2007年11月13日

留学生が帰国後に直面する現実

先日ただテレビをつけ、パソコンに向かっていると面白い番組が始まり、思わず手を休め真剣に見てしまいました。

ボルネオ島にオランウータンの保護施設があって、怪我をして治療が必要なオランウータンや育児放棄にあった小猿なんかの面倒をみて、いずれは森に返してあげるのが目的です。

そのテレビ番組とはフリーター版オランウータンのそれで、フリーターから卒業したい人たちと、彼、彼女らが通う~正式名称は忘れました~社会人養成塾(実際には企業です)を紹介するものでした。

その中で、留学をした女性がいました。

彼女のプランでは留学し、帰国後英語を活かした職業に就くことになっていましたが、現実は彼女のプラン通りには進みませんでした。
そこで彼女が選んだのがアルバイト生活でした。
選んだというよりは、その現実を受け入れるしかなかったのです。

彼女はインタビューでこう言っていました。(私の解釈が混じっています)
留学前は同級生と同じラインに立っていた。
帰国すると同級生たちは社会人として生活していて、ボーナスをもらっていました。
たまに会って食事をすると、「ボーナスでたから今日は奢ってあげるよ」なんてケースがではじめました。
そのとき彼女は自分が同級生たちからおいていかれた感じにショックを受け、このままではいけない、人生巻き返すんだと入塾したわけです。

実は私にも似た経験があります。
5年弱もの海外暮らしで、自分なりに充実した時間を過ごしてきたつもりでしたが、帰国後すぐに同級生が結婚し、マンションを買ったと聞いたとき、生まれて初めて人生に焦りを感じました。
そのとき自分は日本での社会人1年生で、営業のルールなんかを教えてもらっている状態... 貯金ゼロ...
かたや同級生は良きパートナーを得てマンション購入ですから、大きく差をつけられた気持ちでした。

海外に飛び出した自分の決断が間違っていたのでは?と、後悔にも似た気持ちになったのは正直なところです。

でも、今自分が思うことは他人の人生と自分の人生を比較するのはつまらないということです。
負け惜しみや開き直りではないですよ。(笑)

自分が留学している間に社会人として同級生たちに遅れをとってしまうのは紛れもない事実です。
留学ガイドブックの1ページ目に必ず書かれていなくてはいけないほど明白です。

私がそのときに焦りを感じてしまったのは、人生設計ができていなかったからです。
同級生たちと自分の位置関係ばかりが気になり、自分がどういう仕事をして、どのように生きていくのかという部分はほぼ白紙状態だったからです。

はっきりとした人生設計はないけど、とにかく留学したいという人は学校を卒業する前に休学して実行してはどうでしょうか?
社会に出るとき、新卒のほうがチョイスの幅が広いです。

2007年9月28日

ルームシェア

欧米の独身者の間ではルームシェアがかなり浸透していて、普通のことといっても過言ではありません。

日本人留学生がルームシェアを考えるときに何をどうすればいいのか、私の経験から勝手に書かせていただこうと思います。

まず、ルームシェアには自分が部屋を借りてルームメイトを探す場合と、ルームメイトを探している人のところに自分が行く場合の二通りがあります。
経済的に楽なのは後者です。
前者の場合、ルームメイトがいない期間、大きい金額の家賃を支払わなければならないからです。

次に方法ですが、日系のお店(レストラン、スーパーなど)に行くと、掲示板を設置しているお店が多く、そこに日本人でルームメイトを探している人や、外国人で日本人とシェアしたいと思っている人などがメモを貼っていますので、これらを利用するのがよいでしょう。

私個人の意見ですが、外国人とシェアするより、日本人とシェアするほうがストレスが少なくて済むでしょう。
お互いに干渉しないというルールがありますが、バスルームやキッチン、冷蔵庫などどうしてもシェアしなくてはならない場所があり、やはり生活習慣の違いが大きい外国人と暮らすのは相当な覚悟をして臨んでも、それ以上のストレスに見舞われることが多いようです。

また、外国人とルームシェアする=英語を話せるということではありません。
「今日はどうだった?」くらいの会話はありますが、そんな会話を刺激的と感じるのも最初の数ヶ月だけでしょう。

さて、ルームシェアについて私の超個人的見解ですが...

