2007年7月30日

英語で話すとき

海外で英語を学ぶ(語学留学をする)ことについて、夢見るだけではなくて、現実を知った上でご自身の進路を決めていただきたいという気持ちで、海外生活の実情を書き進めておりますが、海外に住まないと(留学しないと)身につかない重要なことがあります。

それは話し方です。

英語圏の人たちの話し方は、見出しや結論を先に述べ、その意味を後から補足するように話します。
例えば...
「とても嬉しかったよ。私の誕生日にこんなにもたくさんの友達が集まってくれて。しかも雨の日に。」

それを一般的な日本人が言うと、こうなるのではないでしょうか?
「雨の中、私の誕生日にこんなにもたくさんの友達が集まってくれて、とても嬉しかったよ」

私たち日本人は後者で考える頭になっていますから、話を途中まで聞いて結論を察することが得意です。別の言い方をすると私たちは結論をはっきり言うと角が立ちそうな場合に、あえて結論をぼかすところがあり、聞いている側が意味を察して受け取り、会話が成立することがあります。

これは英語圏ではあまり見られないことです。(全くないわけではありません)

日本で暮らす外国人はこれを理解すべきだと思いますが、日本人が海外に出た場合、その国流を身につけなくてはなりません。実際に海外で生活すると(留学すると)それを体得することができ、駅前留学との違いはそこにあると思います。

私は社会人としての人格を形成する時期に5年弱の時間を英語圏で過ごしたせいか、まず見出しや結論を先に述べる癖がついてしまい、帰国後上司によくそこを指摘され注意を受けました。

日本で営業系の仕事をする場合、「無理だ」ということを伝えるにも「○○でして、難しいです」と言ったほうが角が立ちません。しかし、英語では「無理=no can do」と「難しい=difficult」は別のニュアンスなので、大体私はまず「無理です」といって理由を聞いてもらう間もなく取引先を怒らせました。そして上司にも怒られました。キツイ印象になるみたいでした。

これを日本流に直すのは結構時間が掛かりました。
...というか、今でもたまにですが自覚症状があるときがあります。(笑)

2007年7月28日

ディスカッション

語学留学の授業内容が日本の英語の授業とほとんど同じだということは以前のエントリーで書かせていただきましたが、一番違うところはディスカッションの授業があることです。

先生がテーマを決めて、それについて生徒が自由に(勝手に)自分の意見を述べるわけです。

私はこの授業が大変嫌いでした。
理由1 クラスの半分は日本人=日本人同士で英語=こっぱずかしい
理由2 皆いつも同じことばっかり言っている=飽きる
理由3 内容が浅すぎる...

やはり、日本人同士が英語で話すのはいつまでも馴染めませんでした。片方がネイティヴのように話せて、チャンピオンとチャレンジャーの関係ならまだしも、私が通った学校はテストの成績でクラス分けしていたので、何だか中1の時の教科書の読み合わせのようなことになってしまうわけです。ちなみに私の中1の教科書は Ken Oka と Bill Brown でした。(笑)

テーマが何であれ、結局「あなたの国では...」「私の国では...」になってしまい、クラスの半数が日本人ですから、最終的に日本人vsその他になってしまうわけです。

だけど大してしゃべれない者の集まりで発展性のあるディスカッションができるはずもなく、そこに"だいたひかる"がいたら「ど~でもい~ですよ」連発です。

一番嫌だったのは「人によるけど」という前置き。
It depends on the person. って言うんですけど、1クラス中に何百回出てくるんだ!?
猫も杓子も「人によるけど」、何を聞いても「人によるけど」...

「あなたの国では...?」
「人によるけど、私は... あなたの国は?」
「人によるけど、私は...」

それを「うんうん」とうなずきながら聞いている先生の忍耐力の強さには毎度頭が下がりました。

一人日本人でボソボソ話す生徒がいました。
次から次へと言葉が出てくるのですが、ほとんど聞き取れないほどボソボソしゃべり、それがかえって他の日本人に「あいつすんげえ喋れんじゃん」という印象を与えました。
「何だかイタリア人の彼女と同棲してるらしいぞ」なんて噂でした。

このボソボソ君、ものすごく冷めた性格で、「しょーがねー」「意味がねー」「めんどくせー」を連発。
ディスカッションでも一貫してこういうものの言い方をしていました。
そして笑顔がない...

私なんかは「お前もうちょっと真面目にやれよ」と何度も言いそうになりましたが、自由の国アメリカはそれを彼の個性として受け入れるのです。その懐の深さスゴイです。

彼は英語で話すことに慣れていてやたらボソボソ話せましたが、今思えば何で俺たちと一緒のクラスだったのでしょうか?
文法的にむちゃくちゃ間違ったトークだったってことでしょうか?

まあいいや。人によるってことで。(笑)

2007年7月24日

英語の授業は大切です。

よく耳にすることですが、日本の学校で勉強する英語は無意味だと思っていらっしゃる方、結構多いのではないでしょうか?

