2007年12月30日

日本人花嫁失踪事件

1992年12月シドニーの免税店DFSにて日本から来たハネムーンカップルの新婦が行方不明になりました。
当時オーストラリアは治安の良さを売りものにハネムーン客にものすごい人気がありました。
この事件がきっかけで日本からの観光客が減少することを危惧したオーストラリアは花嫁の捜索に躍起になりました。
残された新郎はテレビ出演し、「帰ってきてくれ~」と訴え、世間の同情を引きました。
結局新婦は計画的に他の男性ともうひとつのハネムーンを楽しんでいたという話です。

当時私はシドニーにいたのですが、研修期間中で、会社の指示により支店にいた香港人マネージャー宅にホームステイでした。
とても良くしてもらったのですが、食事が私には合わなくて...
何かと口実を作っては外食後帰宅するようにしていました。
リビングにいると色々と気を使われてしまうので、私は自分の部屋にこもるようになりました。
3ヶ月間のことだと思えばさほど苦にもなりませんでした。

そういう生活だったので、実は日本人花嫁が失踪して大変なことになっているなんて全く知りませんでした。
会社でも誰もその話をしませんでしたし、恐らくオーストラリアではさほど大きなニュースにならなかったものと想像できます。
日本のマスコミがオーストラリアでも大騒動になっていると大袈裟な報道をしたのでしょう。
よくあることです。

私が事件を知ったのは随分後のことで、シドニーの知人から聞かされました。
当人たちは帰国後日本で吊し上げに近い会見をしたそうですが、オーストラリアではもみ消されるような形でマスコミがフェードアウトしていったようです。

当時オーストラリアに住んでいた日本人はかえって事件の真相を知らないようでした。
私が聞いたのはこういう話でした。
「何でも新婦は昔ワーキングホリデーでオーストラリアにいたらしい。そのときに交際していたオーストラリア人男性とシドニーで落ち合う約束をしてシドニーの北方面近郊のリゾートでよろしくやってたらしい...」

私はずっとそう思っておりました。

それにしても、日本のマスコミの対応とオーストラリアのそれには大きな差があったわけですが、国民性を象徴しているようで興味深いです。
もちろん日本は迷惑をかけた側なのでわかる部分もあるのですが、記者会見なんて必要だったのか...個人的にはよくわかりません。
江戸時代の日本はボヤで終わったとしても付火をした者は死刑と決まっていたそうですが、その感覚が今の日本人の心の奥底に残っているのでしょうか。

ただ、オーストラリアでは1997年にこの事件をモデルにした映画を公開しています。
主演はラッセルクロウと工藤夕貴で、タイトルは「へヴンズ・バーニング」です。
オーストラリア版ボニー&クライドとでもいいましょうか...
失踪事件を忠実にドラマ化したものではありません。

1992年12月といえば、「もうすぐインターネットってものが...」という時代でしたから真実が埋もれてしまったこともあるでしょう。
今オーストラリアの新聞社のサイトやテレビ、ラジオ、一般ニュースサイトなどどこを見ても記事は見当たりません。(5日間検索した結果ですが...)
日本のサイトでは、時期すら正確に書けていない記事ばかりで、信憑性に欠けています。

「そういえばあんな事件があったっけ... 知らないことだらけだし調べてみるか...」
が、検索の始まりでしたが、なんだか途中でバカバカしくなってしまいました。
日本のサイトにあるのは新婦の容姿をイジル記事ばかりで、さんまが真似しただの実にクダラナイものばかり。
しかも憶測と推測の塊でしかなく、欲しい情報は何も取れません。

同じようにこの事件のことを調べる人の少しばかりのお役に立てればとこのエントリーを書きました。
私は話の筋は分からずじまいでしたが、時期は1992年12月です。

2007年12月29日

海外駐在員というもの まとめ編

2回に分けて書いたエントリーでしたが、読んでいただきやすいようにこちらでまとめておきます。
一部修正と書き足しもあります。

「海外で仕事をしてみたい」と考える人はたくさんいると思います。

方法は2通りあります。
① 日本で就職し、その会社の海外支店、関連会社に派遣される。
② 海外に行ってしまってから就職活動をする。

もうひとつ、海外に行って起業するという方法もありますが、私には経験のないことですので何も書けません。
m(_ _)m

さて、私のオーストラリア行きは①でしたが、日本人観光客の海外旅行を手配する会社でしたから、他の業種に比べれば遥かに海外に出れる可能性の高い会社でした。
一般的にはそうそうチャンスが回ってくるものではないでしょう。

