2008年10月 1日

死語? YUPPIE

同じネタで連日投稿、すみません。m(_ _)m

そういえば、ヤッピーも聞かなくなったなぁと思いまして。
今「ヤッピー」なんて言ったら、若い人たちには「ヤマピーとまちがってんじゃねぇ?」なんて言われそうです。

当時「Young な Executive たちのこと」と何かで読んで、そう思い込んでいましたが、よくよく見てみると「YUPPIE」というスペルに当てはまりませぬ。
当時はインターネットがなかったし、「...んなもん調べりゃわかんじゃん」という社会風潮でもなかったので、そんな風にやりすごしてしまったことっていっぱいあるんだと思います。

で、今調べてみたら...

Young Urban Professionals らしいです。
まあ、それだけだと「YUP」なわけですが、当時はひとつの若者の文化と捉えられたのか、ヒッピーにかけてヤップをヤッピーとしたらしいです。

1995年にニュージーランドへ行ったとき、ドライバー兼ガイドをしてくれたニュージーランド人がこんなことを言っていました。
「ちょっと前のヤッピーはBMWに乗っていたけど、今じゃVWだよ。」
そのときは単なるジョークとして「ガハハ」と笑っておきましたが、ここから察するに...

ヤッピーの生活水準が BMW から VW になった時点で、世間がヤッピーに対して関心を薄めた=話題にならなくなった→死語と化したってことでいいんでしょうかね?

何だか VW のポジションを象徴している話ですね。

2008年9月30日

死語? DINKS

今どき「ナウい」を連発する人はそうそういないと思いますが、これが流行っていたときは、少なくとも私の周りの人は全員使っていましたし、頻繁に使っておりました。

ところが今や「ナウい」は死語となりました。

「そういえばあの言葉最近聞かなくなったな」と死語に思い当たることが、ものすごく歳をとった気分にさせられるのですが、私だけでしょうか?

考えてみたら英語でもありました。
DINKS と書いて ディンクス と読み、Double Income No KidS のこと。
結婚しても共働きで子供はつくらず金銭的に余裕を持って、大人の時間を大切に、優雅に暮らしましょうというものでした。

映画「スリーメンアンドアベイビー」なんてそんな時代に、子供って可愛いよというメッセージを発信した映画で大ヒットしたし、あの頃「ベビーシリーズ」とか何とかで赤ちゃんものの映画が立て続けにヒットしていたような。
ダイアンキートン主演の「赤ちゃんはトップレディがお好き」もそのひとつだったような...

何か英語で死語に思い当たるなんて、ある意味ショックです。

2008年8月17日

1個から70個のホープが生まれる

「世界ウルルン滞在記」は私の好きな番組の一つですが、今秋で終わりになるそうです。
今週から再会スペシャルになるそうで、見逃せません。

というわけで、今週は東ちづるのドイツ国際平和村でした。
東さんはこの番組で一つのライフワークに出会ったことと察しますが、彼女が最初に国際平和村にステイしたときは私も感動しましたし、番組終盤の彼女の訴えかけには心が震えたことを今でも良く覚えています。

これまでも再会スペシャルで国際平和村が取り上げられ、考えさせられたこと、勉強になったことなど数知れません。

今回は海外で野菜農家をしている日本人(この方は日ごろ国際平和村に自分が作った野菜を送ったり募金をしたりしているそうです)が登場し、平和村の子供たちと一緒に畑を耕し、かぼちゃの種を蒔きました。
その方の言葉に大変感動したので、自分が忘れないためにもここに書いておきたいと思います。

「1個から70個のホープが生まれる」
1個のかぼちゃには約70粒の種が含まれているそうで、かぼちゃを1個育てることによって、70の希望が生まれるということですが、「70粒の種」とは言わず、「70個のホープ」と言える背景、この方の人生を察すると、もちろん察しきれるものではありませんが、胸がいっぱいになります。

2008年7月11日

嘘に寛容な日本

まあ、よくも次々と出てくるものですねぇ...偽装問題。
その上今度は大分県教育委員会の件...。
ついに人間まで偽装しちゃいましたか。

街頭インタビューなど、民間人に意見を求める場面でよく聞かれるのが「何を信じていいのかわからない」ということば。
ここに私たち日本人が根本的に考え直すべき問題があり、考え直す時期にきているように思います。
その「何を信じていいのかわからない」という言葉の裏に被害者意識の強さを感じます。
何かに頼った、受身的な感じがすごくします。

恐らく海外で暮らした経験のある方の多くが私と同じ意見をお持ちなんじゃないかな?と勝手に思いますが、何かを信じられるというのはとても幸せなことです。
私たち日本人はこれまで守られた自由の中で生活してきました。
しかし、残念ながら今の日本の社会はそこまで幸せではないということを消費者、民間人が自分の問題として自覚し、「ことが何であれ鵜呑みに信じてはいけない」という基本姿勢に切り替えないといけない時期にきたのではないでしょうか?
「信じるものは自分が決める」が、多くの他国での常識のように思います。
それが本当の自由だと、私は個人的に思います。

そして企業は「自分たちは選ばれている」というプライドと責任感を持たなくてはいけません。
 ...何か生意気な発言になってしまった。すみません。m(_ _)m
 少なくとも、私はそのプライドと責任感を持ち続けようと思います。

で、大分の件ですが...個人的にこれがどのように終結していくのか大注目しています。
今朝のテレビで、課長の肩書きを持った人がインタビューで「今自分たちが把握している状況では何も罰せられない」と発言していました。
そもそも課長がそんな重要なことに答えちゃっていいの?と思いましたが...

不正を把握できなかった組織作りに問題があるのに、そこを棚上げするどころか、それを理由に悪を罰せられないとは何ごと?
彼らは民間人ではなく、公務員で、しかも教育に携わる身です。
「嘘はいけません」などの基本的な社会正義を子供たちに教える立場にある人間の言葉とはとても思えません。
不正合格者は取り消し、操作され不合格にされた受験者は合格、それが「当たり前」なわけですから、どれだけの努力をしても白黒はっきりさせることが「普通」ではないでしょうか。

私の前職の社長がこう言いました。
「人間には魔が差すということがある。どれだけまじめな人間でも不正をしないとは断言出来ない。だから会社は社員に魔が差しそうな空間を排除しなければならない。人間に罪を犯させないことも会社の責任である。」
この言葉、私は一生忘れません。

2008年5月12日

北京でマナーアップキャンペーン

オリンピックを前に中国名物割り込みをなくそうというキャンペーンが行われているそうです。
それだけではなくて、みんなが笑顔でキャンペーンとか、色々あるようです。

割り込みをなくして行列をつくる...に関しては、軍が介入して行われているほどだそうで、本気度高しです。

割り込みの様子はバスから降りる人を待たずに、乗ろうとする人たちが我先にと乗り込んでいく様子がテレビで報道されておりましたが、それって日本でもよく目にしますよね。
さすがに首都圏の人たちはそのあたりのマナーは良くて、乗る人は列を作って降りる人を待って...と、しっかり出来ていますが、地方へ行くと中国のそれと何ら変わらぬ光景を見ることが出来ます。
それって... あの中国が軍を介入させてまで習慣を変えようとするほど、国際的にレベルの低いことが日本の田舎では日常的に行われているってこと? ...ですよね?

昨日テレビで中国の方がパネラー(日本人)からボロクソ言われる番組があり、気の毒なほど「中国は...!」「中国人は...!」と痛烈に批判されていました。
その中国の方がこうおっしゃっておりました。
「日本人は農耕民族だが、中国人は騎馬民族。心の底からは分かり合えないかもしれない。」
「中国人は騎馬民族だから、明日のことは考えない。今しかない。」
「中国人は騎馬民族だから...」
「死んでも謝らないという文化がある。」

ボロクソ言われて腹立たしかったのはよくわかりますが、「日本人とは血が違う」なんて理屈である意味開き直る姿勢は、それ自体が中国を象徴しているように思えてなりませんでした。
多勢で一人の中国人に返答の仕様がないようなキツイ言葉を浴びせかける日本人も大人気ないと思いましたが、それも他国の人たちからすると日本を象徴している様子に見えたことでしょうね。

さて、みんなが笑顔でキャンペーンは個人的には本当そうなって欲しいと思っています。
私が知る限りですが、中国の人は本当に微笑まない(何度かここでも書いたことがあります)うえに、意味不明なほど挑発的な態度で切り込んでくるところがあります。
この点は「中国人は騎馬民族だから...」なんて言わずに、国際的マナーに則っていただきたいと思っています。
みんなが笑顔でキャンペーン、賛成です!

