2007年7月31日

ニューヨークの夏

I like New York in June ♪ って曲がありますが、6月のニューヨークは最高です。
街は緑にあふれ、晴れた日が続き、Tシャツ1枚でもOKだけど、シャツやジャケットを着てもOKで、日本の6月、梅雨入りの頃とは本当に対照的なところがまたウレシです。

日本の友人にも「遊びに来るなら6月がいいよ」とおすすめしておりました。

一方夏ですが、シーズン中暑くて耐えられなくなるのは2~3日だったと記憶しております。真夏の日中でも日陰でおとなしくしていると昼寝したくなるほど快適で、街を歩くときも日陰を選んで歩いていればバテバテになることもほとんどありません。耐えられなくなるのは雨が降った後のムシムシ状態で、夜は本当に寝れません。

結局この2~3日を我慢すればエアコンは必要ないので、買わずじまいでした。

ニューヨークで夏を4度過ごした私ですが、渡米後アパートを借りてすぐに近くのお店でエアコンのレンタルをしていることを知り、これを利用しました。 標準的なサイズのものが $400 弱でワンシーズン借りれます。

日本なら厳密に○月○日までのレンタルという契約をして、大抵は期日に、遅くとも連絡があった上で2~3日後には取り外されるのが普通ですね。ところがニューヨークでは早く取りに来てくれとしつこく電話しないと引き上げに来てくれないのが普通で、別に追加料金が発生するわけでもないので放っておくのですが、さすがに冬の気配がしてくると窓を閉めたいのでしつこく電話することになります。

そうなんです。ニューヨークのエアコンはほとんどが窓に取り付けるタイプで、買うと $1,000 とかしますので、家電大国ニッポンから行った私には納得のいくものではありません。日本でいうところの冷風機程度の風しか出ませんし、音はうるさいですし、窓から景色を奪いますし… すみません。言い過ぎました。

身体に優しいそよ風のような冷風、セミの鳴き声の代わりに楽しめる音、その上に窓から入る直射日光をさえぎってくれます。

…と、訂正させていただきます。 m(_ _)m

確かに休みの日など日中家の中にいると暑いですが、それも数時間の話。その時間帯は外にでて日陰になっているオープンカフェでコーヒーを何杯もおかわりして読書です。やはり日本語の活字が恋しくなりますのでちょうどいいです。

ところでニューヨークにはセントラルパークって大きな公園があり(ご存知ですよね・笑)、ここを日常生活に取り入れるつもりで公園近くのアパートに決めた私でしたが、3年の間に片手で足りる程度しか行きませんでした。

セントラルパーク、当時はすごく怖いところでした。
一人で行くところではありませんでした。

セントラルパークで遊ぶ夏の計画がたくさんあったのに、どれも叶いませんでした。
残念。

2007年7月29日

MOTTAINAI

私が結構好きなルー大柴。
MOTTAINAI でブレイク中です。

個人的にですけど、これすげえなあ!と思ったのは、「もったいない」をローマ字で綴ったことです。
つまり国際社会への提案なんですねぇ。

実はアメリカにもオーストラリアにも「もったいない」に該当する概念、言葉がないのです。
たぶん他の国にもないと思うのですが住んだことがないので明言できません。

英語には save という言葉があります。
これは「貯める」というニュアンスであって、「もったいない」ではありません。
そこで、地球温暖化による環境問題に多くの先進国の人間が興味を持ち出した今、「MOTTAINAI」として日本古来の文化を国際社会に紹介していこうという真意がある...と私は思いました。

英語のキャンペーンでこういうのを見たことがあります。
Save the earth.
Save the planet.
「地球を守ろう」ということですね。

これは理想、大見出しであって、その内容にまで触れられていないから、具体性がなく私の心に響いてきません。
外国で生まれ育った人たちは、上のコピーから「じゃあ、私はこうしよう!」といった発想になるのかもしれませんが、私はこれ不得意です。

ところが「MOTTAINAI」は、われわれ日本人のとって大変具体的な意味を持つ言葉であって、モノを大切にしようと伝わるわけです。結果としてその積み重ねが地球を救うことに繋がる...

外国人にとっては逆の発想の「MOTTAINAI」。
ルー大柴、がんばれ!