私の知人の中にはたくさん②を成し遂げた人たちがいますが、これはとても難しいことです。
一般に「ローカル採用」「ローカル社員」などと言われます。
そして収入面、待遇面ではどれだけがんばっても駐在員にかなわない側面がありますので、高いモチベーションを維持しつつ、同じ条件のはずの現地人よりクオリティの高い仕事をしていかなくてはならない、大変な立場です。

他の現地人スタッフと同じ条件で雇用されているはずなのに、「日本人だから」頼まれやすく、「日本人だから」結果を期待されます。

一方駐在員は、住宅補助があったり、給料が日本と赴任先とのダブルで出たり、条件は会社によってそれぞれですが一般的にローカル社員より優遇されます。
仕事的にも現場でバリバリやるというよりは、ローカル社員への指示、監督が業務のほとんどとなります。

しかし、駐在員はいつどこに移動になるかわからない中で仕事、生活をしていかなくてはならず、本人にしてみれば「地に足のついていない」生活だともいえると思います。
日系企業の場合、3年をひとつの区切りとする風潮があり、駐在員も在任期間が3年に近づくとまわりからも「そろそろ移動ですかね」と言われるようになります。
そして移動命令が出るのですが、次の赴任先を自分で選べるわけではありませんので、西洋文化圏で仕事をしたいと思っても、実際にはそうならないこともあるでしょう。

ですから、何かひとつの仕事に打ち込みたい、何かを成し遂げたいという志を持った人が駐在員になるとフラストレーションが溜まります。
任期が3年あるとしても、赴任後すぐに全力疾走できるわけもなく、家族がいたりすると新しい環境に適応するのに半年かかってしまうこともあるでしょう。
すると落ち着いて仕事に専念できるのは2年半しかありません。
そして移動...
その繰り返しです。

一般的に2年半という時間は、何かひとつの仕事に打ち込む、何かを成し遂げるには短いように思います。
差し詰め前任者から受け取ったバトンをそつなく後任者へ繋ぐのが限られた時間でできることかもしれません。

というわけで、自分は海外でこういう仕事がしたいといった明確な目標がある人は「ローカル採用」を考えてみてはいかがでしょうか?

採用までの難題をクリアすれば...
 ・自分の希望する国で働ける
 ・現場仕事に打ち込める
というメリットがあります。

反面、忘れてはならないのは自分の待遇と駐在員の待遇を比較しないことです。
そして、それは自分だけでなく家族にもいえることとなります。
自分も家庭を持ち、家庭持ちの駐在員が赴任してきた場合に、妻同士、子供同士のつきあいが少なからず出てきます。
赴任したばかりの駐在員の家族は右も左もわからない場合が多く、同じ日本人だということで何かと頼りにされるので、「最初からつきあわなければいい」とはまいりません。

では、その差がどのようなものかと言いますと...
例えば、先日テレビで観たのですが、イタリアのフィレンツェの平均年収は東京の約半分だそうです。
ということは、○○商事フィレンツェ支店の駐在員はローカル採用社員の2倍の給料を貰っていて普通で、そのうえ住宅補助や現地の保険代、場合によっては所得税現地徴収分の会社負担などの優遇があるので、実際には2倍以上の差となります。

これはもう、明らかに生活レベルが違うことになります。
自分は中古のフィアットを何年も乗っているのに、駐在員はメルセデスやBMWあたりのステーションワゴンを新車で購入ということもあるでしょう。
休日の過ごし方も違うでしょう。

駐在員が自分と同い年だったり、年下だったりすれば、尚更自分の立場に迷いを覚えるかもしれません。

そういう現実を左に受け流すことができれば、ローカル社員として海外で暮らすことで人生をより楽しめるかもしれません。

若いころに「海外で仕事したい」と計画した場合、ワーキングホリデーで渡り、バイトで認められて社員に...というのがひとつの道になると思います。
運良く、そして努力が実ってその環境を手に入れることができても、ここで私が書いたような現実もあるということを最初から理解していないと、いずれ別の道を模索しなくてはならなくなります。

