって「どげんかせんといかん」状況だと思うのですが、私がそのリーダーになろうと思わないように、「このままではまずいっしょ」と思っているだけの人が多いのだと思います。

まずは日本人が演説の人々にならないと何も変わらないような気がしています。

外国の人は他人の話を真剣に聞く人が多い気がします。
そこからして「演説の人々」だなぁと思います。