もうひとつ、中国が自分たちで認めているマナーの悪さで、歩行者の信号無視もあげておりました。
が、これも私の経験上でしかありませんが、これが出来ているのは日本人だけです。
欧米の方たちも信号は本当に守らないです。

あっ、でも日本人はクルマの信号無視、やりすぎだと思いませんか?
私が暮らしている三重県の伊勢周辺に関しては、「赤になって2~3秒は突っ込めだっ!」と認識しているドライバーの多いこと、多いこと。
黄色で停まろうとすると、後ろからクラクション攻撃を浴びることさえあります。

と考えると、地方で暮らす日本人もかなり「騎馬民族資質」ですよね。

2008年5月 1日

ゴールデンウィークの海外旅行

今、日本はまさにゴールデンウィークまっただなか!
ゴールデンウィークといえば旅行! 海外に脱出している人も多いことでしょう。

ゴールデンウィークは旅行代金がとても高いわけですが、今はこれにジェット燃料なんたらかんたら...いわゆる燃料サーチャージが必要ですから、もっと高くなるんですよね?

旅行会社に勤務していたころは、「自費研修」ということで、安い時期に有給休暇をとって海外に出かけておりました。
あの頃は、「安月給の旅行業界。このくらいのメリットがなくちゃ!」なんて考えていて、旅行代金の高い時期に海外に出かける方たちを「お金に余裕があって、優雅な人々」と勝手に決めつけておりました。

しかし、仕事が変わってよくわかったのですが...
料金が高い安いの問題ではなくて、GW か、年末年始の休暇くらいしか家族と海外に行けるほど休みがないんですよね、普通は。
「休みだし...海外でも行っちゃう?」ではなくて、「休みはここしかないから、海外へ行くならここしかない!」なんですよね。

昨夜テレビで見たのですが、ストックホルム症候群といって、恐怖心を共有した男女は恋におちやすいという傾向があるのだとか...

熟年夫婦の秘境ツアーが人気なのは、ストックホルム症候群と関係があるかも...ということでした。

ストックホルム症候群というのは、ストックホルムで起こった銀行強盗に端を発していて、人質をとって立てこもった犯人を捕らえようと警官が突入したら、人質たちが犯人をかくまったことから命名されたそうです。
極度の緊張状態から、「殺されたくない」という気持ちが「犯人に好かれよう」に変化し、やがて愛を感じてしまうとかで、実際にストックホルムの事件でも犯人の男性と人質の女性の一人が後に結婚したそうです。

さて、熟年夫婦がジャングル探検ツアーに参加するのは本当にストックホルム症候群と関係があるのでしょうか?
一通りメジャーなところは見たから、ちょっと変わったところに行ってみたいというお客の心理と、ちょっとでも高いツアーを売りたいと思う旅行会社の思惑が「ジャングル探検ツアー」あたりで一致してるってことなんじゃないでしょうかね?

「激安 ジャングル体験ツアー」では、危なっかしくて誰も参加したくないですから、安心ですよ♪ってイメージじゃないといけません。安心、安全、快適なジャングル体験ツアーは高額になりがちです。
値段が高ければ若者はムリですから、自ずと熟年向け商品になってしまいます。

熟年カップルに商品を勧める場面を旅行会社の社員になったつもりで考えてみましょう。
「ハワイ行った」「ヨーロッパ行った」「アジアなんか何度も行った」「オーストラリアも行った」という熟年カップル。
何をおすすめしますか?
やっぱり「秘境モノ」じゃないですか?
まあ、そのセールストークの中で「夫婦仲が良くなったって帰ってこられるお客様が多いんですよ」なんて言ってたら、関係あるわけですけどね。

話変わりまして、海外で暮らしているときに日本人の知人が休みでちょっと日本に帰るという話を第三者として聞くのはかなり羨ましかったです。
日本で海外旅行に行く友人を見送るよりも羨ましかったです。

で、ちょくちょく日本に帰る人は、コンスタントにちょくちょく日本に帰るので、どこで暮らしている人なのか分類が難しくなります。(余計なお世話ですけどね・笑)
一回分けてくれ~って感じでした。

私はオーストラリアではペーペー平社員で一番帰国できない立場でしたし、アメリカでは学生ビザから就労可能なものへ切り替えようとしていて弁護士から絶対に国外に出るなと言われていたので、祖母が亡くなったときでさえニューヨークで手を合わせましたから。

2008年3月 1日

バナナ・サンドウィッチ

オーストラリアで驚いた食べ物、バナナ・サンドウィッチ。
恐らく日本人の多くは私と同じリアクションで「え~っ!?」、しかも「え」には濁点がついているくらいのところだと思います。

何気に会社で同僚と話していたときに「バナナ・サンドウィッチ」という言葉が耳につきました。
私はそこで会話をとめて、私が聞いた言葉が間違いでないことを確認しました。

日本にもバナナボート、まるごとバナナなどのデザートがありますから、そういう生クリームと合わせた系なら、何の違和感もないわけですが...
何でもオーストラリアでよく使われる普通のソフトフランスパン的なサンドウィッチ用のパンでバナナをはさんで食べるのだとか...
「わざわざパサパサさせる意味はどこにあるのか?」と思いきや、パンの切断面にはバターかマーガリンを塗るそうで、オーストラリアでは極めて普通の庶民の味だそうです。

食べたくない~っ!
と体が反応しましたが、脳は違う指令を出しました。

「チャレンジしてみろ!まずけりゃ捨てるだけ。所詮100円くらいのことだ。話のタネだと思って食べてみろ!」

私は勤務中にもかかわらずすぐにオフィスを抜け出し、近くのデリへ。
バナナ・サンドウィッチを注文すると店員さんは何事もなかったかのように、当たり前にパンを取り、ナイフを入れ、バターを塗り...そのパンとバナナを1本私に渡しました。
自分で食べる前に皮を剥いてサンドしろってことなんですね。

私はオフィスに戻り、席に着き、勤務中にもかかわらずバナナ・サンドウィッチの調理をはじめました。
パンの太さとバナナのそり具合が微妙に合わなかったので、バナナを真ん中あたりで分割しました。
スタッフ全員が注目する中...

パクリ...

「別に...」
「...。」 スタッフ落胆...

「まずくはないけど、どうしてわざわざパンにはさむの?」
「...。」
「バナナはバナナでそのまま食べて、パンはパンでそのまま食べるわけにはいかないの?」
「...。」
「はさむ意味がわからない。」
「...。」

私は少し腹が立ちました。
「そこに山があるから登るんだ」みたいな、「そこにバナナとパンがあったからはさんでみたんだ」的発想で、あまり知性が感じられないところがすごく嫌でした。

しかし、オーストラリア人が私の反応にあまりに落胆してしまったので、これではマズイと、私はそれからしばらくの間朝食はバナナ・サンドウィッチと決めて、オフィスで食べるようにしました。
2週間くらいは続いたんじゃないかな?
それだけ食べても、サンドウィッチにする意味は見つからないままでした。

2008年2月13日

女性の涙

ちょっと古い話になりつつありますが...

倖田來未が泣いていました。
ヒラリークリントンも泣いていました。
船場吉兆のおかみも泣いて... ??
もっと昔には松田聖子のウソ泣きとか、いつの時代も女性の涙は世の関心をかうようですね。

さて、アメリカの映画、ドラマでは女優さんが泣く、わめくのオンパレードで、それらがアメリカ人女性の日常と思っていらっしゃる方もいるかもしれません。
私なんかは本来最もそう思う性分かも...。

現実的にはそういうタイプの女性もいると思いますが、少数派のように感じます。
私は友人夫婦の修羅場を見たこともないし、そもそも女性が泣いているところすら見たことがありません。
もちろん、その程度の付き合いでしかなかったわけですが、そういうことではなくて、アメリカ女性は結構タフな気がします。
なんか、女性であることに甘えていないというか...
表現が難しいですが、日本とは男女平等の奥深いところにあるマインドが違うんじゃないか?と思うといいますか...
その点で映画やドラマの中のキャラクターと、現実の女性にすごく大きな隔たりを感じておりました。

だからヒラリー・クリントンが泣いてんのか、泣いてないのか、よくわからない状況で、あれだけ人々の関心を引いたということなんでしょうか?
あの我慢具合がアメリカ国民のハートに触れたんでしょうかね?
女優のようにボロボロに泣いていたら世論はどうなっていたのでしょうか?

ヒラリー・クリントンの涙について書いていらっしゃるブログさん♪
SOHOスタッフのナイショ話
私好みのニュース記事
団塊女性よ これからです
映画を見ませんか?