若いうちは自分で自分を若輩者として受け止められるので特に気にならないと思いますが、自分が30代になると、20代の駐在員が来たりしますので、自分より若い者に使われることを「気に入らない」と感じてしまう人にはいずれ無理がくるでしょう。

それから日系企業とはいえ、海外支店は別会社(現地法人)ですから、退職金がない場合がほとんどです。

駐在員の場合にも注意点はあります。
引越し貧乏には特に注意しなくてはなりません。
赴任先で贅沢が身についてしまうと、日本に帰ったとき「何でこれだけしか貯金がないの?」ということになりかねません。

例えば私の場合、赴任後すぐにクルマを購入。
銀行のオートローンを利用しました。
移動命令が出て、クルマを処分しなくてはならなくなりました。
次のクルマを買う予定はないので「下取り」ではなく「買取り」となるわけで、当然査定額は「下取り」の相場を下回りました。
時間がないので委託販売もできません。
こういう場面で買い叩かれるのは古今東西を問わず世の常です。
結局購入したディーラーに買い取ってもらいましたが、ローンを完済するのに別途100万円の現金が必要でした。

日本に持ち帰ることも考え調べてみましたが、安くすむ方を選んだ結果、処分となりました。

私はアパートにカーテンすらつけず、会社から支給されたベッドとチェスト以外何も持たず、皿の一枚もありませんでしたから、その程度で済んだといえるかも知れません。

2007年12月28日

海外駐在員というもの その2

こちらにまとめ編をアップロードしてありますので、どうぞ♪

前回の続きです。
その1を少々修正しましたので、修正後の流れで書いていきます。

というわけで、自分は海外でこういう仕事がしたいといった明確な目標がある人は「ローカル採用」を考えてみてはいかがでしょうか?

採用までの難題をクリアすれば...
 ・自分の希望する国で働ける
 ・現場仕事に打ち込める

ただ、忘れてはならないのは自分の待遇と駐在員の待遇を比較しないことです。
そして、それは自分だけでなく家族にもいえることとなります。
自分も家庭を持ち、家庭持ちの駐在員が赴任してきた場合に、妻同士、子供同士のつきあいが少なからず出てきます。
赴任したばかりの駐在員の家族は右も左もわからない場合が多く、同じ日本人だということで何かと頼りにされるので、「最初からつきあわなければいい」とはまいりません。

では、その差がどのようなものかと言いますと...
例えば、先日テレビで観たのですが、イタリアのフィレンツェの平均年収は東京の約半分だそうです。
ということは、○○商事フィレンツェ支店の駐在員はローカル採用社員の2倍の給料を貰っていて普通で、そのうえ住宅補助や現地の保険代、場合によっては所得税現地徴収分の会社負担などの優遇があるので、実際には2倍以上の差となります。

これはもう、明らかに生活レベルが違うことになります。
自分は中古のフィアットを何年も乗っているのに、駐在員はメルセデスやBMWあたりのステーションワゴンを新車で購入ということもあるでしょう。
休日の過ごし方も違うでしょう。

駐在員が自分と同い年だったり、年下だったりすれば、尚更自分の立場に迷いを覚えるかもしれません。

そういう現実を左に受け流すことができれば、ローカル社員として海外で暮らすことで人生をより楽しめるかもしれません。

大体そうして海外で暮らすことを考えるのは若いうちのことでしょうから、ワーキングホリデーで渡り、バイトで認められて社員に...という青写真を持つ人がほとんどだと思います。
運良く、そして努力が実ってその環境を手に入れることができても、ここで私が書いたような現実もあることを最初から理解していないと、いずれ別の道を模索しなくてはならなくなります。

あ、それから日系企業とはいえ、海外支店は別会社(現地法人)ですから、退職金がない場合がほとんどです。

2007年12月27日

海外駐在員というもの その1

こちらにまとめ編をアップロードしてありますので、どうぞ♪

「海外で仕事をしてみたい」と考える人はたくさんいると思います。

方法は2通りあります。
① 日本で就職し、その会社の海外支店、関連会社に派遣される。
② 海外に行ってしまってから就職活動をする。

もうひとつ、海外に行って起業するという方法もありますが、私には経験のないことですので何も書けません。
m(_ _)m

さて、私のオーストラリア行きは①でしたが、日本人観光客の海外旅行を手配する会社でしたから、他の業種に比べれば遥かに海外に出れる可能性の高い会社でした。
一般的にはそうそうチャンスが回ってくるものではないでしょう。

