2007年9月29日

スクリーミング ミミス

数日前にテレビのものまね番組があり、市原利花さんがシンディローパーのまねをしていました。
とてもよく似ていて、懐かしく思いました。

シンディローパーといえば、ちょうど私が渡米した頃に日本でも大人気で私もアルバム「トゥルーカラーズ」はよく聴いていました。

そのシンディローパー、結構アマチュア生活が長く、その間「スクリーミングミミス」という古着屋で働いていたそうです。
じつはそのスクリーミングミミス、私のアパートのすぐ近くで(角を曲がって隣のブロック)もちろん私はすぐに覗きに行きました。
店内には全くシンディの面影はなく、「本当にここでシンディは働いてたの?」って感じでしたが、店員さんにそれを訊く勇気はありませんでした。

階下の女性は長くそのアパートに住んでいましたので、もしやと思い訊いてみると...
「ええ。働いてたわよ。見た目がド派手でこの辺じゃ有名だったわ。気さくな人よ。」

...だからどうってことでもないのですが、会えるわけでもないですし、でもまあ納得できて良かったです。

アメリカの人はシンディローパーが世界的アーティストだってことをあまり認識していなかったみたいです。
確かにアメリカでは流行っていて、MTVでもしょっちゅうビデオが流れていましたが、マイケルジャクソンやマドンナのように国際的な話題が少なかったからでしょう。

We are the world でも圧倒的な存在感を放っていたすごいアーティストなのに、ちょっとアメリカでは評価が低かったんじゃないかなと思います。

ところで、スクリーミングミミスはすぐになくなってしまいました。
数ヶ月しか見ていませんでしたが、お客さんが入っているところはほとんど見なかったですから仕方ありません。

きっとオーナーは正直な人だったんでしょうね。
商魂たくましい人ならシンディローパーの写真とか飾りまくって、「シンディローパーが働いていたお店」なんて切口で旅行雑誌の取材を受けまくって、シンディーをいいように使ったことと思いますが、実際お店は違いました。
結果としてお店は潰れてしまいましたが、ポリシーを貫いた姿勢には敬意を表します。

2007年9月28日

ルームシェア

欧米の独身者の間ではルームシェアがかなり浸透していて、普通のことといっても過言ではありません。

日本人留学生がルームシェアを考えるときに何をどうすればいいのか、私の経験から勝手に書かせていただこうと思います。

まず、ルームシェアには自分が部屋を借りてルームメイトを探す場合と、ルームメイトを探している人のところに自分が行く場合の二通りがあります。
経済的に楽なのは後者です。
前者の場合、ルームメイトがいない期間、大きい金額の家賃を支払わなければならないからです。

次に方法ですが、日系のお店(レストラン、スーパーなど)に行くと、掲示板を設置しているお店が多く、そこに日本人でルームメイトを探している人や、外国人で日本人とシェアしたいと思っている人などがメモを貼っていますので、これらを利用するのがよいでしょう。

私個人の意見ですが、外国人とシェアするより、日本人とシェアするほうがストレスが少なくて済むでしょう。
お互いに干渉しないというルールがありますが、バスルームやキッチン、冷蔵庫などどうしてもシェアしなくてはならない場所があり、やはり生活習慣の違いが大きい外国人と暮らすのは相当な覚悟をして臨んでも、それ以上のストレスに見舞われることが多いようです。

また、外国人とルームシェアする=英語を話せるということではありません。
「今日はどうだった?」くらいの会話はありますが、そんな会話を刺激的と感じるのも最初の数ヶ月だけでしょう。

さて、ルームシェアについて私の超個人的見解ですが...

ワーキングホリデーでいろんな都市に住み渡ろうと計画している人以外はシェアは考えないほうがいいと思います。
ルームシェアによるメリットはいろいろありますが、身の丈にあったところで生活するのが一番です。
自分でアパートを探し、電話、電気、ガスなどの契約を行い、困ったときは同じアパートの住民に声をかける...そんな生活のほうがよっぽど勉強になると思います。

2007年9月27日

山火事

アメリカでもオーストラリアでも自然発火の山火事が起こります。

気温が高く、湿度が低いときに発生するようですので、今年の夏は一部で40℃を超えた日本ですが、多湿であることが幸いしているのでしょうか。
実際に山火事が起こると本当に怖いです。

さすがにニューヨークではありませんでしたが、シドニーにいたときに山火事を経験しました。
オーストラリア人に言わせると、「いつもどこかで起こっているので驚くことではない」そうですが、あのときの山火事はシドニー市街の北側(主に住宅地)でかなりの人口がいるところ付近で発生したのでした。

ユーカリの木が主な発火元だそうです。
ユーカリはアルコール分を含んでいて(コアラはいつも酔っ払っている?)、風が吹いたときに葉っぱどうしが擦れあう摩擦により発火するそうです。

市街地でも空を見ると、黒く太い煙柱が立ち上り、なんとなく薄暗く、そしてわざわざ嗅ごうとしなくても呼吸しているだけで焦げ臭い状況でした。

しかし、それ以上に驚いたのは、日本での報道のされ方でした!