2008年2月11日

アメリカ人と俳句

ちょっと日本贔屓なアメリカ人は俳句の存在をご存知のようで、この人たちは日本人なら誰でも俳句を読むと思っているようです。

同じ日本人でも「大阪の食卓には毎日たこ焼きがあがる」と思っている人がいるようですし、それを思えば不思議ではありませんね。

在米中に3人から初対面のときに「日本人なの?俳句知ってる?」と言われました。
一度目のときはつい「知ってるよ」と言ってしまいました。
すると、~相手は女性でしたが~「今ここで一句考えましょうよ。」
"ゲーッ!!" と思いましたが、NOと言う勇気もなく付き合わされるはめに...
「日常的なことがいいわよね。」
「そうだね。」
「こんなのどう?
 "Trying to diet, trying to diet harder, still in the middle."
 (ダイエット 繰り返しても 肉おなか)
アッ八ッハッハ~ これ最高だわ。気に入ったわ。」
と言ってもう一度繰り返す...
「どう?気に入った?」
「うん。最高だね。」 ←大うそつき

それって、俳句じゃなくて「働けど働けど我が暮らし楽にならず...」のバッタもんじゃないですか?
しかも肝心のオチがない...

さっぱりわかりませんでした。
何が面白いのか...
俳句ってよくわかんないけど、もっと奥深い世界を表現して、自分に染み込ませていく楽しみを味わうものと思っていた私にとっては、むしろ日本の文化をバカにされたような気分になりました。
そして、今度俳句のことを聞かれたら「わからない」と一言で片付けてしまおうと決心しました。

ところが...

学校の授業で先生がこう言いました。
「このクラスには日本人の生徒が多いので、今日は英語で俳句をやってみましょう。」
数分の考え時間が与えられ、発表タイムに...
「誰が発表しますか?」
「...。」
「仕方ないわね。katz どう?」

例の "Trying~" が頭をグルグルまわって、新しいものなど考えられなかったので、白紙状態だったのですが...
何を思ったのか私はこう言いはじめました。

"Trying to diet, trying to diet harder, still in the middle."

結果は "ヤヤうけ" しかも先生だけ。
当然の結果です。
やはり面白くなかったのです。

そういうわけで、あと2回の「俳句知ってる?」に対しては "NO" と一言で片付けさせていただきました。

日本の文化を尊重していただいていることはありがたいのですが、これって逆の立場で例えるなら...
「アメリカ人なの?ハンバーガー大好きだよ。」
「そうなんだ?」
「ちょうど今からハンバーガー食べようと思って買ってきたところなんだ。よかったら一つあげるよ。」
と、紙に包まれたバーガーを渡す。
「ありがとう。」
「うん。遠慮しないで食べてね。」
アメリカ人、包みを開ける...
「え?これ何?」
「これライスバーガー。和風ハンバーガーだよ。あっはっはっはっ。」
「まじかよ。 パクっ。 しかもキンピラかよ!」

2008年2月 8日

どこからがアメリカンドリーム?

「プラダを着た悪魔」(THE DEVIL WEARS PRADA)を観ました。
昔見た「摩天楼はバラ色に」(THE SECRET OF MY SUCCESS)を思い出しました。

プラダ~は主人公がそれを目指していたわけではなくて...、ビッグになりたいと思っていたわけでもなくて...、入った世界で頑張るうちに認められていくというちょっと変わったサクセスストーリーでしたが、これもアメリカンドリームなんでしょうか?

私も夢を持ってアメリカに渡ったクチでした。
レコードに自分の名前がクレジットされる仕事をして、作品がビルボードにチャートインしたこともあり、それが自分が目指していた道だったわけですが、それってアメリカンドリームなんでしょうか?

一体アメリカンドリームってどこからなんでしょう?
なぜかプラダ~を観てそんなことを考えてしまいました。
あれをサクセスストーリーと捉えること自体が間違いだったんでしょうかね?(汗)

ゼロからスタートして、超メジャーになって、不動産をいくつも所有して、移動は自家用ジェット...
漠然とした感じですが、それが私のアメリカンドリーム像です。

だけど、そんな大袈裟なものではなく、目標を持ってアメリカに渡り、その目標を達成したいという夢を持っている人(若者)のヒントになればと書かせていただきます。

社会はたくさんのピラミッド型組織で構成されていると考えてください。
大きなピラミッドもあれば、小さなピラミッドもあり、それらは線で繋がっています。
ピラミッドは「会社などの組織」、線は「取引」。
そしてそのピラミッドと線で繋がった大きなカタマリが「業界」といわれるものです。

ピラミッドは箱を積み上げてあるとイメージしてください。
箱がひとつ抜けると、ピラミッド自体が崩れてしまいますから、箱が抜けたら崩れる前に代わりの箱を入れなくてはなりません。
(あくまでもイメージの問題です。)
箱は「人」です。

そうして社会が成り立っていると考えると、自分がその中で目標を達成しようと思ったとき、何をしましょうか?

社会にはポジション(箱)があって、そのポジションには誰かがいます。
が、そこにいた誰かが別のポジション(箱)に移動すると、もといたポジションは空きます。
そこにスッと入るというのはいかがでしょうか?

自分はどのあたりの箱になって、その後どのあたりの箱になって...最終的にはこの箱!(=目標の達成)という青写真を持つのです。
まずは自分が次に目指す箱が見える位置の箱に収まり、目指す箱が空いた瞬間を見逃さないこと。
そして、目指す箱で必要とされる力を養っておくこと。
社会に必要とされ、すでに存在している箱に自分が入るという考え方。
プラダ~もそうでしたが、映画のサクセスストーリーはこのパターンが多いですよね。

いきなり平地に自分を頂点とするピラミッドを建てること(これこそアメリカンドリームですかね?)は、考えただけで大変そうです。
大変だからやりがいがあるという考えも「あり」だと思いますが。

なんか、生意気なこと言っている気がしてきたので、この辺でやめときます。
m(_ _)m

「プラダを着た悪魔」の記事を書いていらっしゃるブログさん♪
RAY's Favorites
365日映画
filmをめぐって
ture

2008年2月 5日

スーパーチューズデイ vs ギョーザ

いよいよスーパーチューズデイです。

日本にとっても重要な局面ですが、なぜか日本のマスコミはギョーザ報道に一生懸命です。(泣)
最近になってようやく気付きましたが、テレビって本当視聴率至上主義ですね。

今回のギョーザ問題で日本の自給率の低さを国民の多くが改めて自覚したことは事実だと思いますが、現実問題として国産品だけで今日の食卓は成り立たないわけですし、大勢の人が「今日から農家になろう!」なんてのもあり得ない話です。
そもそもガーッ!と騒いですぐに忘れてしまうのが日本のパターン。
レメンバー朝青龍です。
マスコミが引けば多くの人は忘れてしまいます。
今までのパターンだと「やっぱ安いほうが良いわ。味も国産と変わらないし。ちゃんとやってもらえればそれで良いんだし。」ってなっちゃうんです、きっと。

だから最初から「ちゃんとやってもらうために私たちが何をすべきか?」という話をマスコミがしてくれる方が良いと思うんですけどね...

個人的に思うことですが、この問題は日本の企業の管理体制、食の安全に対する危機感がまずかったことが原因で、それ以外にどこにも集結のさせようがないのではないでしょうか?
中国の工場の不手際だったとしても、他人が作ったものを右から左で売る怖さの自覚が日本の企業に足りなかったことが一番の問題であるような気がしてなりません。
私がサラリーマンだった頃は「丸投げ仕事」は上司に怒られたものですけどね?

そんな風に日本の企業が自らの責任の重さを自覚していない感じがしているのは私だけでしょうか?
どの会社も今後の対策を未だ打ち出していませんが...
中国のマスコミが「日本は責任を押し付けている」というのも何となくわかります。

そんなことより、個人的にはスーパーチューズデイです。

今の日本企業の勝ち組はアメリカから大きな利益を生んでいます。
次期大統領が保護貿易路線を敷けば、今儲かっている日本の企業は戦略を変えざるを得ないことになり...
ヤバイんじゃないでしょうかね?

明日の報道はスーパーチューズデイ関係であることを期待しております。

2008年2月 3日

同じ看板でも国がかわれば...

日本マクドナルドが店長に訴えられ、東京地裁によって約755万円の支払いを命じられました。

簡単にその内容を書きますと...
マクドナルドの店長は多いときには月の残業が135時間を越えることもあるほどの激務だそうで、中には過労死にいたった人もいたとか...
しかし、会社からは「管理職扱い」されて時間外手当を支払われておらず、収入が部下より少なくなることもしばしば...

管理職「扱い」ということは会社規定に「店長=管理職」と書いていなかったんでしょうかね?
他所様のことなのでよくわかりませんが。
世間には同じような例がいくつもあるはずなので、今後こういうケースが増えていくのかもしれませんね。

さて、マクドナルドといえばどの国に行っても同じようなメニューとサービスがあることが特長だと思いますが、外国の店長さんも同じ労働環境なのでしょうか?