ワーキングホリデーでいろんな都市に住み渡ろうと計画している人以外はシェアは考えないほうがいいと思います。
ルームシェアによるメリットはいろいろありますが、身の丈にあったところで生活するのが一番です。
自分でアパートを探し、電話、電気、ガスなどの契約を行い、困ったときは同じアパートの住民に声をかける...そんな生活のほうがよっぽど勉強になると思います。

2007年7月28日

ディスカッション

語学留学の授業内容が日本の英語の授業とほとんど同じだということは以前のエントリーで書かせていただきましたが、一番違うところはディスカッションの授業があることです。

先生がテーマを決めて、それについて生徒が自由に(勝手に)自分の意見を述べるわけです。

私はこの授業が大変嫌いでした。
理由1 クラスの半分は日本人=日本人同士で英語=こっぱずかしい
理由2 皆いつも同じことばっかり言っている=飽きる
理由3 内容が浅すぎる...

やはり、日本人同士が英語で話すのはいつまでも馴染めませんでした。片方がネイティヴのように話せて、チャンピオンとチャレンジャーの関係ならまだしも、私が通った学校はテストの成績でクラス分けしていたので、何だか中1の時の教科書の読み合わせのようなことになってしまうわけです。ちなみに私の中1の教科書は Ken Oka と Bill Brown でした。(笑)

テーマが何であれ、結局「あなたの国では...」「私の国では...」になってしまい、クラスの半数が日本人ですから、最終的に日本人vsその他になってしまうわけです。

だけど大してしゃべれない者の集まりで発展性のあるディスカッションができるはずもなく、そこに"だいたひかる"がいたら「ど~でもい~ですよ」連発です。

一番嫌だったのは「人によるけど」という前置き。
It depends on the person. って言うんですけど、1クラス中に何百回出てくるんだ!?
猫も杓子も「人によるけど」、何を聞いても「人によるけど」...

「あなたの国では...?」
「人によるけど、私は... あなたの国は?」
「人によるけど、私は...」

それを「うんうん」とうなずきながら聞いている先生の忍耐力の強さには毎度頭が下がりました。

一人日本人でボソボソ話す生徒がいました。
次から次へと言葉が出てくるのですが、ほとんど聞き取れないほどボソボソしゃべり、それがかえって他の日本人に「あいつすんげえ喋れんじゃん」という印象を与えました。
「何だかイタリア人の彼女と同棲してるらしいぞ」なんて噂でした。

このボソボソ君、ものすごく冷めた性格で、「しょーがねー」「意味がねー」「めんどくせー」を連発。
ディスカッションでも一貫してこういうものの言い方をしていました。
そして笑顔がない...

私なんかは「お前もうちょっと真面目にやれよ」と何度も言いそうになりましたが、自由の国アメリカはそれを彼の個性として受け入れるのです。その懐の深さスゴイです。

彼は英語で話すことに慣れていてやたらボソボソ話せましたが、今思えば何で俺たちと一緒のクラスだったのでしょうか?
文法的にむちゃくちゃ間違ったトークだったってことでしょうか?

まあいいや。人によるってことで。(笑)

2007年7月22日

ニューヨークの家賃

ニューヨーク州は広いです。
ニューヨークシティで仕事をしている平均的な妻子持ちサラリーマンは、電車やクルマで通勤し、マンハッタン近郊で暮らしています。

東京で仕事をする日本のサラリーマンと同じです。

日本からの留学生の場合、マンハッタン、クイーンズ、ブルックリンにアパートを借りるのがほとんどですが、これらは東京で言うなら23区内にあたります。特にマンハッタンは山手線の内側といっても良いでしょう。そう考えると当時のニューヨークの家賃は東京より安かったです。