2007年7月27日

男性の足組みは要注意です。

私の知る限り、日本人男性は普通に足を組みます。

何が目的で、どこへ行ったのか(たしかソーホー?)は忘れてしまいましたが、その日私は同じアパートの女性と地下鉄に乗っていました。

私のアパートからダウンタウンに行くには、セントラルパークウエストの下を走る路線で各駅停車のC電車を利用します。C電車は通勤、帰宅の時間帯以外は大抵空いていてほぼ座れます。

その日もガラガラではありませんでしたが、私たち2人分の席は充分に確保できました。

席に着くと私は当然のように足を組みます。

後日...

アパートの前でその彼女と会ったときにこう言われました。
「katz この間電車で足を組んでいたけど、あれはやめたほうが良いわ。」
「...?」
「ニューヨークで足を組んでいる男性はホモセクシャルよ。」
「リアリ~?」 ←松田聖子ばりに
「もう少し教えとくわ」
「ふむふむ」
「おしゃれな服装の男性も確率が高いわ」
「えぇ~?」
「ほら、あそこ。あれが典型的なアメリカの男性像よ。」
...と彼女が指差した先には、野球帽、ダボダボのタンクトップ、半ズボンを尻で履いた、普通と肥満の境目的な男性がいました。
「ニューヨークで彼氏を探すのは難しいわ。いい男はほとんどホモセクシャルなんだもの↓」

その日以来、私は数日間観察しました。
電車、バス、レストラン、ベンチ...

なるほど男性は思いっきり股を開いて座るのが流儀のようで、足首を他方のひざにのっけるところが男としてギリギリ譲歩できるところのようです。

キッチリと足を組んでいるのは、服装、ヘアスタイルがおしゃれなイケメンが多く、納得させられました。

観光でニューヨークに行く予定の男性の方、足を組んでいたら誘われちゃうかも。ご注意ください。
誘われたい方は...(笑)

2007年7月26日

キャラ

海外で見る日本人は昨日のエントリーで書いた交差点の件以前に実は簡単でした。
私がニューヨークにいた頃は...のことですけどね。

特に女性2人組は姉妹のように見えました。

同じような髪の毛、同じような服装、同じようなメイク...それでいて二人とも小奇麗でそつないところがそう思わせたのだと思います。
でもこれは、日本で暮らしてごく普通におしゃれに関心があればそうなるものですよね。
趣味、感性の合うもの同士が友達となり、一緒に行動するので、尚更です。
そんな日本の社会の小さな一部を切り取って海外の街に置いてみると姉妹(兄弟)のように見えるのだと思います。

ところが、特にニューヨークは小さな世界と称されるだけあって、肌の色、髪の毛の色やスタイル、服装のバリエーションが大変豊富で、そこで暮らし、その風景に慣れてしまうと、さっきすれ違った日本人2人組と、今すれ違おうとしている日本人2人組の違いを言えなくなってきます。

もちろんそんなニューヨークにも若者文化はあり、私がいた頃はヒップホップがメジャーになりつつあるころで、黒人の若者を中心に、そのファッションは白人の若者にも影響し始めていました。しかし、そのこととここでいう日本人のケースは別の話。...というか、レベルが違うのです。

不思議なもので、自分が流行を発信している(影響を受けている)人たちと同じ世代だと、一つの流れの中でも微妙な違いがわかるんですよね。若者文化を一括りにしてしまうのは「もう自分がその世代に属していない」ということを悟る時期なのでしょうね。

そういう意味で私が日本人2人組以外で兄弟(姉妹)に見えたのは、宗教的つながりの人たち。
信仰心の厚い人たちが、集団になって移動するときはみな兄弟、親子、親戚に見えました。

それくらいのレベルで日本人は同じでした。

思いおこせば...
私がニューヨークにいた頃の日本人ファッションはワンレン、ボディコン!
カジュアルよりの人はデニムにポロシャツ、プロケッズのスニーカー、部分パーマ... 師匠は浅野ゆう子さん! だっけかな?
男子は尾崎豊的、桃太郎的ヘアスタイルにアラレちゃん的メガネ、Tシャツの裾はジーパンにインして...という感じでした。スーツはいかり肩+ダボダボパンツ。スーツを着る系の人は当時の玉置浩二的ヘアスタイルが多かったです。メンズノンノが創刊されたりして、男子もおしゃれに気を使えといった風潮がありましたが、何をどうすればいいのかマニュアルをこなすのに精一杯で、自分らしさなんてものは全く意識の対象外でした。