想像でしかありませんが、これって日本独特のことなのでは?という気がします。

海外に数年いらっしゃる方はご存知ないと思いますが、今マクドナルドは無茶苦茶安いです。
日本の物価からは考えられない安さで、「100円あったらマックへ行こう」なんてコピーを打って営業しています。
100円のメニューが結構充実していて、その中から3種くらい買うとお腹いっぱいになります。
ランチが300円で済んでしまうんですよ。

これが登場する前はバリューセットで500円~600円だったと思うので、戦略あってのことでしょうが考えてしまいます。

あったかいマックポークが、スーパーで売られている菓子パンの多くより安い必要がどこにあるのか?
どの国を探しても同じ状況はないのではないでしょうか?

平均的な物価を下回る金額で薄利多売する企業の社員には大抵厳しい労働環境があり、そういう社員の努力のおかげで消費者が得をしているのが現状だと、廃業した旅行会社の社員だった私は思います。

2008年2月 2日

演説の人々

「みなさん!そう思いませんかぁ~!!」
「Yeah!」
そんな意見や主張がたくさんあるのが外国の話で、
「みなさん!そう思いませんかぁ~!!」
「...。」
が、日本の話と思いませんか?(笑)

海外に出る前、外タレのコンサートに行って、アーティストが言うことすべてに両手を挙げて「Yeah!」と言いつつ、実は「何言ってんだろう?」と密かに思っていた私。
きっと会場の中には私と同じように、とりあえず参加型で「Yeah!」を連呼していた人がいたことでしょう。
例えば、「おめえらクソったれがお金積んで頭下げたから仕方なく来てやったぜ!かったりーぜ!このイエローモンキーめが!さっさと終わらせて帰っからよー、アンコール求めんじゃねぇぞ!」と言われても両手を挙げて「Yeah!」だったと思うのです。

あれって何なんでしょうか?

外国のコンサートの模様を誰かが日本に持ち込んだのでしょうか?
日本の映画館の盛り上がり方はアメリカのそれとはあんなに大きく違うのに、コンサート風景はさほど変わらないのです。
どちらかというと、日本の文化は映画館のほうで、コンサートは輸入文化という気がします。
外タレのコンサートの楽しみ方としてああいう盛り上がり方が波及していく中で、日本人アーティストのコンサートにも同じように波及したってことなんでしょうか?
かなり不思議なんですけど...

マドンナのコンサートをシドニーで観たときのこと。
最初のMCで "Hello, Sydney!" と言った後、
「私シドニーはすごく素敵な街って聞いてたの。でも来てみたらサンフランシスコみたいなもんじゃん。」
と往年の彼女らしい毒舌ぶりを披露しました。
これに対してシドニー市民の半分は引いてました。
あとの半分は"いい意味"に受け取ったようで「Yeah!」と言っていました。

言葉がわかる地のことですので当然ですが、やはり「Yeah!」と思えることに対して「Yeah!」と反応しているんですよね、本来は。

リーダーが「ああだ!こうだ!」と主張し、民衆が「Yeah!」と答える様子を見ていると、なぜかヒトラーの演説ビデオとダブってしまいます。
もちろん個人的見解ではありますが...
私はそれを見ると「ああ、演説の人たちなんだな~」と感じます。

日本人は元来演説を静かに見守るスジなんでしょうかね?
国会議員の演説もただ静かに聞いてますよね。
「ウソつけこのヤロー!」とか反発する人を見たことがないし、ひどい場合にはサクラが仕込まれていて「そうだ!そうだ!」なんて恥ずかしげもなくやってますよね。

でも、戦国時代の日本人はきっと
「みなさん!そう思いませんかぁ~!!」
「Yeah!」
ってやってたと思うのです。

では、私たち日本人はいつ民衆の主張をやめてしまったのでしょうか?
「生類憐みの令」から?(笑)
今の世の中こそ、民衆が立ち上がって「どげんかせんといかん」状況だと思うのですが、私がそのリーダーになろうと思わないように、「このままではまずいっしょ」と思っているだけの人が多いのだと思います。

まずは日本人が演説の人々にならないと何も変わらないような気がしています。

外国の人は他人の話を真剣に聞く人が多い気がします。
そこからして「演説の人々」だなぁと思います。

2008年1月30日

べーグル まとめ編

数回にわけて書いた記事ですが、ここでまとめておきます。
一部修正しております。

今でこそ日本でもパン屋さんで見られるようになったべーグル。
そういえばこの間スーパーの冷凍食品のコーナーでも見ました。

出始めの頃はドーナツの形をしたパサパサのパンばかりで、べーグル本来のモチモチした食感を出せているものには出会えなかったですが、近頃はボチボチそれっぽいものが食べられるようになりました。

べーグルLOVE♪な私がはじめてその存在を知ったのは渡米後まもない頃のデリでした。

ドーナツみたいな形をした物体がたくさん並べられた景観は、私の気を引くに充分なオーラを放っておりました。
「...なんじゃこりゃ? 縦の列で若干色が違ってるな... 味が数種類あるってことか... 油で揚げた肌ではないな... ということはドーナツじゃないってことだよね... なんじゃこりゃ?」

訊くとべーグルだといいます。
ただべーグルといわれても謎は深まるばかり。

安そうだし、とりあえず1個買ってみました。
噛みしめるほどに味わい深くなる不思議なパンは、私にとって新しい味でしたが劇的な出会いとはいえませんでした。

しばらくして...

デリにサンドイッチを買いに行ったときのことです。
私より先にいた女性客がべーグルにクリームチーズを挟むようオーダーしています。
「え~っ!? そうやって食べるんだぁ~っ!」

お寿司屋さんでとなりの客が「まぐろ」を注文したときに、「あっ、おれも」といえる人と、いえない人がいます。
私は後者で、「くっそー!今おれが頼もうと思ってたのにタッチの差だよ...」と思いながら、となりの客が次の注文をするまで待つタイプです。(次もまぐろを注文されると帰りたくなります)

クリームチーズLOVE♪♪な私ですが、まぐろの例えの一面が邪魔をして、その場でクリームチーズべーグルを注文することはできませんでした。

翌日...

クリームチーズべーグルとの出会いはとてもヘブンリーで、今まで知らずに生きてきたことですごく損をした気分になりました。
噛みつくと脇からムニュっとはみ出すほどたっぷりのクリームチーズとべーグルは黄金のコンビネーションだと今でも確信しています。

しばらくすると、私の近所のデリのべーグルは実はいまいちだったことに気がつきました。
(もちろん私の好みという意味で...です。)

ユダヤの友人に「べーグルはユダヤの食べ物だから、ユダヤ系のデリがいいんじゃない? おれの一押しのお店が katz のアパートのすぐ近くにあるよ。」とお勧めされて行ってみたユダヤ系のデリ。
86丁目とアムステルダムアヴェニューの角にそこそこ大きなレンガ色の教会があります。その教会のとなりにあるデリは一般的なデリのようなお菓子、新聞などは販売しておらず、ガラス戸の外には一切モノを並べないとても質素な佇まいで、バスに乗って外を眺めてても見逃してしまうほど主張がありません。

そんな店の前で思わず「回れ右」をして帰りそうになりましたが、「所詮べーグルじゃん。騙されてもしれたもんだ。」と気を取り直し入店。

初老の店員はとても紳士的な接客で、べーグルのことを訊いたら何でもわかりやすく答えてくれそうです。
プレーンなべーグルを注文すると、「ブルベリー入りもおいしいよ」なんて上品にお勧めしてくれます。
「じゃあそれも!」と2個購入しました。
値段はいつも買っていたデリより安くて驚きました。

お店を出るとまずプレーンのクリームチーズべーグルを袋から取り出し、パクリ...
「あり得ない...」
もう一口かぶりつきます。
「絶対にあり得ない...」

前から歩いてくる人に教えてあげたくなるくらいにヘブンリーです。

そのデリのべーグルは他店では味わえないモチモチ具合で、噛むほどにうまみを増し、クリームチーズと一体となっていきます。
その一つ一つがこれまでに体験したことのないレベルの高さなのです。

以降はそのお店に2日に一度くらいのペースで通いました。
学校帰りにちょっと遠回りして、食べながらアパートに戻りました。

そんなわけで、べーグルは私のニューヨークの味(B級グルメ)ベスト3に入っています。
中華のチキンwithブロッコリー、標準仕様のピザ、クリームチーズべーグルです。

高いレストランであまりの美味さに後頭部が麻痺したこともありましたが、帰国後なつかしく思い出し、また食べたいと思うのはB級ばかりです。
中でもクリームチーズべーグルは日本とのレベルの差が激しく、恋しさではダントツ一位です。

2000年にニューヨークを訪れた際、このデリに行き、袋一杯のべーグルを購入しました。
数としては20個くらいだったと思います。
これを日本に持ち帰って、日本で楽しんだやろうと目論んだのです。

結局スーツケースに入れて持ち帰ったのは10個くらいだったと思います。
成田からの道中は、宝を持ち帰る気分でそれはそれはウキウキでした。

ところが、家に着いてべーグルを取り出すと...
カッチカチで食べられませんでしたっ!