私の知人の中にはたくさん②を成し遂げた人たちがいますが、これはとても難しいことです。
一般に「ローカル採用」「ローカル社員」などと言われます。
そして収入面、待遇面ではどれだけがんばっても駐在員にかなわない側面がありますので、高いモチベーションを維持しつつ、同じ条件のはずの現地人よりクオリティの高い仕事をしていかなくてはならない、大変な立場です。

他の現地人スタッフと同じ条件で雇用されているはずなのに、「日本人だから」頼まれやすく、「日本人だから」結果を期待されます。

一方駐在員は、住宅補助があったり、給料が日本と赴任先とのダブルで出たり、条件は会社によってそれぞれですが一般的にローカル社員より優遇されます。
仕事的にも現場でバリバリやるというよりは、ローカル社員への指示、監督が業務のほとんどとなります。

しかし、駐在員はいつどこに移動になるかわからない中で仕事、生活をしていかなくてはならず、本人にしてみれば「地に足のついていない」生活だともいえると思います。
日系企業の場合、3年をひとつの区切りとする風潮があり、駐在員も在任期間が3年に近づくとまわりからも「そろそろ移動ですかね」と言われるようになります。
そして移動命令が出るのですが、次の赴任先を自分で選べるわけではありませんので、西洋文化圏で仕事をしたいと思っても、実際にはそうならないこともあるでしょう。

ですから、何かひとつの仕事に打ち込みたい、何かを成し遂げたいという志を持った人が駐在員になるとフラストレーションが溜まります。
任期が3年あるとしても、赴任後すぐに全力疾走できるわけもなく、家族がいたりすると新しい環境に適応するのに半年かかってしまうこともあるでしょう。
すると落ち着いて仕事に専念できるのは2年半しかありません。

その繰り返しです。

今回はここまでです。
この続きは次回書きます。

2007年12月25日

省略文化の違い

メリクリ!

数年前から普通に使われてますよね。
誰が言い出しっぺかはわかりませんが、私が初めて聞いたのは「假屋崎省吾」さんだったような気がします。

こういう言葉の省略の仕方は日本独特の文化かもしれません。
もうすぐやってくる「あけおめ」、誰でも知ってる「キムタク」、「ドリカム」...
そもそも「パソコン」だって「ブログ」だって省略されたものですよね。

アメリカではこういうのはほとんど気がつかなかったです。
パンナムくらいしか思いつかないです。
アメックスは通じたけど、一般的にはアメリカンエクスプレスって言われていました。

でも私たち日本人はアメリカ人の名前さえ「ブラピ」です。

アメリカの場合は単語の頭文字をアルファベットでつなぎます。
教科書にも出てきた「asap」なんかは、もっとも有名な省略英語のひとつですね。

マクドナルドはアメリカでは完全にマクドナルドであって、マックでなければ、マクドでもありません。

わざわざ言葉を足して、俗語っぽくすることはありますが、音を抜いて省略することはまず聞きません。

ところが今年赤丸急上昇したKYに代表される新しい日本人の省略文化がアメリカに近づいたじゃないですか!
今の高校生が海外進出する頃が楽しみです。

2007年12月23日

24 Ⅴ

私が暮らしている三重県の伊勢湾側は名古屋ベースのテレビを見ています。
フジテレビ系の東海テレビで今「24」のシーズン5を深夜に連続放送中で、私は当然はまっています。

シーズン1~4は DVD をレンタルして見たのですが、シーズン3を観ているころに、「レンタル代結構高いじゃん!」と当然のことに気づいてしまい...
なにしろ12枚レンタルしないと話が終わらず、単純に映画の12倍お金がかかりますし、24 は途中でやめてしまえるほどユルいストーリーではないですからね。第1巻をレンタルしたら最後...しかも一日に3枚、4枚くらいのペースではまってしまいます。

シーズン4のレンタルが始まったとき、「レンタルするかしないか二つに一つじゃ」と自分に言い聞かせ、数度の葛藤の後に結局観てしまいましたが、シーズン5は自己抑制が勝りました。