英会話としては「どーなのよ?」と思うところはたくさんありますが、文法は大切です。
実際語学留学しても日本の授業と同じようなことがすべて英語で進められるだけですので、今の現場はわかりませんが、私が中学生、高校生だったころの英語の授業はレベルが高かったとさえ思います。

話す、コミュニケーションをとる場面を考えていただければわかっていただけると思いますが、日本であなたが外国人から声をかけられたとしましょう。

「私来るアメリカから昨日ばっかり。私わからない買うは切符。」
このアメリカ人が何を言いたいのか伝わっていますか?
勘の良い人でしたら、切符の買い方がわからないんだな...と受け取るでしょうが、大抵の人は「え?」と訊きなおすことでしょう。そして日本語が不自由なんだなと子供に話しかけるような日本語で教えてあげることでしょう。

一方...
「すみません。昨日アメリカから来たばかりで、切符の買い方がよくわからないのですが、京都まで新幹線で行くにはどこでどうやって切符を買えば良いでしょうか?」
こう訊かれたらどうですか?
ごく普通に日本人に対して説明するかのように教えてあげませんか?

単語の羅列とボディランゲージ、あとは度胸!みたいな英語の話し方をすると、用件が伝わったとしても相手からは一線引かれた扱いを受けることになりがちです。

留学、ロングステイなどで長期間海外に滞在する場合、やはり現地人の友人がいたほうが何かと心強いですし、一生の友人となるかもしれませんから、まずは文法的に正しい言葉で話すこと、これ重要です。

日本の中学、高校で6年間学んだ英語が身についていれば文法的には充分日常生活をこなしていけます。

2007年7月18日

不得意の理由

私たち日本人は、実はかなり英語ができますが、多くの人は苦手意識を持っており、その実力を封印してしまっています。

これはなぜでしょう?

私が個人的に感じることですが、中学、高校で勉強する英語の重要度が高すぎることがひとつの原因ではないでしょうか。理系の道に進もうが、文系の道に進もうが、受験という場面で英語の重要度は大変高く、学生は「勉強させられてしまう」現実があり、重要度が高いゆえ「間違ってはいけない」という感覚が知らず知らずのうちに身についてしまっていませんでしょうか?

それに、日本人の英語教師の発音... あれはどうなんでしょうか?
生徒も「こんな発音で通じるわけがない」と思いつつ、そういう発音で学んでいきます。

この2点だけで「苦手意識」は充分にでき上がるような気がします。

「間違ってはいけない」という潜在意識が「わからない」という気持ちに発展し、「発音が悪い」が話すことを億劫にしてしまいます。

英語に囲まれて1年も生活していると、日常生活の会話はほぼ「聞き取る」ことができるようになります。しかし、「聞くこと」と「話すこと」は別のものなので、「話す」ことができるようになるまでにはもう少々の時間が必要です。

大抵の人は、徐々に話せるようになるのではなく、スイッチがオンになったようにある日突然話しはじめます。
私もそうでした。

そのときの自分の気持ちを思い起こすと、勉強してわかってきたから話し始めたのではなく、「間違えたら恥ずかしい」とか「話せない」といったネガティブな気持ちが、雨雲が去るように去っていっただけでした。

もちろん間違いだらけだったと思いますが、ある程度は伝わったと実感しました。

でも!

学校の勉強も大切なのです。
次回はそのあたりのお話を...

2007年7月 9日

品格の問題

1992年9月にアメリカから帰国した私は同年11月旅行会社の現地駐在員としてシドニーにいました。

そのあたりの経緯についてはまた機会がありましたら書かせていただきますが、英語ができる日本人ということで決まったわけです。

自分でも英語については特に心配することがなかったので、あとはオーストラリアの生活をどれだけエンジョイできるか??ということばかりが気になっておりました。

初めての出勤日、10人あまりのオーストラリア人を前に自己紹介をしました。「すごいアメリカ訛りだ」と誰かがいいましたが、そこに悪意を感じなかったので気にしませんでした。

ある日同い年のオーストラリア男児とちょっとしたことで口論となり、そのとき彼がこういいました。
「俺はニューヨークサブウェイイングリッシュは理解できないんでね。」
その場では気にならなかったのですが、後から「ニューヨークサブウェイイングリッシュ」と言った彼の真意を考えるとただ事ではない気がしてきました。

そもそも私はオーストラリアで暮らし始めてからもアメリカ流(ニューヨーク流?)を通していました。
日本人が友人に会って「おうッ!」という場面...
オーストラリア人は「グダイ、マイ」(Good day, mate.)←日本人には馴染み薄ですよね。
私は「ワッツアップ、メン」
オーストラリア人にしてみれば、アメリカンスラングを使う日本人がとても奇妙で鼻についていたのでしょう。

社内で別のオージーとふざけていたとき、それを見ていた女子が「katzのしゃべり方はエディマーフィーそっくりだわ」...なんてこともありました。

結局私はアメリカで友人に囲まれ、その中で英語を勉強したために、カジュアルな...というか、ビジネスなどの緊張を伴う場では普通使わないような言葉遣いをしていたわけです。

日本で暮らす外国人の中には、彼女から日本語を習ったという人も珍しくなく、結構女性言葉だったりするじゃないですか?

オーストラリア人は基本的に古き佳きイギリス文化を継承している(ニュージーランドよりは砕けている)ので、ロイヤルな物腰、ジェントルな行動を評価し、品格を重視するところがあります。(私が感じただけかもしれません)

それ以降、人の話し方を注意して観察するようになりました。

さて、仲間とつるむのも日常、仕事も日常、はじめましての出会いがあるのも日常...
では、日常会話ってどこからどこまででしょうか?

次回はそんなことを書いてみます。