たまたま国内のニュースで大きな話題がなかったんだと思います。
新聞では今にも炎が民家を飲み込もうとする地獄絵図が掲載され、ものすごく大きく取り上げられていました。
オーストラリアの新聞ではほんの小さな記事でしかありませんでしたので、旅行社に勤務していた私には意味がわからない温度差でした。

何しろ一日三回は火事の状況を日本のオフィスに報告せねばならず、しかしその温度差によりオーストラリア国内より日本のマスコミのほうが情報が早く、私が報告できることはすでに日本では周知のことといった状況でした。
そして、観光コースには影響ないと報告しても、日本の報道のされ方が過激だったため、なかなか現場を知らない人には理解してもらえず、多数のキャンセルが出ました。

今のようにインターネットがあれば、朝、昼、夕方と状況写真を撮ってメールで送れば簡単極まりないことが、電話やファックスではなかなか伝わらないものでした。

結局山火事が鎮火する前に日本の報道熱が冷め(国内の大きなニュースが取って代わった?)、私の報告義務も終わりました。

しかし、実際に一日中焦げ臭いなかで生活するのは気分の良いものではありません。
ストップ!温暖化です。

2007年9月26日

アメリカのセクハラ事情

大体アメリカで今起こっていることを私たち日本人は「スゲェなあ」「怖いところだなあ」なんて思いながら見ていますが、数年すると日本でも同じような現象が見られるようになります。

最近はそのタイムラグが短くなってきているように感じます。

アメリカでは夫がセクハラやレイプで妻に訴えられるケースがそこそこあると聞きます。
実際日本でもそういうケースはすでにあるのかもしれませんが、テレビのニュースや新聞紙面を賑わすほどではありません。
果たしてこれも日本に上陸するのでしょうか?

もちろん女性が自分に有利に離婚を進めるための手段だと思いますが、こういうことって弁護士が入れ知恵したりするのでしょうか?

少なくとも一度は愛し合った二人がこうやって歪みあっていくのは悲しいことと思います。自分に経験があるわけではないので何とも言えませんが、実際にそういう局面になると結構そういうものなのかもしれません。
自分が遺産相続で兄弟と揉めるなんてこれっぽっちも考えていない人がほとんどだと思いますが、実際には山ほどあると聞きますし...

話を戻します。

そんなアメリカのセクハラ事情ですが、そこに明日の日本の姿があるのでしょうか。
日本でも痴漢の冤罪で人生が思わぬ方向にそれてしまったという話は聞きますが、まだ他人同士の間でのこと。
これが夫婦間で争うようになるなんて「あり得ない」と今は感じますが、5年後どうなってるでしょうか...

2007年9月25日

アメリカの銀行

今でこそ日本でもコンビニにATMが設置されたりして、預金の引き出しなどにあまり時刻を気にしなくても良くなりましたが、私が渡米した当時は全然違った環境でした。

そもそも、今では様々な電子マネーがあり、現金がなくてもなんとかなるので、技術の進歩はすごいと感心せずにはいられません。

日本では随分不便だったATM。
アメリカは、特にニューヨークは角を曲がればATM...これは言い過ぎですが、ものすごい数のATMが設置されていて、しかもほとんど24時間利用OK。
これには本当に驚きました。

当時クレジットカードの利便性は日本よりずっと先を行っていたアメリカですが、ほとんどのお店で「ミニマムチャージ」(最低いくら以上買い物していただかないとクレジットカードは受け付けませんという設定)が設けられており、スーパーやデリ、薬局などで食料品、日用品を購入するときはキャッシュが必要でした。
なので、いつでもどこでもキャッシュを引き出せるATMは本当に便利でした。

さて、これはアメリカ人と銀行の話をしていたときの話ですが...

「日本の銀行員は学歴があって成績優秀でないとなれないんだよ。」
「へえ。アメリカでは銀行員っていうのは決してステイタスの高い職業ではないよ。」
「そうなの?」
「優秀な連中は集まった資金を投資するセクションで働くことになるんだけど、そんなのはごく一部の人間で、ほとんどは... ほら、アメリカの銀行の窓口担当って有色人種が多いと思わない?」
「うん。そうだね。」
「学歴のある人が働こうと思う仕事じゃないんだ。」

有色人種の私に対して、ずいぶん過激な発言だと思いましたが、逆に説得力がありました。
これもひとつの所かわれば...です。

2007年9月24日

日本人はズル賢い!?