だから新聞のテレビ番組表でこれを見つけたときは声を上げて喜びました。

...しかし、音声が日本語吹き替えなんですね。
無料なので文句は言えません。

つまり私は初めて 24 を日本語で観ているのですが...
「なんでジャックはあんなにキレまくってるのですか?」
「シーズン1からずっとあんな調子ですか?」

それまで観てきたジャックのキャラとあまりに違うので、困惑しています。
すべて命令口調だし、怒鳴ってるし...
登場キャラの中でジャックだけが浮いてしまっています。

翻訳は難しいと以前のエントリーで書きました。
通訳はもっと難しいです。

最近その理由がわかった気がしています。
それは自分の考えや気持ちを他人に伝えるわけではないからです。
他人の言葉を第三者に伝えることが翻訳、通訳の意味であって、自分の気持ちや考えを相手に伝えるのとは根本から違います。

映画(24はテレビドラマですが...)の吹き替えという仕事には、さらに演技まで含まれてきます。
翻訳をする人は正確にわかりやすくを第一に仕事をするでしょうし、吹き替え俳優はその台本をもとに着色...
よくわかんないですけど、そういう流れなんでしょうね。
で、その役者に道筋を外させないようにプロデューサー、ディレクターがいるわけですよね、きっと。

じゃあ、このジャックのキレすぎは誰の問題なんでしょうか?
俳優の暴走?
プロデューサー、ディレクターの意向?

テレビで無料で観ているので文句を言えた立場じゃないんですけど、あれは残念です。
キーファー・サザーランド と カンニング竹山 が同列で語られてしまうほど、キレすぎじゃないですか?

でもひとつだけ文句言わせてください。
「東海テレビさん! 24 ⅴ TWENTYFOUR FOUR ってローカル色豊かなバナーをだしていらっしゃいますが、あなたたちが今放送しているのは FOUR じゃなくて FIVE ですよ。」
ってここで書くだけではどうしようもないので、今から東海テレビのサイトにカキコしてきます。
m(_ _)m

2007年12月22日

国際カップル

ニューヨークほどの国際都市になりますと国際カップルも珍しくはないのですが、そこらじゅうにゴロゴロしているほど多くもありません。
逆に考えると、ニューヨークですらその程度だから、田舎に行けばほとんど見られないのでは?ってことです。
実はこれ、「種の保存」が私たち人間の本能として刻まれているからだそうです。

確かに私の交友範囲では、白人は白人、黒人は黒人、アジア人はアジア人でカップルが成立していました。

そんな中でも街でよく見かけた国際カップルは白人男性と中国人女性。
正確には中国系アメリカ人女性。
中国人の風貌をもったアメリカ人なので、中国の風習、アメリカの風習、どちらも理解していて、彼氏の言い分としても「好きになった人が中国人だっただけ」に説得力を持たすことができます。

ところが、ところが...

この白人男性が、この中国人女性と別れた後、別のアジア系女性とカップルになる確率はすごく高いのです。
簡単に言うと、結局彼は「アジア女性好き」なのです。

この件につきましては、ごく普通のアメリカ人男性たちと話して色々と情報収集したのですが、残念ながらここでは書けません。
そういう趣旨のコラムではありませんので、ごめんなさい。

さて、日本人男性と白人女性のカップルはほとんど見られませんでした。
私が覚えている限り一度も見たことがありません。
ただ、同じクラスの日本人がイタリア人女性と同棲していると聞いたときは、影で他の日本人たちと「クッソー、羨ましすぎるぜ...」と意味不明なことを言って楽しみました。(笑)
別に誰も本気で羨ましかったわけではありません。

日本人男性は海外にいても日本人女性を求めております。
んじゃあ、最初から海外行くなよって話なんですけどね。

どうして、こんなことを書いたのかといいますと、Google 検索中にこんなサイトを見つけたからです。
「私の彼はカナディアン。同じようにカナディアンの彼を持つ日本人女性がここに集まって、悩みを共有したりしませんか?」
読み進めていくと...
「英語も上手く話せなくてもどかしい思いをするし...」

この女性はカナダ在住なのでしょうか?
だったら良いのですが、もし日本在住でカナダから来た人とつき合っていらっしゃるなら、とってもお気の毒です。
男性が何人であろうと、日本で暮らしているなら日本語でつき合うべきと私は個人的に思います。
そうすることが彼のためになると考えるからです。