帰国日、空港へ行く前に立ち寄って買うべきでした...

今度ニューヨークに行くときは布団圧縮袋を持っていって、真空パックにして持ち帰り、冷凍保存してみます。(笑)
そっか、電気掃除機も持っていかなきゃ!

2008年1月29日

欧米的な考え方がぶつかった壁 まとめ編

数回にわけて書いた記事ですが、ここでまとめておきます。
一部修正しております。

まずは時間的なことの整理のために書いておきますね。
89年 8月 ニューヨークへ
92年 9月 ニューヨークより帰国 11月 旅行会社(海外旅行の現地手配をする会社)入社 シドニーへ
94年11月 福岡に転勤 以降は国内移動

というわけで、福岡に到着したときには(比較的)欧米的な考え方をしていた私。
当然日本の社会ではぶつかる壁も多く「つもり」の多さが目立ちました。
「自分はちゃんとやってるつもり...」とか、そういうやつです。

日本の会社社会の中では小さな壁はいくらでもあって、ひとつずつ真摯に受け止めて直していこうなんて謙虚な姿勢でいると "うつ" になりかねませんので、私は "ON" と "OFF" を切り替えていこうと考えました。
割り切りで上手くやっていけるんじゃないかと甘く考えたわけです。

ところが、あるとき取引先との電話を切った私に支店長がこう言いました。
「お前の "すみません" は軽いと思う。どれだけ悪いと思っているのかが伝わってこない...ところがある。」
これだけはっきりと指摘していただけるのは、とてもありがたいことです。
私は支店長を尊敬しておりましたので、このときに初めて「このままではいけないんじゃないか?」と考えるようになり、その反面「そんな簡単に人って変われないんじゃないか?」とものすごく客観的に冷めた目で見ている自分がいたりして、しばらく悩みました。

さて、そんな私が「このままではいけない」と本気で感じた出来事がありました。

私の勤めた会社は旅行代理店の下請けで、海外旅行の現地手配をしていました。
海外旅行の卸業者と言う方が一般的にはイメージしていただきやすいかもしれません。
(旅行業の方には「はぁ?」と言われるでしょうけど・汗)

私は福岡支店で出た欠員の穴埋めとして赴任したので、前任者から多くの仕事を引き継ぎました。
その中にオーストラリア行きの修学旅行手配が含まれておりました。
先に書きましたように修学旅行を受注したのは世間に名の知れた旅行代理店で、私たちはその下請け。
オーストラリアでの宿、食事、バス、ガイドなどの手配が仕事でした。

ツアーが終了すると現地支店からレポートが入ります。
ほとんどは「無事終了しました。」なのですが、この修学旅行のレポートにはこう書かれていました。
「最終日空港にて添乗員がスーツケースを紛失。バスから荷物を降ろしチェックインのための混乱時に何者かが持ち去った可能性。添乗員は日本で解決するとのこと。」

空港に到着すると、お客様のスーツケースなどの荷物をバスから降ろし、添乗員なりガイドなりが個数を確認します。
その後、航空会社のチェックインカウンターへ荷物を移動するのですが、短時間に終えなくてはならないため、現場はかなり慌しくなります。
人数の多い団体は尚更です。
このバタバタの中で何者かが添乗員のスーツケースを持ち去ったようでした。

一般的に添乗員はそれ専門の会社や人に代理店が依頼するケースが多く、代理店の社員が添乗することはそれほどありません。
が、このときの添乗員は旅行代理店の営業マンで、出発まで私が打ち合わせを重ねた人でした。
(修学旅行をした学校担当の営業マンということです)

空港での添乗員、ガイドには仕事がたくさんあり、自分の荷物がなくなったからとその場を離れるわけにもいかず、盗難届けを提出する時間が無いので「日本で解決する」とガイドに言って添乗員は帰国しました。

結局私たちが手配したガイドがツアーを見送った後、盗難の被害届を出しました。

何百と並んだスーツケースの中から無くなった1個が添乗員のものであったことは不幸中の幸いと、私は解釈しました。

「スーツケース盗られたんですってね!?」といった軽い感じを想定して、私は営業マン(添乗員)に電話しました。
すると...
彼は大変憤慨しております。
「お前んとこのガイドがボーッとしてるからスーツケース盗られたじゃねえかよ!」

...あれぇ???? どうなってんの????

彼は「どうしてくれんだよ?」という状態だったし、終了レポートの内容と根本的に食い違う話だったので、とにかく状況を再確認しようと電話を切り、シドニーへ電話。

「修学旅行なので当然ベテランガイドを使っていて、空港到着時にはガイドだってやるべき仕事がたくさんあるから、添乗員の荷物を見張っているわけにはいかないし、そもそも見ててくれと頼まれたわけでもない。」
ということでした。

欧米的な考え方の私は、「旅行のプロである添乗員が自分の荷物を盗られたのは恥ずかしいこと。自己管理ができていなかった証拠。自分が悪いんだから自分で保険処理してください。」でした。
私は「自分で保険処理してください。」を言うために彼に会いに行きました。

彼は清算などで忙しくしていて、私は少し待ちました。
その間にコワモテの上司がやってきて...
「ああ、○○さん?話は聞いたよ。あいつ怒ってるよ~。あんな穏やかなヤツが電話であんな言い方をするなんて、初めて見たよ。あいつ同僚にも影響力あるしさ、きっちりしてやってよ。もうあなたのとこ使わないなんて言い出したら大変じゃない。頼んだよ。」

...何じゃ? どういうことだ? 脅してんのか?

本人が来てくれました。
やはり怒っています。(っていうか、怒っているフリをしているように見えました。)

彼はどうして私たちの会社に仕事を依頼したか...など、持ち上げることを最初に言ってから、「なのにこのありさま。どうしてくれるんだ?」と締めくくりました。

仕事を依頼している側が常に立場が上だという考え方の人らしいものの言い方でした。

私は差し障りなさそうな言葉を選んで、
 ・ガイドに業務上の落度はなかったこと。
 ・スーツケースがなくなったのは故意ではなく、アクシデントだったこと。
 ・彼の保険で対応して欲しいこと。
を伝えました。

ところが彼は「保険には入っていない」の一点張りです。
クレジットカードも一枚も持っていないと言います。
さすがにこの場で「じゃあ貴社の保険を使ってください。」とは言えず、出直すことにしました。

「保険には入っていない」
大手旅行会社の営業で、年に数回はお客様をご案内して海外に行く人が「保険に入っていない」など、到底信用できるわけもなく、クレジットカードを持っていないこともウソっぽい言い訳をするので、つまりは「お前んとこで何とかせぇ」という意味だと解釈しました。

考えれば考えるほど腹が立ってきて、この怒りをどこにぶつければいいのか状態の私。

何がしの弁償をしないと次に進めないことはわかっていましたが、私や現地スタッフの正義感を無視された(添乗員が自分の非を一切認めていないところ)まま、彼の代わりに保険処理することにとても複雑な心境でした。

結局シドニー支店の保険を使うことにして、保険金が支払われるまでに2ヶ月くらいかかることを添乗員に伝え、了承を得ました。

ところが、海外の常で、2ヶ月経ってもまだ保険金は支払われず、保険会社に催促しても「まだ処理が終わっていない」という状況に陥りました。

添乗員からも催促の電話が入るようになりました。

私の心の底には「あんたが悪いんだから待つぐらい待て」という気持ちがありましたが、2ヶ月で保険金が支払われると案内した手前、これが延びてしまっていることには責任を感じていました。
「3ヶ月と言っておけばよかった」という程度に。

結局私はこれを「個の問題」として捉えてしまっていたのです。
会社の問題として考えれば、こんなことはサッサと済ませてしまったほうがいいに決まっていますが、そういう判断ができませんでした。

そこらへんを見抜かれてしまったのでしょうか...
添乗員はこの件を私の会社の先輩に持ちかけました。

その日外回りから帰ってきた先輩が支店長に何やら報告を...
シドニー、スーツケースといった心当たりのある単語が、チョロチョロと聞こえてきました。
すると支店長から呼び出しが...

「例の件、どこまで進んでんの?」
「保険金の支払いが遅れておりまして、待ってもらっている状況です。」

先輩の報告では、添乗員はスーツケースがなくなったことはもちろん、その後の私の対応、態度に対しても怒っているということでした。

「じゃあ、二人で添乗員に会いに行って、もう一度よく状況を説明してきなさい。」と支店長。

先輩と出掛けた道中、このようなアドバイスをいただきました。

「お前の言い分もわかる。でも、そんなことで言い争っても仕方ない。自分たちは仕事を貰っている立場なんだから、相手を怒らせてしまって仕事を貰えなくなるのが一番つまらない。」

それはその通りなのですが、当時の私にとっては「頭で理解できても、実際にはできないこと」でした。
相手が「自分のミスで迷惑をかけて申し訳ない」という物腰であれば、きっと気分良く対応させていただいたことと思うのですが、ここで私がペコペコしては修学旅行の運行に携わった現地スタッフに申し訳ないという気持ちが強く...