今日テレビのニュースを見ておりましたら、若い中国人女性がインタビューに答えておりました。

日中友好についてだと思いますが、彼女は「仲良しのフリは出来るけど、日本人はズル賢い...」と言っておりました。
これから中国で生活をしようとする人にとっては気になるコメントだと思いますが、

...中国の場合はどうなのか、何とも申し上げられません。

アメリカの場合も、過去には色んな日本バッシングがありました。
でも、実際に現地に行きますと、「日本」という大きなイメージと、「日本人」という個人レベルのおつきあいは必ずしもイコールではなく、個人は個人として扱われますので、さほど心配は要りません。

ただ、その中国人女性のコメントで気になったのは「日本人」と言ったことです。
「日本はズル賢い」なら、どうでもいいのですが...
「日本人はみんなズルいんだ」と思われているのだとしたら、その中に個人として入っていくには結構大変だろうなと思います。

媚びることなく普通にしているのがいいとは思いますが、ある程度こちらから心を開いていかないといけない部分もあるでしょうし... 難しいですね。

でも、日本人は本当に外国のことを悪く言いませんね。
素晴らしいことだと思います。

2007年9月23日

テレビゲームの嗜好性

東京ゲームショウ2007が開催された関係でこのところテレビのニュースでたくさん取り上げられていました。

私が渡米した頃に感じた日本人とアメリカ人のテレビゲームの嗜好性の違いについて書いてみます。 m(_ _)m

私が渡米前にバイトしていたレンタルビデオ店では、ファミコンなんかのソフト販売もしており、ドラゴンクエストⅢが発売されたときには予約がたくさん入り、多分あの頃はロールプレイングゲームのブームだったのだと思いますが、アメリカに渡ってびっくりしたのは、子供から少年まで「殴る、蹴る、撃ちまくる」系しか眼中にないことでした。

これにはさすがに血の違いを感じました。

ところが最近、アメリカほどではないにしろ、ゲームセンターでは日本の少年たちが「殴る、蹴る、撃ちまくる」系を楽しんでいる姿をよく見るようになりました。

そして、この頃少年の犯す犯罪がアメリカにも負けず過激になってきているのは、このゲームの嗜好性と何かつながりがあるのでしょうか?
もしそうだとしたら、ゲームメーカーさんは考えるべきだと思います。

2007年9月22日

湾岸戦争

アメリカで暮らした中で戦争が始まったことは貴重な体験でした。

やはり戦争を知らない私の危機感というものは小さく薄っぺらなものだったと思い知ったのが、湾岸戦争が勃発した瞬間でした。連日ニュースでは戦争が始まりそうな気配を報じていましたが、「まあそんなこといいながら、なんだかんだまとまっていくんだろうな...」と考えておりました。

実際、街に特別な緊迫感が漂っていたわけではありませんでしたし、友人とそのことを話題にすることもありませんでした。

ところが、戦争は突然に、あっけなく始まりました。

あれは(多分)1991年1月16日の夜でした。
テレビを見ていたら、一瞬ノイズが走り、次の瞬間ブッシュ大統領が映し出されました。

多国籍軍がイラクを空爆したと10分くらいだったでしょうか...落ち着いた口調で伝えていました。
「伝えていた」という感じでした。

戦争をしている国で暮らしたことのない私は一瞬で大きな不安に包まれました。
しかし、一夜明けてマスコミも世論も「3日で終わる楽勝モード」な感じで、あまり緊迫感があるように思えない状況でしたので、私も「すぐ終わるならまあいいや」と考えていました。

空爆の映像がゲームセンターか?と勘違いしてしまうほど客観的視線、ヴァーチャル感覚でテレビで放映されました。
軍事評論家はまるで自分ごとのように誇らしげに最新の武器の性能について語りました。
その影で死んでいく無実の市民がいることにはほとんど触れられませんでした。
「○○施設を破壊した」
そんな報道ばかりでした。

ベトナム戦争の反省がありながら、正義を振りかざし先頭きって乗り出したアメリカ。
実際にその場にいることで何となくですが、理由を肌で感じることができたと思います。

彼らは本土戦を経験していないせいか、親戚に軍人がいない家庭では「他人事」なんじゃないか?と思えるほど平穏な日々を送れます。

私たちが教えられた戦争は痛く、貧しく、悲しいことだったはず。
実際に子供心に突き刺さる残酷な現実を写した写真もたくさん残っています。
少なくとも私は戦争にポジティヴなイメージは全く持っておりません。