それから、もしカナダ在住の場合...
「カナダ人の彼氏を持つ日本人女性会」も良いですが、それ以前に「もどかしい思い」をしなくてすむように、死ぬ気で英語を勉強してください。
あなたの彼氏も自分がどこまで理解されているのかもどかしく感じているかも...ですよ。

そんなわけで、これは私が在米中のときから感じていたことですが、国際カップルにはたくさんの試練、壁があり、相当の意思と気持ち、そしてそれを成し遂げる努力がないと関係を維持していくのは難しいです。

2007年12月18日

1902年ニューヨークの列車事故 まとめ編

これも数回に分けてご紹介したエントリーですが、読みやすいようにまとめておきます。

1902年1月8日のことでした。
ラッシュアワー真っ只中の8:17am、グランドセントラル手前のトンネル出口付近でハートフォード発ニューヨーク行きの列車が信号停車中に、後ろから来たホワイトプレーンズ発の列車が突っ込みました。
ホワイトプレーンズ発の列車は、停止していた列車の最後部車両を押しつぶし、なおも列車半分ほどの距離を押し進め、後部車両と機関車が横並びの状態で停車しました。

押しつぶされ、かたまりと化した鉄の残骸や、壊れた機関車のシリンダーやパイプからヒューヒューと音を発して吹き出る高温の蒸気が人々を苦しめました。
衝突の衝撃により列車は停電し、トンネル内は暗闇に包まれました。
幸いにも逃げ出すことができた人たちに救助を求める怪我人たちのわめき声が暗闇と鉄の残骸の中から聞こえていました。
勇気ある人々の救出劇が始まりました。
ニューヨーク中の救急車が集められ、5つの地区の警察官とマンハッタン東セントラル地区の消防士が集結しました。
警察官、消防士、外科医に加え、内科医、聖職者のボランティアによる救済が始まりました。

トンネル通気孔からハシゴが下ろされ、ロープと斧を持った警察官、消防士が突入しました。
無事だった乗客たちも残骸をどけるなど人命救助にあたりました。
スミス神父とウオークレイ博士(消防署の従軍牧師)は死に逝く人々に仕えました。
消防士のクラーク氏は二人の女性を救出するため手足に大やけどを負い、乗客だったマーフィー氏は自分の両足が骨折しているにもかかわらず残骸の撤去作業を手伝うなど決死の救出劇が進行する中、あと少しで救出されるところで命を落とす人もいました。
ウオークレイ博士は痛みに耐えられない人たちに覚せい剤を配りました。

すぐに治療が必要な重症者は救急隊と外科医が仮手当てを行い、地上に引き上げられました。
重症患者はすぐに病院に搬送され、パークアヴェニュー沿いのたくさんの建物が怪我人のために開放されました。
死体は安置所と警察署に運ばれました。

雪の中数え切れないほどの人が成り行きを見守りました。

ヴァンダービルト氏締め出しを喰らう!

Cornelius Vanderbilt もトンネルに駆けつけましたが、警察は彼の立ち入りを許可しませんでした。
(Cornelius Vanderbilt はグランドセントラルを建てた鉄道王。ただし、創設者は1877年に亡くなっていますので、ここで登場するヴァンダービルト氏は跡継ぎと思われます。ヴァンダービルトファミリーではコーネリアス、その息子のウイリアムが2世、3世として何代も受け継がれています。)

この事故原因は結局ウヤムヤにされてしまいました。
フランクリン警察本部長は "JMウイスコー" (衝突した側のホワイトプレーンズ発の列車の機関士)の責任と主張しました。追突された側の列車が停まったとき、旗手が後続車両に停車中を知らせるサイン(ライト)をセットしたことは明らかな事実だったからです。
通気孔から雪が降りこむ日のトンネル内には蒸気と煙が充満し、視界が悪くなる傾向はありました。
ウイスコー機関士とボイラーマン(石炭をボイラーにくべる人)フリン氏が逮捕されました。
旗手も拘留されましたが、後に釈放されています。

フランクリン警察本部長は次の声明文を発表しました。
「59丁目の信号は追突された側の列車によりSTOPを示しており、後続のウイスコー機関士がこれを無視したことが事故の原因である。ボイラーマンのフリン氏が停車を促したにもかかわらずです。停止の信号を見逃すということは進行OKの信号も同時に見逃していることとなり、もし視界が悪く信号が見えなかったのであれば慎重になってしかるべきだ。」