応接室で先輩と横並び、添乗員と向かい合いました。

このときの添乗員はかなりの勢いでまくし立てました。
先輩は「仰るとおり。申し訳ない。」と神妙な面持ちで話を聞きました。
私は一言も話さず、お詫びも言わず、頭も下げずで、子供な対応に終始しました。

事務所に戻り支店長に報告。

結局、オーストラリアの保険会社に任せているといつになるかわからないということで請求を取り下げ、私たちの会社が日本でかけていた保険を使うことにし、それもまた時間がかかりますので会社がその保険金を立て替えて添乗員に渡し、その後の営業活動は私に代わって先輩が担当するということで決着しました。

最後まで「ちぇっ!ゴネ得かよ!」と気分の悪かった私ですが、確かに時間が経ってしまったため会社の決定に物申すほどの熱さは失くしていました。
そして、「こんな自分ではやっていけないんじゃないか?」と真剣に考える自分もいました。

以降、自分なりに気をつけて日本流に馴染もうと努力(?)するようになりました。

そして、いつだったか、「あんたの会社に任せた仕事の中で起こったことは、全部あんたの会社の責任だ」と言った取引先の人がいまして、その時に初めてスーツケース盗難の件での自分の対応のまずさを知りました。

「任せる」ということのベースは「信用してんだから」ってことです。

だから、仕事を請ける側もそういう覚悟で請けるものってことなんですね。
スーツケースが無くなった原因のひとつに添乗員の不注意もあったわけですが、それも安全、円滑に旅行を手配するという大前提で仕事を請けた私たちの会社の責任の中で起こったこと。
「会社の責任>添乗員の責任」というわけです。

この解釈が正しいか、間違っているか、正直今でも他人様に語れるほどわかっておりません。
そういう考え方もあるってことを学んだにすぎません。

特にサービス業の場合は、義務の部分をこなせばいいとか、決まったサービスを提供すればいいとかではなく、最後まで綺麗に終わらせて、気分良くお支払いいただいて終了ってことなので、いろいろと判断の難しいことが起こります。

添乗員に対して今思うところは、あのコワモテの上司にやらされていた部分があったんじゃないかってことです。
決して私も無謀な主張をしたわけではありませんので、話し合いの中で「その点に関しては自分が悪かった」と思うところもあったんじゃないかと思うのです。
でもそれを認めてしまうと上司に腰抜け扱いされてしまうような事情があったと考えると、話にスジが通ります。

あの場面で私がそのことに気付いていれば...
っていうか、気付いてないのは私だけだったのかな?

2008年1月28日

欧米的な考え方がぶつかった壁 その4

こちらにまとめ編をアップロードしてありますので、どうぞ♪

前回の続きです。

支店長に「じゃあ、二人で添乗員に会いに行って、もう一度よく状況を説明してきなさい。」と言われ、先輩と出掛けた道中、このようなアドバイスをいただきました。

「お前の言い分もわかる。でも、そんなことで言い争っても仕方ない。自分たちは仕事を貰っている立場なんだから、相手を怒らせてしまって仕事を貰えなくなるのが一番つまらない。」

それはその通りなのですが、当時の私にとっては「頭で理解できても、実際にはできないこと」でした。
相手が「自分のミスで迷惑をかけて申し訳ない」という物腰であれば、きっと気分良く対応させていただいたことと思うのですが、ここで私がペコペコしては修学旅行の運行に携わった現地スタッフに申し訳ないという気持ちが強く...

応接室で先輩と横並び、添乗員と向かい合いました。

このときの添乗員はかなりの勢いでまくし立てました。
先輩は「仰るとおり。申し訳ない。」と神妙な面持ちで話を聞きました。
私は一言も話さず、お詫びも言わず、頭も下げずで、子供な対応に終始しました。

事務所に戻り支店長に報告。

結局、オーストラリアの保険会社に任せているといつになるかわからないということで請求を取り下げ、私たちの会社が日本でかけていた保険を使うことにし、会社がその保険金を立て替えて添乗員に渡し、その後の営業活動は私に代わって先輩が担当するということで決着しました。

後になってわかったことですが、日本の風習として「あんたの会社に任せた仕事の中で起こったことは、全部あんたの会社の責任だ」というところがあります。
「任せてんだから...」ということなのです。
信用してんだからってことです。

くどいっすね。(笑) ごめんなさい。

まあ、仕事を請ける側はそういう覚悟で請けるものってことなんですね。
義務の部分をこなせばいいということではなく、最後まで綺麗に終わらせて、気分良くお支払いいただいて終了ってことです。

ただ、添乗員に対して今思うところは、あのコワモテの上司にやらされていた部分があったんじゃないかってことです。
決して私も無謀な主張をしたわけではありませんので、話し合いの中で「その点に関しては自分が悪かった」と思うところがあったんじゃないかと思うのです。
でもそれを認めてしまうと上司に腰抜け扱いされてしまうような事情があったと考えると、話にスジが通ります。

あの場面で私がそのことに気付いていれば...
っていうか、気付いてないのは私だけだったのかな?

2008年1月27日

欧米的な考え方がぶつかった壁 その3

こちらにまとめ編をアップロードしてありますので、どうぞ♪

前回の続きです。

「保険には入っていない」一点張りの添乗員。
大手旅行会社の営業で、年に数回はお客様をご案内して海外に行く人が「保険に入っていない」など、到底信用できるわけもなく、クレジットカードを持っていないこともウソっぽい言い訳をするので、つまりは「お前んとこで何とかせぇ」という意味だと解釈して、私は一旦退却することにしました。

考えれば考えるほど腹が立ってきて、この怒りをどこにぶつければいいのか状態の私。

何がしの弁償をしないと次に進めないことはわかっていましたが、私や現地スタッフの正義感を無視された(添乗員が自分の非を一切認めていないところ)まま、彼の代わりに保険処理することにとても複雑な心境でした。

結局シドニー支店の保険を使うことにして、保険金が支払われるまでに2ヶ月くらいかかることを添乗員に伝え、了承を得ました。

ところが、海外の常で、2ヶ月経ってもまだ保険金は支払われず、保険会社に催促しても「まだ処理が終わっていない」という状況に陥りました。

添乗員からも催促の電話が入るようになりました。

私の心の底には「あんたが悪いんだから待つぐらい待て」という気持ちがありましたが、2ヶ月で保険金が支払われると案内した手前、これが延びてしまっていることには責任を感じていました。
「3ヶ月と言っておけばよかった」という程度に。

結局私はこれを「個の問題」として捉えてしまっていたのです。
会社の問題として考えれば、こんなことはサッサと済ませてしまったほうがいいに決まっていますが、そういう判断ができませんでした。

そこらへんを見抜かれてしまったのでしょうか...
添乗員はこの件を私の会社の先輩に持ちかけました。

その日外回りから帰ってきた先輩が支店長に何やら報告を...
シドニー、スーツケースといった心当たりのある単語が、チョロチョロと聞こえてきました。
すると支店長から呼び出しが...

「例の件、どこまで進んでんの?」
「保険金の支払いが遅れておりまして、待ってもらっている状況です。」

先輩の報告では、添乗員はスーツケースがなくなったことはもちろん、その後の私の対応、態度に対しても怒っているということでした。

「じゃあ、二人で添乗員に会いに行って、もう一度よく状況を説明してきなさい。」と支店長。

続きは次回。

2008年1月26日

欧米的な考え方がぶつかった壁 その2

こちらにまとめ編をアップロードしてありますので、どうぞ♪

前回の続きです。

一般的に添乗員はそれ専門の会社や人に代理店が依頼するケースが多く、代理店の社員が添乗することはそれほどありません。
が、このときの添乗員は旅行代理店の営業マンで、出発まで私が打ち合わせを重ねた人でした。

空港の忙しい場面で自分の荷物がなくなったからとその場を離れるわけにもいかず、結果として書類関係の手続きをする時間が無いことから「日本で解決する」と言って帰国した添乗員。
私たちが手配したガイドはツアーを見送った後、盗難として被害届を出しました。

何百と並んだスーツケースの中から無くなった1個が添乗員のものであったことは不幸中の幸いと、私は解釈しました。

「スーツケース盗られたんですってね!?」といった軽い感じを想定して、私は営業マン(添乗員)に電話しました。
すると...
彼は大変憤慨しております。
「お前んとこのガイドがボーッとしてるからスーツケース盗られたじゃねえかよ!」

...あれぇ???? どうなってんの????

