グランド・セントラル・ステーション その12
* こちらにコーネリアス・ヴァンダービルトについてのまとめ編をアップロードしてありますのでどうぞ♪
前回のエントリーの続きです。
1871年、コーネリアスはニューヨーク・アンド・ニューヘイヴン鉄道と業務提携し、2社が共に乗り入れる操車場を東42丁目に建設することになりました。
これがグランド・セントラル・ターミナルの前身です。
1873年、ニューヨーク・シカゴを鉄道で結びました。
そしてコーネリアスはエリー鉄道を傘下に治めようとし、それが彼の最大のライバルとなる "ジェイ・グールド" (当時のエリー鉄道の役員)との対立のはじまりとなりました。
グールドは水増し株で一時的にエリー鉄道の株価を吊り上げ、コーネリアスはそうと知らずに高値で大量の株を取得、勝利の女神はガウルドに微笑みました。
コーネリアスの損失は7百万ドルとも言われていますが、後にグールドはこのお金をコーネリアスに戻したそうです。
コーネリアスはそれまで望んだものすべてを手に入れてきましたので、この一件は屈辱的でした。
損失を被ったときに「スカンクは蹴るな」と言ったそうです。
実際にグールドにしてやられたのはこれ一度ではありませんでした。
その頃、世界恐慌がアメリカにも影響し始めましたが、そのさなかに彼はグランド・セントラル・ターミナルの建設をスタートしました。
この事業は不況で職をなくした多くの人々の生活を支えました。
ニューヨークセントラル社はこの不況下においても利益計上できた数少ない鉄道会社のひとつでした。
1877年1月4日
とても寒い日にコーネリアスは82年の生涯に幕を下ろしました。
彼の死を悼むかのように吹雪がグランドセントラル操車場のガラスの天井を割りました。
コーネリアスには敵ばかりで友人は一人もいませんでした。
子供でさえ、ウイリアム以外とは接点を持とうとしませんでした。
他の子供には自分の事業を引き継ぐ能力がないと判断したからです。
そんなエピソードから察するように彼は全く慈善家ではありませんでしたが、100万ドルをテネシー州のセントラル大学に寄付するよう遺書に記しました。
セントラル大学は後にヴァンダービルト大学に改名しました。
彼の遺産は1億ドル以上と言われましたが、そのほとんど(9500万ドル)は息子ウイリアムが相続しました。
(娘8人にはそれぞれ50万ドルしか分配されませんでした。)
彼の資産は2007年の貨幣価値に置き換えると1430億ドル(120円換算で17兆1600億円!)と言われております。
アメリカ史上2番目の資産家だそうです。
ウイリアムはコーネリアスの死後数年して西部電報会社の運営に携わりはじめました。
同じ頃、父のライバル "ジェイ・グールド" はアメリカン電報会社を創立。
西部電報会社を倒産に近いところまで追い込みました。
そしてウイリアムは計画的にアメリカン電報会社の買収を余儀なくされ、グールドは莫大な財を築きました。
以上です。