しかしアメリカにはそれがありません。
独立のために流した血、有色人種が立ち上がった歴史などは克明に受け継がれていくものの、戦争に関しては違うように思います。

同時多発テロではじめて自分たちの街が破壊され、あれだけショックを受けました。
あの惨事が語り継がれるように、戦争もそうされてこなければならなかったと私は思います。

そして戦争を知らない私たちは次世代に上手く伝えていけるのでしょうか...
伝えていかなくてはなりませんよね。

2007年9月20日

嘘は絶対にいけません。

アメリカでもオーストラリアでも同じでしたが、嘘は絶対にいけません。
もともと契約社会ですから、嘘は一発で信用を全てなくしてしまいます。

特にアメリカでは悪人ヒーローがいますが、犯罪者や悪人でも発言や行動に市民が共感する部分があればヒーローになり得ます。
彼らの特徴は正直であることです。
ただの犯罪者で終わるか、ヒーローになるかは本音で生きているか否かのような気がします。

ものすごく酷い事件を起こしたとします。
例えば、一番罪が重いとされる家族殺しを考えてみてください。
犯人はどうして罪を犯したかを何一つ隠すことなく自供しました。
アメリカの世論にはこの犯人に対し、「やったことは悪いことだけど、でも犯人は正直だ」という意見が出てきます。
これは実際に私がテレビのニュース、街角インタビュー的な場面で何度か聞いたものです。
この「でも犯人は正直だ」という部分、"At least, he/she was honest." などと言われますが、どんなに残忍な事件を起こした者でも正直な側面があるとそこはそこで評価されます。

罪を憎んで人を憎まず ということでしょうか。

約束を守らないのも最低扱いを受けます。
約束を守らないのにも「約束を破る」と「約束を果たせなかった」があると思いますが、特に前者の場合は確実にアウトです。
以前のエントリーで書いたように、私は銀行口座を開くときに、チャンスを与えてくれたテラーの女性と「学生証を手にしたら彼女に見せに行く」という約束を破りました。
おそらく彼女の中で重要度の高いことではなかったから、そのまま私は口座を維持できましたが、口座をクローズされても文句の言えないことです。
アメリカでは実際にそこまでやられることが多々あります。
そうなってしまったら、どれだけ謝っても、泣いてもわめいても NO は NO で、「しかたないね...じゃあ今回だけは...」はありません。

日本では嘘をついてもいいと言っているわけではありませんが、海外で暮らす場合は絶対に気をつけなくてはなりません。

2007年9月19日

自由の意味

私たち日本人はいろんな自由を有しています。
素晴らしいことです。

そんな私たちでもアメリカで暮らすと、自由を勘違いしていたことに気付くことが多く、背景の違いを痛感します。
私たち日本人に今ある自由は、市民が血を流して勝ち取ったものではありません。
よって、私たちが学校で習う歴史には今の自由を獲得するために戦った先輩たちの勇気とか記されておりませんし、独立記念日もありませんので、この自由がどうやってもたらされたものなのかを知る時間がほとんどありません。

そもそも日本語の「自由」は、福沢諭吉が広めたものだそうです。
幕末期に欧米に渡った諭吉は彼らの社会、生活を体験し「Free」にいたく感動しました。
そのあたりの詳しい話に興味がある方はネット検索するなり、本を読むなりしてください。 m(_ _)m

私が体験したフリーは、現実を受け入れ、その中で自分の責任を果たしていくというものでした。
アメリカには自由によって認められた権利より、自由のために果たさなければならない義務のほうが多いのです。
自由の義務とは、簡単にいうと「ルール」ですね。
「自由だから」と個人が勝手なことをすることが認められない社会になっているのです。
もちろん勝手なことはできますが、「ルール」をはみ出る者は認められません。
法律が許さないというより、世間が許さない風潮があります。

私がフリーを体験する前に振りかざしていた自由は、実は「勝手」「わがまま」でしかありませんでした。
そんなことは日本でも同じだと思われる方もいらっしゃると思いますが、個人と社会のかかわりあい方が違うといいましょうか、家柄、年齢に関係なく誰もが個人として扱われるのです。

チャンスは誰にでも均等に回ってくると私は考えますが、若くしてチャンスが回ってきても日本ではそれを掴むのに文化の壁が邪魔をします。
「まだまだ若いから...」というあれです。

アメリカは違います。
違いますが、失敗してボロボロになるときは容赦ないです。

日本ではネットカフェ難民などの住所不定、日雇い労働者に失業手当を給付する方向のようですが、アメリカではまずあり得ないことでしょう。
住所不定という時点で社会から完全に切り離されます。
そうなった自分の責任だからです。
教会が食べ物を配給しますが、これはもちろん国とは何の関係もありません。

自由とはルールの上に成り立っているもの...
この一見あたりまえのことが、日々の暮らしの中で実感できるのがアメリカの自由です。

...と、私は思います。

2007年9月18日

日本人は働きすぎ?