彼は「どうしてくれんだよ?」という状態だったし、終了レポートの内容と根本的に食い違う話だったので、とにかく状況を再確認しようと電話を切り、シドニーへ電話。

「修学旅行なので当然ベテランガイドを使っていて、空港到着時にはガイドだってやるべき仕事がたくさんあるから、添乗員の荷物を見張っているわけにはいかないし、そもそも見ててくれと頼まれたわけでもない。」
ということでした。

欧米的な考え方の私は、「プロなのに自分の荷物が盗られたのは恥ずかしいこと。自己管理ができていなかった証拠。自分が悪いんだから自分で保険処理してください。」でした。
私は「自分で保険処理してください。」を言うために彼に会いに行きました。

彼は清算などで忙しくしていて、私は少し待ちました。
その間にコワモテの上司がやってきて...
「ああ、○○さん?話は聞いたよ。あいつ怒ってるよ~。あんな穏やかなヤツが電話であんな言い方をするなんて、初めて見たよ。あいつ同僚にも影響力あるしさ、きっちりしてやってよ。もうあなたのとこ使わないなんて言い出したら大変じゃない。頼んだよ。」

...何じゃ? どういうことだ? 脅してんのか?

本人が来てくれました。
やはり怒っています。(っていうか、怒っているフリをしているように見えました。)

彼はどうして私たちの会社に仕事を依頼したか...など、持ち上げることを最初に言ってから、「なのにこのありさま。どうしてくれるんだ?」と締めくくりました。

私は差し障りなさそうな言葉を選んで、
 ・ガイドに業務上の落度はなかったこと。
 ・スーツケースがなくなったのは故意ではなく、アクシデントだったこと。
 ・彼の保険で対応して欲しいこと。
を伝えました。

ところが彼は「保険には入っていない」の一点張りです。
クレジットカードも一枚も持っていないと言います。
さすがにこの場で「じゃあ会社が入っている保険を使ってください。」とは言えず、改めて出直すことにしました。

続きは次回。

2008年1月25日

欧米的な考え方がぶつかった壁 その1

こちらにまとめ編をアップロードしてありますので、どうぞ♪

えっと... まずは時間的なことの整理のために書いておきますね。
89年 8月 ニューヨークへ
92年 9月 ニューヨークより帰国 11月 旅行会社入社 シドニーへ
94年11月 福岡に転勤 以降は国内移動

というわけで、福岡に到着したときには(比較的)欧米的な考え方をしていた私。
当然日本の社会ではぶつかる壁も多く「つもり」の多さが目立ちました。
「自分はちゃんとやってるつもり...」とか、そういうやつです。

日本の会社社会の中では小さな壁はいくらでもあって、ひとつずつ真摯に受け止めて直していこうなんて謙虚な姿勢でいると "うつ" になりかねませんので、私は "ON" と "OFF" を切り替えていこうと考えました。
割り切りで上手くやっていけるんじゃないかと甘く考えたわけです。

ところが、あるとき取引先との電話を切った私に支店長がこう言いました。
「お前の "すみません" は軽いと思う。どれだけ悪いと思っているのかが伝わってこない...ところがある。」
これだけはっきりと指摘していただけるのは、とてもありがたいことです。
私は支店長を尊敬しておりましたので、このときに初めて「このままではいけないんじゃないか?」と思うようになり、その反面「そんな簡単に人って変われないんじゃないか?」とものすごく客観的に冷めた目で見ている自分がいたりして、しばらく悩みました。

さて、そんな私が「このままではいけない」と本気で感じた出来事がありました。

私は福岡支店で出た欠員の穴埋めとして赴任したので、前任者から多くの仕事を引き継ぎました。
その中にオーストラリア行きの修学旅行手配が含まれておりました。
修学旅行を受注したのは世間に名の知れた旅行代理店で、私たちはその下請け。
オーストラリアでの宿、食事、バス、ガイドなどの手配が仕事でした。

ツアーが終了すると現地支店からレポートが入ります。
ほとんどは「無事終了しました。」なのですが、この修学旅行のレポートにはこう書かれていました。
「最終日空港にて添乗員のスーツケースを紛失。バスから荷物を降ろしチェックインのための混乱時に何者かが持ち去った可能性。添乗員は日本で解決するとのこと。」

続きは次回...

2008年1月22日

ビジネスクラス まとめ編

数回にわけて書いた記事ですが、ここでまとめておきます。
一部修正しております。

物事を知らないということはたくさんの損をしますね。

私が初めて海外に出たのは渡米のときだったことは以前に書きました。
実はこのとき、エコノミークラスのノーマルチケット(往復)を購入しました。
海外旅行を計画したこともありませんでしたし、興味もなかったのでディスカウントチケットなるものを知りませんでした。
何よりパスポートも持っていませんでした。
相談にのってもらった旅行会社の人が「ディスカウントチケット云々」と言っていましたので、言葉では認識しておりましたが、意味がわからず、知ろうという気もありませんでした。

私の条件ははっきりしていたので、それを伝えてプロに任せるのがベストと考えました。

私の条件とは...
学校探しに行くので、ビザ取得のための帰国をするが、それがいつかは不明。
つまり現地で帰国便の日付を変更できる必要がありました。
それだけです。

旅行会社の人のおすすめはこういうことでした...
3ヶ月間ステイできるディスカウントチケットがない。
一番安い往復のディスカウントチケットを買って、NY→東京(帰国便)を捨ててしまう。
実際にニューヨークから一時帰国する際には、どのみち「東京→NY」が必要になるので現地で往復のディスカウントチケットを買えば良い。
(当時は帰国便のチケットがなくても入国できました)

この方法は海外旅行慣れしている人にとっては至極あたりまえのことかもしれませんが、私には不安要素が多すぎました。
最長で3ヶ月滞在するつもりなのに、入国審査のときにウソをつかなくてはならなかったからです。(チケットは帰国便が2週間後くらいできってあるので、2週間の滞在と言わないと辻褄が合わない)

次におすすめしていただいたのは...
ノーマルチケットを買うこと。
帰国便は変更も出来るし、五番街のJALオフィスで返金までしてもらえるから、その返金してもらったお金でNY→東京→NY のディスカウントチケットを購入すれば良い。
つまり往路の東京→NY分が高い買い物になってしまうけど、計画としては完璧とのことでした。

私もこの案に賛成しました。

いよいよ出発の日を迎えました。
成田空港までは問題なく行けました。(あたりまえですよね)
空港のこともわからないことだらけでしたが、男女7人夏物語で見た光景に感動しまくり、テンションが高かったので何とかなりました。

JALのチェックインカウンターに到着し、パスポートとチケットを係員に渡します。
すると彼女はパソコンのキーをカタカタと軽快にたたき、一瞬モニターを見つめる顔が固まり、こういいました。
「少々お待ちください...」

一瞬にして私を不安に陥れた、チェックインカウンターの女性。
「この場におよんでなんだよ~」

女性は私のチケットを持って、少しはなれたところにいたスーツの男性に話しに行きました。

「...。」

1分もかからなかったと思いますが、私の指先は何発カウンターをたたいたかわかりません。
女性は表情に変化なく戻ってきて、パソコン作業を続けました。
私のスーツケースとギターケースにはタグが取り付けられ、「お待たせしました」とボーディングパスが手渡されました。

「ビジネスクラス」と書かれています。
「何だよ!エコノミークラスの紙を切らしちゃったんなら一言そういえよ!」と少々不機嫌な私。

出国を終え、搭乗口へ。
人であふれています。
こんなにたくさんの人がニューヨークに行くんだ...と妙に感心したのを覚えています。

飛行機に乗ってみると私の席は通路側で、隣り(窓側)にはサラリーマンらしき男性が座っていました。
「クッソー!景色見えないじゃん」←カウンターの女性に対して

初めての国際線は眠れないし、揺れると怖いしで私にとっては最悪のフライトでした。

ところが...

実は私、このとき自分がビジネスクラスに乗っていることに気づかずにいたのです。
要は世の中にディスカウントチケットなるものが出回り始め、あっという間にメジャーになった時期だったので、ノーマルチケットを持った人間がほとんどいなかったのだと思います。
チェックインカウンターの女性は、大金を支払った私に気を利かせてくれてアップグレードしてくれたのでした。

では、そのことに私が気づいたのはいつでしょう?

ビザ取得のための一時帰国をした際です。
飛行機に乗り込み、「やっぱファーストクラスってすごいわ」なんて思いながら、自分の番号の列を目指します。
「そうそう。こんなだったなあ。」
ビジネスクラスのセクションを通り過ぎ...
私の眼前に広がったエコノミークラス。

しかも私の席は真中のブロックの、しかも真中の席...