私も尾崎豊的ヘアスタイルでしたが、ニューヨークでは日本人以外でそんなヘアスタイルの男子は見かけず、結局すぐに角刈りにしました。

ところで...
海外で何十年と暮らしている日本人女性は独自の価値観を築き上げていて、流行に左右されず、その人以外のなにものでもないスタイルの人が多いです。
そういう人だから日本が窮屈で飛び出したのか、暮らしているうちにそうなるのか...
これは疑問です。

2007年7月23日

ニックネームについて

大抵ロバートはボブと呼ばれます。
ボブと呼ばれたくないロバートは、自己紹介のときにロバートと呼んでくれといえば良いわけですが、欧米文化圏以外の国の人は何とでも好きなようにニックネームを自分で決めることができます。

香港の人はちょっと前までイギリスの統治下にありましたから、私たちと同じような顔つきの人がアンドリューとか英語名を持っておりました。(というか今でも持っているものと思います)

私の katz というニックネームはアメリカにいたときに自分で決めたものです。

これはユダヤのかなりメジャーな苗字です。
最初は katsu だったのですが、アメリカ人に自己紹介して「スペルは?」と訊かれた場合、katsu と答えると「カツウ」と呼ばれることになり、「ツ」にイントネーションがつきます。
そして私は誰かに呼ばれるたびに「カツウ」とちゃうわ!と鼻につくようになり、何とかならないものかと思っておりました。

私は後にスタジオミュージシャンになるのですが、ニューヨークの音楽業界の裏方はユダヤ系の人がとても多く、私にきっかけをくれた人もユダヤでした。この人(プロデューサー)にはじめて会ったとき、私はいつも通り「カツです」と自己紹介し、彼はスペルを訊かずそのまま「カツ」(カにイントネーション)として受け入れてくれました。

ある日彼が何かの都合で私の名前を書く場面があり、「katz」と綴っていたのを発見しました。これは何だ?と思って尋ねてみると「ユダヤの苗字だ。よくあるメジャーな名前だ。」とのことでした。

彼が自分の周りに置いているスタッフも圧倒的にユダヤが多く、私もその一員だったので「ユダヤの苗字を持つ日本人」として覚えてもらいやすく、仲間の輪をひろげるのに好都合だと思い、以降は自ら「katz」と綴るようになりました。

そして「カツウ」と呼ばれることもなくなりました。

ところが最初のレコードのクレジットには「Katsu」と書かれておりました。
彼なりに気を使ってくれたのでしょうね。

2007年7月16日

ニューヨークのコンビニ~デリ~

当時ニューヨークでセブンイレブンを見たことがあります(見たことがあるような気がします)が、日本のコンビニとは違う種類のお店です。

日本のコンビニ的なお店はデリと言われ、前回のエントリーで書いたサンドイッチをはじめ、フルーツ、飲み物類、日用雑貨、たばこ、新聞、花などが売られています。

やはりスーパーマーケットに比べると若干値段が高く、多くが24時間営業です。

デリはオーナーファミリーと数名の従業員で運営され、オーナーファミリーは休みなく働きます。サンクスギビングもニューイヤーも関係なく働きます。デリのオーナーのほとんどは外国人で出稼ぎが多いときいたことがあります。がむしゃらに数年間働いて自分の国に帰るとか...

一部のデリにはビュッフェが備えつけてあり、サラダ、肉料理、巻き寿司などが並べられ、プラスチック容器に好きなものを詰めて買うこともできます。

これなら英語を話さなくてもいいし、メニューを見て「わからん!」と落ち込まなくてすみますので、初めて見つけたときは感動しました。そして何より巻き寿司が日本人の心をくすぐります。問題は味です↓
そして値段もそんなに安くなく、それなりに詰めるとコーヒーショップでサンドイッチが食べられるほどの額になりますので、私はその初めてのとき以外に2度くらいしか利用しませんでした。

映画で紙コップにふたがついた状態でコーヒーを飲む場面見たことありますか?
あのコーヒーはデリで買えますよ。

ドーナツやマフィンも売っていて、私はドーナツ派でした。
春、秋にはドーナツとコーヒーを買って通りのベンチで楽しみました。

デリに通っていると、オーナー、従業員の機嫌の良い日、悪い日がわかるようになります。機嫌の良い日は少々話もしますが、悪い日はこちらも気を使ってなるべくサッサとすませます。