ワーカホリックだ何だと日本人は働きすぎのレッテルを貼られております...?
おりました...でしょうか、最近はあまり聞かなくなりましたね。

渡米前の私にはサラリーマン経験はありませんでしたので、そうなんだと思っておりました。

ところがまず最初に疑問符がついたのは祝日の数でした。
アメリカの場合、州によって若干の違いはあるようですが、ニューヨークで年間14日。
日本は15日ですから、1日ですが日本のほうが多いです。
ただ、日本ではゴールデンウイークには飛び石部分を休みにしてしまう企業も多く、生活してみて感じる差は1日どころではありません。

ご参考までにオーストラリアはもっと少なく、こちらも州によって違うのでシドニーがあるニューサウスウェールズの場合、年間10日です。

よく言われるのは、日本人は一日の労働時間が長いということですが、これは習慣の問題であって多少なりともダラダラと仕事をしてしまう結果だと思います。
「自分の仕事は終わったけど、上司がまだいるから帰れない...」
なんてことは非常に多くの人が経験されているのではないでしょうか?

「外回りのアポ終了。でも早く会社に帰るとサボっていると思われるから、寄り道してから帰ろう」とか...

営業系の仕事をしていると、そういうことがありがちだと思いますが、そんな風習を捨てて、「やることはきっちりとやって定時に帰ろう!」に変わってくれば、きっと日本人の労働時間は驚くほど短くなるかもしれません。

おっと、こんな私見をかくつもりじゃなかったので、他国の祝日数を調べてみましょう!
せっかくですからF1開催国をチェックしてみます。
アメリカ、オーストラリアはもう書きましたので、それ以外ということで。

マレーシア 14日
バーレーン 8日
スペイン 12日+ローカルホリデー(3~4日)
モナコ 12日(あれ?F1の日は祝日じゃないんですね)
カナダ 10日
フランス 12日
イギリス ややこしいです。
ドイツ 15日
ハンガリー 13日
トルコ 7日
イタリア 11日
ベルギー 12日
中国 女性のみ、児童のみ、軍人のみ...なんてありますよ。全国民対象なのは4日
ブラジル 11日

以上です。
皆様それぞれに消化してください。(笑)

2007年9月17日

アパートの老人 その2

こちらにまとめ編をアップロードしてありますので、どうぞ♪

私が帰国する日、アパートの前でタクシーを拾い、階下の女性が見送ってくれましたが、その場にいつもいるはずの老人はいませんでした。

その前日には会ったと思いますが、どうせ明日お別れを言えると思ったので、結局別れを言えないままになってしまいました。

8年後...

私は再びニューヨークの地を踏みました。
やっと友人たちに会いにいける時間ができたからです。

階下の女性とは手紙を半年に1本くらいやり取りしていたので、旦那と出会って3日で結婚したことも、娘が生まれたことも、郊外に家を買って引っ越したことも、旦那は家のローンを返すために仕事を二つ掛け持ち平日はニューヨーク、週末は家という生活をしていることも知っていました。

初日は時差ぼけ調整で捨てて、二日目は音楽関係の友人たちに会い、三日目階下の女性に会うために郊外の家を訪ねました。

「アパートを見てきたよ。何も変わってないね。」
「老人はいなかったでしょ。」
「うん。いなかった。元気なの?」
「死んだわ。あなたが帰国してすぐ。」
「そうなんだ...」
「彼、一人だったでしょ。部屋で死んでいたんだけど、発見されるまでに随分かかったのよ。」
「...。」
「ほら。あのアパートのホールは臭かったでしょ。誰も死臭に気づかなかったのよ。」
「笑えない話だね。」
「大家さんがしばらく彼の姿を見ていないからって、合鍵で部屋を開けたら亡くなってたの。」
「で、どうしたの?」
「市の衛生局が死体を引き取りに来たわ。」
「家族は?」
「彼は本当に天涯孤独だったのよ。」
「結婚したこともなかったの?」
「なかったそうよ。」

私はホテルへ帰るバスの中で、彼の孤独を思いいたたまれなくなりました。
偉くはなかったけど、正しく生きた人でした。
ただ、パートナーにめぐり合えなかったのか、結ばれない恋を選んでしまったのか...そこのボタンがうまくはまらなかっただけなのに、誰にも看取られず一人で死んでいきました。
どうして彼はニューヨークでの一人暮らしを選んだのでしょうか。