往路でそうとは知らずに(それが当たり前という感覚で)乗ったビジネスクラス。
私は得をしたのでしょうか? 損をしたのでしょうか?
カウンターの女性が一言「アップグレードしておきました」と言ってくれれば、さぞ気分の良いフライトだったことでしょう。

そもそも私がビジネスクラスの存在を知らなかったことが一番の問題なのですが...
やはり無知は残酷です。(笑)

2008年1月21日

アパートの老人 まとめ編

数回にわけて書いた記事ですが、ここでまとめておきます。
一部修正しております。

私がその老人に会ったのは、アパート入居後間もない頃でした。
私から1~2週間くらい遅れての入居でした。

ただ、老人は隣のブロックの同じ家主の物件から引越しというよりは、移動してきたのでした。

老人にはじめて話しかけられたときのことは今でもよく憶えています。
「どこから来たんだ?」
「日本です。」

その後彼は自分のことをあれこれ話しはじめたのですが、老人特有の~自分の話は長々とするが他人の話はあまり聞いていない~印象で、20歳そこそこの私には耐え難いものでした。

恐らく5分くらいのものだったと思いますが、ひどく長く感じ、イライラしました。

そもそもほとんど英語ができなかったころの話ですし、「第2次世界大戦にアメリカ兵として出兵した」と言ったので、敵国であった日本のことはあまり良い印象ではないだろうと思い、一刻も早くその場から立ち去りたかったです。

彼は身長170cmくらいの痩せ型で、白髪。
いつも洒落た帽子をかぶり、だらしない格好や、半ズボンでいるところは見たことがありませんでした。
そして「自分はプエルトリコ人だ」と言いましたが、実際の話なのか、哲学的な話なのかはわかりません。
いつも一人でいましたので、結婚していたのか、子供はいるのか...など何度か訊いたことがあるのですが、答えてくれませんでした。
私が質問をしても、私の英語が未熟だったのか... 質問に答えてくれたことは一度もありませんでした。 

彼は年金生活で、一日の大半をアパートの前で通り行く近所の人たちと話をして過ごしたので、ブロックでは皆が知る存在でした。
気分のいい日は通行人を呼びとめ、歌を歌って聞かせました。
相手の目を見て真剣に訴えかけるようにして歌いました。
時には人を自分の部屋に招き入れ、レコードをカラオケにして聞かせました。
まだ音楽がビジネスとして大きくなる以前の、古い年代の音楽だと思います。

他人が歌を聞かされているところを目撃すると私は楽しくて仕方ありませんでした。
すれ違いざまに "犠牲者" を見ると、皆一様に「何とかしてくれよ」「まいったよ」という目で訴えかけてきましたので、私はニッコリと笑ってやりました。
「我慢しろよ!」という思いを込めて。
私なんて何度そのめに遭っていることやら...

ポストに入りきらない郵便物が届くと、老人が預かってくれていました。
そんなときは帰宅した私に、右手の人差し指をクイクイとして知らせてくれました。
私は荷物を受け取ると、彼が口を開く隙を与えず例を言って立ち去りました。
多少でも話をしようものなら、歌地獄に突き落とされることがわかっていたからです。
数回は立ち去ろうとしたときに呼び止められ、地獄を見ました。

彼のことを煙たく思っていたのは私だけではなかったようですが、彼と同年代の老人たちは本当に楽しそうにしていました。
アメリカ人には年齢をいった人でも普通に(気軽に)話ができる人が多かったのですが、その光景を見るとジェネレーションギャップを感じずにはいられず、実は老人たちが若いものに話をあわせてくれてたんだなぁと思いました。

彼の暮らしぶりは質素でした。
朝は早く、夜は8時には就寝。小鳥を飼い、テレビは持たず。
夕食はスープが多く、ラジオを聴きながら食べていました。
雨の日はアパートの中で大音量でレコードをかけ、それに合わせて歌いました。
足を肩幅に開き、手を後ろで組んで、真剣に歌いました。

アパートの玄関のすぐ脇の部屋だった彼は、いつも自分の部屋のドアを開けっ放し、ホールに生活臭と加齢臭を撒き散らしました。
アパートの住民みんなが迷惑していましたが、誰も彼に文句を言いませんでした。
どうやら人の話を聞かない姿勢は徹底していたようです。

私が帰国する日、アパートの前でタクシーを拾い、階下の女性が見送ってくれましたが、その場にいつもいるはずの老人はいませんでした。

その前日には会ったと思いますが、どうせ明日お別れを言えると思い、結局言えないままになってしまいました。


8年後...


私は再びニューヨークの地を踏みました。
やっと友人たちに会いにいける時間ができたからです。

階下の女性とは手紙を半年に1本くらいやり取りしていたので、旦那と出会って3日で結婚したことも、娘が生まれたことも、郊外に家を買って引っ越したことも、旦那は家のローンを返すために仕事を二つ掛け持ち平日はニューヨーク、週末は家という生活をしていることも知っていました。

初日は時差ぼけ調整で捨てて、二日目は音楽関係の友人たちに会い、三日目に階下の女性に会いに郊外の家を訪ねました。

「アパートを見てきたよ。何も変わってないね。」
「老人はいなかったでしょ。」
「うん。いなかった。元気なの?」
「死んだわ。あなたが帰国してすぐ。」
「そうなんだ...」
「彼、一人だったでしょ。部屋で死んでいたんだけど、発見されるまでに随分かかったのよ。」
「...。」
「ほら。あのアパートのホールは臭かったでしょ。誰も死臭に気づかなかったのよ。」
「笑えない話だね。」
「大家さんがしばらく彼の姿を見ていないからって、合鍵で部屋を開けたら亡くなってたの。」
「で、どうしたの?」
「市の衛生局が死体を引き取りに来たわ。」
「家族は?」
「彼は本当に天涯孤独だったのよ。」
「結婚したこともなかったの?」
「なかったそうよ。」

私はホテルへ帰るバスの中で、彼の孤独を思いいたたまれなくなりました。
偉くはなかったけど、正しく生きた人でした。
ただ、パートナーにめぐり合えなかったのか、結ばれない恋を選んでしまったのか...そこのボタンがうまくかけられなかっただけなのに、誰にも看取られず一人で死んでいきました。

どうして彼はニューヨークでの一人暮らしを選んだのでしょうか。

郊外に越した階下の女性がこう言っていました。
「ニューヨークから離れると自分が世間から切り離された気がするわ。」

2008年1月20日

低燃費系でビュンビュン系

日産ノートのCM、個人的にはかなり好きです。
どうしてそんな話題を「海外生活、ロングステイ、留学」のコラムで書くのかといいますと...

CMで男の子キャラが NOTE のことを「ノテ」というじゃないですか?

あれが、忘れていたことを思い出させたからです。

私は高校2年、3年とバンド活動に没頭しました。
うるさい系のロックが大好きでした。
ちょうど和製ハードロックバンドが微妙に一部マニアの間でブームになりだした頃で、ラウドネスを筆頭に、アースシェイカー、44マグナム...と次々にデビューし、「今月のお小遣いではどれを買おう?」状態でした。

同じクラスだったKくんは、44マグナムが好きでした。
かなりビュンビュン系のバンドでした。

44マグナムのデビューアルバムのタイトルは DANGER でした。
休み時間にKくんと話していると...
「あのよう、ダンガーってよう xxxxxxxxxxxxxx け?」

 ...ダンガーって何?

「ダンガーってなに?」
(お前はアホか!?)「マグナムやんけ」

*(     )はKくんの顔にそう書いてありました。

「デンジャーやろ?」
(こいつ何やねん!?)「ダンガーやんけ!」

「アハハ。デンジャーやん。危険ってことやん。」
(こいつ話にならんわ!?)「おい、おい、F」
 ~ノートの端に DANGER と書いて~
「おいF、これなんて読むねや?」
「デンジャーやろ?」(何きいてんの?何か裏でもあるの?)
「あれっ?ダンガーちゃうんけ?」
「デンジャーやろ?」
「......。」

「な?デンジャーやって。」
「何でやねん!ダンガーとも読むやんけぇ!」

って話なんですけど、思い出したのはそのことではなくて...

ある日、私がニューヨークから実家に電話したときのことです。
母がこう言いました。
「そういえば、この間高校の同級生やってKくんってこが電話してきたよ。」
「何て?」
「今度ニューヨークに行くもんで、あんたの住所を教えてくれへんか?って。」
「そんで?」
「断っといた。」
「え(濁点つき)ええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ? 何で?」
「そんな名前聞いたことなかったし、本当か嘘かわからんでなぁ。」
「それで?」
「じゃあ、自分で電話するから電話番号教えてくれって。」
「それで?」
「断っといた。」
「あっ、そう。 何ていって断ったん?」
「あんたから