そんなこんなでデリには親近感がわく要素があふれているわけですが、生活の基本はスーパーマーケットにしたほうが良いです。値段が違いますので。

2007年7月 7日

人の弱さを知る

前回予告した、学校の先生に怒られたことを書きます。

今はどうかわかりませんが、私がニューヨークにいた1989年~1992年のアメリカは大変不景気で、道を歩いているとやたら人に話しかけられました。
話しかけられるというか、「クォーター(25セント)くれ」、「タバコくれ」、「トークン(バス・地下鉄用)くれ」、「火かしてくれ」などなど...簡単に言うと"たかられる"わけです。

銀行の入口には紙製のコーヒーカップ(?)を持った人が立っていて、入ろうとするとドアを開けてくれます。この人たちは銀行の社員ではありませんし、バイトでも、警備でもありません。自ら「勝手にドアマン」となり、チップをもらおうとしているわけです。多くの人がカップに小銭を入れてあげていました。

そうかと思えば、「え~っ?それどうしたの?」と声を掛けたくなるような大怪我を足に負っていて、歩道にしゃがみこんで泣きまくっている人も色んな場所で見かけました。「怪我しているんだけど病院に行くお金がありません。どなたか恵んでください。」という意味ですが、なぜかこの人たちのカップには大抵お金は入っていませんでした。

さて、昨日の記事で書いたように渡米早々に「ものをあげて難を逃れる」技を習得した私は、すれ違いざまのたかりにはこう対処しました。

「クォーターくれ」 ⇒ ズボンのポケットに入っている小銭を1枚あげました。
25セントコインは公衆電話、コインランドリーで必要なので、金額の問題以前にあげられません。コインランドリーには週1回のペースで行きましたが、その間に貯めておかなくてはならなかったからです。片手で目一杯握り締めていっても足りないこともあるくらいです。乾燥機にたくさんかかるからです。
なので、私はお釣りで25セントコインを受け取るとズボンの前ポッケ左側に入れ、それ以外のものは右のポケットに入れる知恵を身につけました。こうすることによって路上のたかりに対しても、立ち止まることなく前ポッケ右側に手を入れコインを一つ取り出しカップに入れてあげられるので、すれ違いざまの一瞬で取引が完了し、お互いに嫌な思いをせずにすむのです。
こんなこともありました。
右ポケットから取り出したコインは1セント。目視するわけではありませんが、カップに入れてあげるときに微妙に目に入ったコインは多分1セント。かまわずやり過ごすと、背後から「そりゃないよ...」(実際には Oh, man.)と明らかに肩を落としテンションがガタ落ちした人間の悲痛な叫びが聞こえました。これには思わずクスっと笑ってしまい、10歩ほど引き返してあと5セントあげました。そのとき Thank you! と言った彼の表情は今でもうっすらと憶えています。

「タバコくれ」 ⇒ 自分が明らかに吸っている場面ではあげました。火もつけてあげました。
自分が吸っていないときには立ち止まらず「I don't smoke.」とやり過ごしました。多分私の後ポッケ右側ではタバコらしき物体が存在を主張していたものと思いますが、それが問題に発展することはありませんでした。

「トークンくれ」 ⇒ すれ違いざまに「I can't.」でやり過ごしました。
当時のトークン1枚の値段は1ドル25セント。そんなものあげられるわけがありません。あつかましい!

「火をかしてくれ」 ⇒ 女性にはそうしてあげました。

ある日学校で先生がこういいました。
「道でコインをたかっている人たちに、コインあげたことある人いますか?」
積極的な私はもちろん手をあげる!
すると...
「それはやってはいけないことです。」
「あなたたちは彼らの多くがどうしてホームレスになったか考えたことがありますか?」
...ない。もちろんありません。
私は自己防衛策として技の数々を体得したのですから、彼らのことなど考えていません。
先生は続けました...
「彼らの多くは麻薬が原因でホームレスとなり、未だ麻薬を断ち切れないから仕事に就けないでいるのです。」
...そうだったのか。
「あなたたちがあげたコインで彼らがサンドイッチを買っていると思いますか?」
「彼らに社会復帰してほしいと願う気持ちがあるならコインをあげるのはやめてください。」
「お腹を空かせて可愛そうと感じるならお金ではなくパンの1個でもあげてください」

ショックでした。
麻薬に手を出し、家を失ってもまだ麻薬が欲しいなんて...
人の弱さを知りました。

単純な私はその日の学校帰りから方針を改め、一切お金をあげないことにしたのは言うまでもありませんが、さすがにいつもパンを持ち歩く気にもなれませんでした。

でも、銀行入口の"勝手にドアマン"には時々あげました。仕事して報奨を得ようという姿勢があるという見方もできますから。

2007年7月 6日

自分の主張をしっかり持つことが基本です。

渡米して間もない頃の失敗談。

リンカーンセンター隣のタワーレコードに行きました。
目当てのCDを買って、店を出ると...