事故に遭遇した乗客のユージン氏はこのように語りました。

「私たちは後ろから2両目の客車に静かに座っていました。客車は1席か2席しか空いていないほど混み合っていました。私の車両、最後尾の車両にはともに数名の女性が乗車していました。
私たちは57丁目で少しの間停車していました。
事故は突然の出来事でした。
車両の電気はたちまち消え、真っ暗闇になりました。
鉄と木がぐしゃぐしゃになる音と大勢の悲鳴が聞こえました。
後部車両に目をやるとそこにはつぶれた客車と、なおも轟音を上げる機関車が一緒になっていました。

私は大きなゆれによって席を投げ出され、額から大量の出血を感じました。
息苦しい煙と蒸気が一面に立ち込めました。
傷だらけになりながらも必死に抜け出そうとする人がたくさん見えました。

そのとき突っ込んできた機関車が発火しました。
もう逃げることしか思いつきませんでした。
私はすぐ右側に自分の友人をみつけました。
彼は「コンチキチョウ!開きやがれ!」と泣きわめきながら窓を開けようとしていました。
私も窓のほうへ向き直りましたが、窓ガラスは事故の衝撃ですべて割れていました。

私たちは何とか抜け出しました。
途中血だらけながら自力で抜け出そうとする人が数名いました。」

以上です。
m(_ _)m

2007年12月 3日

マディソン・スクエア・ガーデン

日本ではやたらと有名なマディソン・スクエア・ガーデン。
ニューヨークにあって、ペンシルバニア駅と共用の建物で、スポーツアリーナで、コンサートなどのイベントにも使用されることを知らなくても、「マディソン・スクエア・ガーデン」という名称はご存知の方も多いことでしょう。

というのは、日本ではバッグが大ヒットしましたからね。
私自身も「マディソン・スクエア・ガーデン」が何たるかを知る以前にこのバッグを目にしてしまったものですから、「マディソン・スクエア・ガーデンって何だ? 何でそれがカバンになってるんだ?」と不思議に思った記憶があります。

で、このカバンについて調べてみましたのでご紹介します。

マジソンスクエアーガーデンバッグ

カバンメーカーのエース株式会社が、1968年から1978年にかけて、製造・販売していた絹目ビニール製バッグ。
表面にMADISON SQUARE GARDEN / SPORTSMAN CLUB / boxing wrestling footballの意匠が施され、学生用バッグとして人気がありました。

という記事をみつけました。
学生用バッグ... 人気... ?????
確かに中学生とおじさんくらいしか持ってるのを見なかったけど、これだけではなぜ学生なのか、何が学生のハートをぶち抜いたのか...肝心なところがわかりません。

さらに調べてみると...
神戸あたりから火がつき、70年代前半に大ブレーク、10年間で1千万個も販売したそうです。
日本の人口1億2千万人に対して、1千万個は驚異的としか言いようがありません。

誰でも持っている印象のルイヴィトンは日本で10年間に1千万個売れるのでしょうか?
もしアンダーだったら、70年代には今ルイヴィトンを見る以上にマジソンバッグが見られたということですよね。
何だかキモチワル...

さらに驚くべき事実を見つけました。
マジソンバッグにはたくさんの模造品が存在し、模造品も1千万個販売されたことです。
エースが意匠登録をしなかったため...だそうですが、そこにメーカー本人があれだけのヒットを予測していなかったことが表れています。

何しろ一部地域では学生服を注文するとついてきた!ことがわかりました。
そうやって配られた模造品がさらに本物のセールスを伸ばした可能性もあります。

一足先に中学生になった近所の兄ちゃんがやたら大人びて見えたものです。
その兄ちゃんが学生カバンとマジソンバッグを持っているのを見て、憧れを抱いたとしても全然不思議ではありません。
いざ買うときになって本物と模造品があると知れば、本物が欲しいのが人情ってもの。

私が中学に上がったのは1979年。
生産中止になった翌年だったわけで、マジソンバッグを持っているのはクラスに数名といったレベルでした。
そういえば同級生でこのカバンを持っていたのは兄、姉がいる人ばかりで、おさがりでした。

さて、このマジソンバッグ...
正確には「マジソンスクエアーガーデンバッグ」だそうで、マディソンではないようです。(エースによる表記がマジソン)

ニューヨークの本家「マディソン・スクエア・ガーデン」とは何の関係もなくエースのオリジナルだとか...
他人の名前を大きく使用して大儲け...
ユルイ時代だったんですね。

