2007年12月30日

日本人花嫁失踪事件

1992年12月シドニーの免税店DFSにて日本から来たハネムーンカップルの新婦が行方不明になりました。
当時オーストラリアは治安の良さを売りものにハネムーン客にものすごい人気がありました。
この事件がきっかけで日本からの観光客が減少することを危惧したオーストラリアは花嫁の捜索に躍起になりました。
残された新郎はテレビ出演し、「帰ってきてくれ~」と訴え、世間の同情を引きました。
結局新婦は計画的に他の男性ともうひとつのハネムーンを楽しんでいたという話です。

当時私はシドニーにいたのですが、研修期間中で、会社の指示により支店にいた香港人マネージャー宅にホームステイでした。
とても良くしてもらったのですが、食事が私には合わなくて...
何かと口実を作っては外食後帰宅するようにしていました。
リビングにいると色々と気を使われてしまうので、私は自分の部屋にこもるようになりました。
3ヶ月間のことだと思えばさほど苦にもなりませんでした。

そういう生活だったので、実は日本人花嫁が失踪して大変なことになっているなんて全く知りませんでした。
会社でも誰もその話をしませんでしたし、恐らくオーストラリアではさほど大きなニュースにならなかったものと想像できます。
日本のマスコミがオーストラリアでも大騒動になっていると大袈裟な報道をしたのでしょう。
よくあることです。

私が事件を知ったのは随分後のことで、シドニーの知人から聞かされました。
当人たちは帰国後日本で吊し上げに近い会見をしたそうですが、オーストラリアではもみ消されるような形でマスコミがフェードアウトしていったようです。

当時オーストラリアに住んでいた日本人はかえって事件の真相を知らないようでした。
私が聞いたのはこういう話でした。
「何でも新婦は昔ワーキングホリデーでオーストラリアにいたらしい。そのときに交際していたオーストラリア人男性とシドニーで落ち合う約束をしてシドニーの北方面近郊のリゾートでよろしくやってたらしい...」

私はずっとそう思っておりました。

それにしても、日本のマスコミの対応とオーストラリアのそれには大きな差があったわけですが、国民性を象徴しているようで興味深いです。
もちろん日本は迷惑をかけた側なのでわかる部分もあるのですが、記者会見なんて必要だったのか...個人的にはよくわかりません。
江戸時代の日本はボヤで終わったとしても付火をした者は死刑と決まっていたそうですが、その感覚が今の日本人の心の奥底に残っているのでしょうか。

ただ、オーストラリアでは1997年にこの事件をモデルにした映画を公開しています。
主演はラッセルクロウと工藤夕貴で、タイトルは「へヴンズ・バーニング」です。
オーストラリア版ボニー&クライドとでもいいましょうか...
失踪事件を忠実にドラマ化したものではありません。

1992年12月といえば、「もうすぐインターネットってものが...」という時代でしたから真実が埋もれてしまったこともあるでしょう。
今オーストラリアの新聞社のサイトやテレビ、ラジオ、一般ニュースサイトなどどこを見ても記事は見当たりません。(5日間検索した結果ですが...)
日本のサイトでは、時期すら正確に書けていない記事ばかりで、信憑性に欠けています。

「そういえばあんな事件があったっけ... 知らないことだらけだし調べてみるか...」
が、検索の始まりでしたが、なんだか途中でバカバカしくなってしまいました。
日本のサイトにあるのは新婦の容姿をイジル記事ばかりで、さんまが真似しただの実にクダラナイものばかり。
しかも憶測と推測の塊でしかなく、欲しい情報は何も取れません。

同じようにこの事件のことを調べる人の少しばかりのお役に立てればとこのエントリーを書きました。
私は話の筋は分からずじまいでしたが、時期は1992年12月です。

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