あまりにいい陽気で、つい路上のベンチ(本当は植木の枠)に腰掛け、湿度の低さによる快適な時間を楽しんでおりました。最高☆

5分も経たないうちに黒人が一人近付いてきて、「タバコをくれ」と言ってきました。
こういうのは面倒くさく、せっかく楽しんでいたところ気分を害されて...
一瞬の判断ですが、英語が全く話せないふりをしてやろうと思い、西洋人がよくやる手のひらを天に向け両手を胸あたりの高さで広げるジェスチャーをして首を傾げました。

黒人は「こいつ英語わかんねえのか!?」的な表情で、もう一度ゆっくりと言いました。
「た・ば・こ・を・く・れ」

私(黄人)はさっきと同じジェスチャーで返します。

すると黒人、私(黄人)のシャツのポッケに入っているタバコを指差し、タバコを吸うジェスチャーを見せながら言いました。
「タバコをくれ」

...しまった。最初からタバコをもってることバレてたのか↓

若いとそういうとっさの判断を大抵誤ります。
もう一度同じジェスチャーで返しました。

するとっ!

黒人は「テメエ!なめてんのか!クソ野郎!!」みたいなことを言って
(当時の私-黄人-の英語力では理解できませんでした)
ツバをひっかけてきました。多分2回だったと思います。

若いとキレるのもはやい。
すっと立ち上がり、私(黄人)は身長が182cmあるので、彼を見下ろす
「なめとんのか!」と大声の日本語
周囲の視線が一気に集まる
黒人走り出す(逃げる)
黄人追いかける
黒人ブロードウェイを横切る
危ない!車が来てる
あ~あ~危ない!映画みたいやん。
黄人、追いかけるの断念...

でも、追いついてたら私は彼に何をするつもりだったのでしょうか?
まだアメリカの怖さを知らなかったですからね、この頃は。
今思うとあのタイミングだったから良かったんだと思います。

アパートに帰り、同じアパートの住民にツバを引っ掛けられた話をしました。
ほとんど英語は話せませんでしたが(ツバって何だ?ジェスチャーでいいっか!みたいな状態...)一生懸命に伝えてわかってもらえたようでした。
自分的には話を聞いてもらって、「悪いやつだ!」と私に同調してもらえるものと思っていました。

しかし、一通り話を聞き終えると彼女はこう言いました。
「それはあなたが悪い。タバコをあげるのがいやだったら毅然とした態度でNOと言うべきだったし、面倒臭かったら1本あげて早く追いやるべき。どっちつかずで英語がわからないふりをして人を見下したような態度をアメリカ人は好まない。いい勉強になったんじゃない。」

そっか...
沸騰していた頭が冷えていき、彼に悪いことをしたと反省しました。

その後私は、街で「タバコくれ」「火をかしてくれ」と声を掛けられるたび彼らの要求に答え、早々と切り上げる技を身につけました。

ところが後日学校の先生に「それはやってはいけないことだ」と批判され、ヒエ~
その話はまた後日。

2007年7月 4日

今日はアメリカの特別な日です。

今日7月4日はアメリカの独立記念日です。
自由の国アメリカにとって大切な記念日です。
各地でパレードなどが行われ、かなり盛り上がります。

私はニューヨーク市に住んでおりましたが、こういう記念日には決まって家でジッとしていました。
外で人々が盛り上がりそうなときは必ずテレビやビデオを見て過ごしました。

お祭りでハイな状態の人が多い所では事件に巻き込まれたり、怪我をさせられたり...
そういう心配があります。(日本でもそうですよね!)
予期せぬ事態を避けるためには、現場に行かないのが一番!これ万国共通です。

いろいろ考え方はあると思いますし、異文化を理解するためには参加した方がいいと思います。

しかし、先述のようにもし病院に担ぎ込まれることになったら...考えただけでビビッてしまいます。
日本にいる家族は心配するでしょうし、でも簡単に見舞いに来れるわけでもない。
私の場合、親兄弟から遠く離れた場所で暮らしていて「命は大切にせなあかん」と何度も本気で思ったものでした。

親の反対を押し切って渡米したのにおかしなものです。

アメリカおめでとう!