2007年9月16日

アパートの老人 その1

こちらにまとめ編をアップロードしてありますので、どうぞ♪

私がその老人に会ったのは... 憶えておりません。

物件探しの時には会いませんでしたし、入居のときはドアのところで階下の女性に会っただけでした。

ただ、はじめて話しかけられたときのことは憶えています。
「どこから来たんだ?」
「日本です。」

その後彼は自分のことをあれこれ話しはじめたのですが、老人特有の~自分の話は長々とするが他人の話はあまり聞いていない~印象で、20歳そこそこの私には耐え難いものでした。
恐らく5分くらいのものだったと思いますが、ひどく長く感じ、イライラしました。
そもそもほとんど英語ができなかったころの話ですし、自分のことを話す中で、「第2次世界大戦にアメリカ兵として出兵した」といったので、敵国であった日本のことはあまり良い印象ではないだろうと思い、一刻も早くその場から立ち去りたかったのです。

彼は身長170cmくらいの痩せ型で、白髪。
いつも洒落た帽子をかぶり、だらしない格好や、半ズボンでいるところは見たことがありませんでした。

彼は「自分はプエルトリコ人だ」と言いましたが、実際の話なのか、哲学的な話なのかはわかりません。
私が質問をしても、私の英語が未熟なのか、彼が聞いていないのか... 質問に答えてくれたことは一度もありませんでした。 

いつも一人でしたので、結婚していたのか、子供はいるのか...など訊いても答えてくれませんでした。

彼は私たちのブロックでは皆が知る存在でした。
私が彼に会ったときにはもう年金生活で、一日の大半をアパートの前で、通り行く近所の人たちと話をして過ごしたからです。
気分のいい日は通行人を呼びとめ、歌を歌って聞かせました。
相手の目を見て真剣に訴えかけるようにして歌いました。
時にはその人を自分の部屋に招きいれ、レコードをカラオケにして聞かせました。
まだ音楽がビジネスとして大きくなる以前の、古い年代の音楽だと思います。

他人が歌を聞かされているところを目撃すると私は楽しくて仕方ありませんでした。すれ違いざまに "犠牲者" を見ていると、皆私に「何とかしてくれよ」「まいったよ」という目で訴えかけてきましたので、私はニッコリと笑ってやりました。
「我慢しろよ!」という思いを込めて。 私なんて何度そのめに遭っていることやら...

彼のことを煙たく思っていたのは私だけではなかったようですが、彼と同年代の老人たちは本当に楽しそうにしていました。アメリカ人には年齢をいった人でも普通に(気軽に)話ができる人が多かったのですが、その光景を見るとジェネレーションギャップを感じずにはいられず、実は老人たちが若いものに話をあわせてくれてたんだなぁと思いました。

彼の暮らしぶりは質素でした。
朝は早く、8時には就寝。小鳥を飼い、テレビは持たず。
夕食はスープが多く、ラジオを聴きながら食べていました。
雨の日はアパートの中で大音量でレコードをかけ、それに合わせて歌いました。

アパートの玄関のすぐ脇の部屋だった彼は、いつも自分の部屋のドアを開けっ放し、ホールに彼の生活臭と加齢臭を撒き散らしました。
アパートの住民みんなが迷惑していましたが、誰も彼に文句を言いませんでした。
どうやら人の話を聞かない姿勢は徹底していたようです。

続きは次回。

2007年9月12日

ポルシェ911は今後もずっと911でいいのか?

今やポルシェもSUVを作る時代ですから一概にそうとも言えないのかもしれませんが、私なんかのスーパーカー世代にとってポルシェといえば、カエル顔の、あのポルシェを連想します。

そのカエル顔のポルシェ、1963年のフランクフルトショーで発表され、コードネームは911。
最初は違うコードネームを使用する予定だったそうですが、それがプジョーとかぶって、プジョーからクレームがついたため911になったとか...

で、その911ですがマイナーチェンジごとにコードネームが変わっているのにずっと911と呼ばれ続けています。

私は少なくともその名前のせいで気分を悪くする人がいると思えてなりません。

毎年9月11日になると世界中で同時多発テロ関連のニュースが報じられます。
この 9.11 には特別な負の感情を持つ人が世界中にたくさんいるのに、どうしてポルシェは911を捨てようとしないのでしょうか?