しかし、私が帰国した後ニューヨークでは地上げが行われ、逆に東京はバブル崩壊で値下げとなりましたから、今は逆転しているかもしれません。

ところで、このニューヨークの地上げは何が目的で、誰が仕掛けたのでしょう?
目的は治安の向上、仕掛け人は当時の市長です。

私がいた頃のニューヨークはホームレスが街にあふれ、そこらじゅうに落書きがされていて...、まあそれがニューヨークのひとつの魅力でもあったわけですが、暮らしているものにとってはやはり安全でクリーンなほうが良いに決まってます。

そこで低所得者層がマンハッタンから追い出され、その手段として家賃の値上げが行われたわけです。アメリカといえば自由の国。そんなことが許されるのか?と思うかもしれませんが、アメリカ人が考える自由と日本人が考える自由は別物なのです。

これはアメリカで暮らさないとわからないことだと思いますので、そのへんはまた別のエントリーで書きたいと思います。

2007年7月 8日

遊ぶ暇はなかったです。

私の場合、22歳で渡米、ニューヨークで3年ちょっと暮らし、その後シドニーに赴任するために一時帰国したときは26歳だったわけですが、当時の自分の考え方や、生活態度を振り返ると、今の22~26歳の人たちとは大きなジェネレーションギャップがあり、つまり私たちの世代はもっと浮かれた毎日を過ごし、別の意味でその日暮らしだったし(フリーターという言葉が存在せず、就職しないでバイト生活を続ける者が現れ始めたのが私たちの世代)今の人たちのような堅実な気持ちを持った人は少なかったです。

なので、今の人たちが留学しようと決意する背景と、私たちの世代のそれとは大きく違うかもしれません。私たちの頃は留学生症候群なる言葉が生まれ、大学、短大をもうすぐ卒業だけどちょっと遊び足りない、まだ社会に出たくない...といった気持ちから安易に留学を選ぶ学生が多かったです。

もっとも、そういう気持ちで留学した人の多くは自分が思い描いた生活と現実とのギャップについていけず学校を辞めてしまったり、早々に切り上げて帰国しました。

何しろ語学留学ですら日本の学生生活とはかなり違う現実があり、逆切れしてしまいそうな宿題の量に遊ぶ暇などほとんどありませんし、クラスの半分は日本人。放課後外国人とカフェで語り合ったり、ショッピングに出かけたり...なんて世界はありません。英語が満足に使えない人たちが集まってくるクラスですから、仮にヨーロッパから来た生徒と話す機会があっても、冷静に考えると極めて幼稚な会話しかできていないので、楽しくないのです。たとえば、イタリアリラは桁数が多いのでチョコ1個が...じゃあフェラーリは何桁だ?... そんな会話を刺激的と感じるかつまらないと感じるかはその人次第だと思いますが、私は最後まで学校で友達を持つことはありませんでした。

もし留学を考えている人の中で、私の世代的な期待を膨らませている人はよ~く考え直したほうがいいかもしれません。1年外国で暮らして得るものはそれなりにあると思いますが、1年日本にいないことで失うものがあることを忘れないでください。そして、どれだけまじめに学校に通って宿題をこなしても、1年では英語を話せるようになれません。海外旅行で家族や友人をエスコートできるくらいにはなれますが、日常生活を難なくこなせるようになるには最低でも3年の全力疾走が必要です。

なんて、偉そうに書いてしまいましたが、実は私は宿題をしたことがありません。
同じアパートで暮らしていたミュージシャンとバンドを結成し、米語を学びました。学校に通いながら本気で音楽で食べていこうとしている人たちと一緒にバンド活動をすると遊ぶ暇など全くなく、宿題をする時間さえありません。当然学校では落ちこぼれです。結局"結果として英語が身につけば良いんだ"というひねくれた考え方を最後まで貫きましたが、後にそれが間違いだったことを知ります。オーストラリアに行ってから...

次回はそのお話でも。