私は在米中に一度だけコンサートに行きましたが、誰のコンサートだったのか全く覚えておりません。
誰かと二人で行った記憶があるのですが、それが誰だったかも覚えておりません。
面目ありません。
m(_ _)m

2007年12月 2日

朝青龍の謝罪会見その後

やはり否定的な声が多いようです。
日本人の国際感覚のなさには悲しくなります。
どこまでも日本流の定規の上で測りたがるのですね。

朝青龍はモンゴル人ですから、どれだけ日本で生活しても日本人にはなりきれません。
外国人を横綱にして、日本流を押し付けるのはおかしいと思います。
はじめから「外国人は関取になれない」と決めてそれを貫くほうが私には納得がいきます。
女性が土俵に上がることは禁じているわけですから、またそうやって今の時代でも突っ張っていられるだけの歴史と伝統があるわけですから、外国人を排除することも可能ではなかったでしょうか?

そこをオープンにしてしまった以上、もっとオープンな感覚にならないと矛盾がでてくるのではないでしょうか。

外国人の感覚では、「誤るところは誤る。でも守るところは守る。」のです。
朝青龍はそのスタイルを守っただけです。

謝罪の場であっても、譲れない部分があるのは日本人でも同じこと。
ただ文化の違いで、私たち日本人は「とりあえずここは平謝りしておこう」という判断をします。
その場を取り繕うための謝罪が日本にはたくさんあります。

ただ、時代は確実に変わってきています。

一昔前は「それは私の問題ではない」という発言は無責任とされました。
とにかく目の前の問題に取り組む姿勢が重視されました。
でも今の私たちは頻繁に「私の問題ではない」「担当ではありませんので...」と言うようになっていますし、我慢する前に逆切れしますし、「ストレスで...」が言い訳として通用するようになってきています。

平謝り文化が変わる日も近いかもしれませんね。

2007年12月 1日

TERIYAKI

キッコーマンの努力により、テリヤキはアメリカで超有名です。
大抵どこのスーパーでもキッコーマンのテリヤキソースは手に入ります。

ビンに入っていて、それを肉にぶっかけるだけなのですが、味はアメリカ風にアレンジされていて、私たち日本人が思い浮かべる照り焼きとはちょっと違います。

ソースがサラサラなので、醤油っぽい感じで、ドロっとしたところや甘みはありません。
これが日本人の口に合うのかというと...微妙です。

正直言いまして、これ私の場合の話ですが、スーパーで一瓶買って一度調理し、あとは賞味期限を過ぎたことを確認して捨てました。
見つけたときは「こんなソース1本でテリヤキが作れるなんて!」と感動したのですが...

場面変わって...

私はアメリカ人の友人と和食レストランに行く約束をしました。
彼は「一度日本人と一緒に和食レストランに行きたかった」と少々興奮気味でした。
つまりメニューから料理が想像できないため、いつもギャンブルのような注文をしていたそうで、日本人と一緒なら説明してもらいながら選べるというわけです。

実はニューヨークの和食レストランの多くでは、日本人以外のアジア人が働いていることが多く、寿司シェフ以外は全員日本人でないこともしばしば...
それを知ってしまうと、ウエイター、ウエイトレスにおすすめを訊くのもバカバカしく感じるそうで...なるほどです。

私たちは私のアパート近くの「利休」というお店に行きました。
そして彼にチキンテリヤキをおすすめしました。

彼は、「テリヤキは知ってるよ。こういうところでは食べたことないけど。」というので、
「あなたの知ってるテリヤキとは全然違うから」と強力プッシュ。

彼は了承し、運ばれてきた照り焼きを一口食べ...
はい。感動していました。
「他のものは食べなくてもいい。毎回照り焼きでいいよ。」
と言っておりました。

実はオーストラリアでも何度も同じことがありました。
外国人に入門用和食をおすすめするときは、寿司、てんぷらもいいですけど、鶏の照り焼きが良いですよ。

ちなみに、これは東京での話しですが...
中国人を立ち食いそば屋にあんないしたときのこと。

彼は暖かいそばとカレーライスのセットを注文し、ほとんど残しました。
「そばはまだ許せるけど、このカレーは何だ!」
だそうです。
ご参考まで。
m(_ _)m