現行モデルは「ポルシェ911 タイプ997」と呼ばれます。
だったら「ポルシェ997」でいいじゃんと思うのは私だけではないはず。

もともと少量生産のクルマだから、会社の業績に影響はないといえばそうかもしれませんが、あらゆるメディアで絶賛され続けるクルマがそういう点で配慮がないのは個人的に疑問です。

今年はダイアナが亡くなって10年ということもあり、昨日の 9.11 関連の報道がそれに続く形になったので、テレビで痛い話題が続きましたね。

2007年9月 5日

タイソンゲイ

世界陸上大阪。
個人的に大変盛り上がりました。

中学の頃陸上少年だった私は、高校でも陸上部に入部...
部のルールだったので丸刈りにして...
3日で辞めました!(笑)
理由はご想像にお任せします。 m(_ _)m

9日間毎日見て一番感動したのは、3冠を果たしたタイソンゲイの言葉でした。
100mで金メダルをとり、200mに挑戦する前のインタビューで...
彼は "I wanna make a history." といったのです。

普通は「メダルをとりたい!」というものですが、彼はその先の世界にいってしまっていたわけです。

陸上競技は個人技なので、各人が自分のシナリオを持ち、トラック競技の場合は全力で行く部分、流す部分を作って、目標とするレースでベストな力を出せるように体力を調整しつつ組み上げていきます。
よって、レースごとにその場限りの「駆け引き」があり、実力があってもこの駆け引きに負けてメダル候補といわれながら予選で去っていった選手がたくさんいました。 ウサギとカメの例えのようなものです。

そういう自分との勝負に勝ち、レースで勝って、はじめてメダリストになれるわけですが、タイソンゲイは「メダルは結果としてついてくるもの」という考え方で、あくまでも目標は「歴史を刻むこと」だったのです。
べらべら話した中のたった一行でしたが、大変感動しました。 あとは家族への感謝などをいっていたと思いますが、この一言の重さに、他のコメントはどこかに飛んでいってしまいました。

"I wanna make a history."
噛みしめるほど、なんてモチベーションの高い言葉なんだろうと感心します。

2007年9月 4日

アメリカはハッピーエンドが基本です。

DVDで邦画を見ました。
「それでもぼくはやっていない」です。

タイトルから察するに、結局有罪になってしまうんだろうなと思って見ていました。
ある意味期待を裏切らない終わり方でした。

私は小学生の頃からドラマが好きで、9時になるとコーヒーを入れてテレビを見ておりました。
当時からドラマでも映画でも期待通りの終わり方をしてくれる作品が好きでした。
たとえ想像通りの終わり方であっても腑に落ちない部分があるのがいやで、続編を感じさせるような~死んだはずの悪役の指先が動いて終わったり~そういう終わり方だとしばらく「クソッ!」って感じで、気持ちの切り替えができず、気に入りませんでした。
スカッ!とハッピーエンドで、「はぁ~終わった~」と伸びをするときに自然と顔がにやけているようなタイプが好きでした。今でもそうです。

要するに単純なほうが好きなんですね。

アメリカ映画(というよりはハリウッド映画といったほうが正確でしょうか?)の基本はハッピーエンド。
ほとんどの作品がそうなっています。
これはアメリカで暮らしてみて、アメリカ人の友人(特に白人)ができてくると自然と理由がわかってきます。
正義感の強い人が多く、考え方に人それぞれの誤差があるものの、大筋でほとんどの人が同じベクトルの感性、価値観を持っている点は驚きます。
「自由の国アメリカはかくあるべし」みたいな教育があるのだと思われます。

悲観的な発言をすると必ず軽い説教をくらいます。
二ューヨークの場合は「とがった」人がたくさんいるのでそうでもありませんが、アメリカ人の多くは「ニューヨークはアメリカではない」と言いますから、やはり特殊な場所なんでしょうね。

私の場合、ハッピーエンド好きですから、もめることもありませんでしたが、そうでなかったらあれこれ突っ込まれてたんだろうなぁと思います。

2007年9月 3日

歌えばいいじゃん!

「あっ!この歌なんだろう?」
「この曲誰が歌ってるのかな?」

お店のBGMにビビッときたり、もう何年も気になってるけどタイトルもアーティストもわからない...
そんな埋もれた名曲ってありませんか?

今はインターネットのおかげでわからないまま...ってことは少ないかもしれませんね。

私などは中学のときからずっと気になっていた曲たちが、実はほとんどジョンレノンだったとか...
それもニューヨークにいるときにジョンレノンの4枚組CDが発売され、意味なく買ったところ気になっていた曲のオンパレードだったとか...笑えるエピソードが結構あります。

私のアパートは85丁目でした。同じウエストサイドの66丁目にタワーレコードがあり、散歩にはちょうどいい距離だったので、意味なく出かけることが多かったです。途中でピザを食べたり、チキンwithブロッコリーを買って帰ったりしたものですが、今考えると本当に最近歩かなくなりました。朝ウォーキングしているとはいえ、20代前半の頃に比べると全然だめですね。

話し戻しまして...

ある日タワーレコードで店員さんに自分が探している曲を "歌って!" 伝えている人に遭遇しました。
これにはドギモを抜かれました!
あっけにとられて見ていると、店員さんはすぐに探しに行き、その場に残った歌った人と目が合い...
ニッコリ会釈。

帰ってきた会釈から察するに、彼は別に変わり者ではなさそうです。
"(It's) easy for them to find it." (わかりやすいだろ)
という彼に私はうなずくしかできませんでした。

「そんな技が使えるなら俺だって探している曲はいっぱいある!」

ある日、テレビで映画トップガンが放送されていました。ビデオ店でバイトしていたとき何百回と見た作品です。その中でトムクルーズがケリーマクギルスを口説くときに歌を歌い、最後にはバーにいた全員が大合唱する場面があります。
「そういえばこの曲ずっと前からいろんなところで聞いてたけど、誰の何て曲だろう?よしタワーレコードで歌ってみるか...歌詞はわかんないけどサビのメロディーで何とかなるだろう。」

意気揚々とタワーレコードへ

"Excuse me." 黒人販売員に声をかけます。こういう場面では黒人のほうが優しく受け止めてくれるのではないかと思ったからです。

"I am looking for a song like this, nana nana~na na~na ♪"

たった2小節歌っただけで彼は...
"Yeah, yeah. sxdefrtgyhm,jmdhbyvgyfutj7kl8fmu" と聞き取れないことをいって持ってきたCDが

The Righteous Brothersというアーティストのアルバム。
この中の「You've Lost That Lovin' Feeling」だと教えてくれました。

- なんて簡単なんだ... と私は感動すら覚えました。

後から考えればトップガンのサウンドトラックを探せば、その中からわかったことなんですけどね。
インターネットがなかった頃の人間の検索能力なんてそんなものでした。(って私だけ!?)

その後、この「歌えばいいじゃん!大作戦」は結構使いました。

ちなみにシドニーのHMVでやったときは -ドン引き- され、しかも「わからない」と言われてしまい...
以降封印しました。

2007年9月 2日

使える英語 その8

8月31日のエントリーでエリッククラプトンと書きました。
私が一時あこがれていたミュージシャンです。
っていうか、世界的アーティストですね。m(_ _)m

自分のギターを持って初めて階下の女性の部屋にお邪魔したときのこと...
「好きなギタープレイヤーはだれ?」
「スティーヴィーレイヴォーンとエリッククラプトン」
「だれ?」
「スティーヴィーレイヴォーン」
「それと?」
「エリッククラプトン」
「それだれ?」
「え~っ? エリッククラプトン知らないの?」
「日本人なの?」
「違うよ! エリッククラプトンだよ!」
「わかんないわ...」
「絶対知ってるって! レイラだよレイラ!」
「...」

ギターで「愛しのレイラ」のイントロを弾き、「レ~イラ~♪」と歌う...

「あ~っ! エリッククラプトンね!」

このとき初めてエリッククラプトンの正しい発音を知りました。
どうりで伝わらないはずです。
カタカナでは書けない発音です。
あえて書くなら...

「アレック・クラプンン」

と同時に私が「アレック」だと思っていた人が、実は「エリック」だったことがわかりました。(笑)

2007年9月 1日

日本人のギャグは嫌われる!?

日本人の笑いは独特です。

古いものを例にさせていただきますと、ツービートの「コマネチ」は典型的な日本人のギャグであって、海外(アジア諸国ではうけるところもあるようです)ではドン引きでしょう。 ド素人の私が批判的なことを言ってすみません。m(_ _)m

どちらの笑いが高尚か...といった話ではなくて、文化の違いですからそれを理解することが大切です。アメリカで生活したことがある人なら、デイブスペクターさんの笑いが理解できることでしょう。(ダジャレを除く!)

さて、日本人がドン引きされた現場を体験したときの話をご紹介します。

私と50代の日本人男性が一緒にいて、もう一人30代の白人男性がいました。
私(黄人)と白人はその場に残り、50代の黄人男性をタクシーに乗せ見送る場面でした。
タクシーをつかまえて、白人男性がこう言いました。
"Have a good one."
「じゃあね」といった非常に軽い言葉ですが、何を思ったのか50代の日本人男性は...
"Good one means a girl? ウッシャッシャッシャッシャ..."
そして彼はタクシーに乗って去りました。

この人がウケ狙いで言ったということは、日本人の私には理解できましたが、白人男性には無理でした。

とても不愉快だったようで、私のムナグラをつかむ勢いで...
「何なんだ? あいつは! 気色悪い!!」
と吐き捨てました。

ビジネスでアメリカに出張する人はご注意くださいね。
冗談をいうときは、デイブスペクターさん的な方向で!