グランド・セントラル・ステーション その11
* こちらにコーネリアス・ヴァンダービルトについてのまとめ編をアップロードしてありますのでどうぞ♪
前回のエントリーの続きです。
1849年、カリフォルニアはゴールドラッシュに沸きます。
コーネリアスは1851年に探鉱者向けにニカラグア共和国経由カリフォルニア行きの運航を開始しました。
ニューオリンズ発、船中泊にてニカラグア共和国へ、大西洋側から太平洋側へ陸上移動し、別の船に乗船、サンフランシスコへ北上しました。
これにより従来のパナマ地峡コースに比べ960kmの近道となり、料金を半額に設定しました。
このビジネスは大成功を収め、経営が苦しくなった競合会社は彼に1ヶ月5万ドルにて、この路線の運行停止契約を結びました。
1855年には豪華客船にも着手し、数年間フランス線を運航しました。
1844年、コーネリアスはロング・アイランド・レイルロード社の役員に選任されました。
当時ロング・アイランド・レイルロード社は蒸気船接続のニューヨーク・ボストン線を運行していました。
そして1857年、彼はニューヨーク・ハーレム鉄道の役員になりました。
そこでまたしてもダニエル・ドリューがライバルとなりました。
情勢はドリュー優勢でしたが、コーネリアスは海運業の資本を徐々に引き上げ、ニューヨーク・ハーレム鉄道、ハドソン・リバー鉄道、そしてニューヨーク・セントラル鉄道と次々に買収、会社の強化を重ね、1869年ニューヨーク・セントラル・ハドソン・リバー鉄道へと合併を果たしました。
1868年、妻のソフィアが死亡。
翌年コーネリアスはカナダでアラバマ在住、43歳年下のいとこと再婚します。
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余談ですがコーネリアスは鉄道事故に巻き込まれたことがありました。
1833年11月11日、カムデン&アンボイ社の汽車がニュージャージー州ハイツタウン近郊の牧草地で脱線事故を起こしました。
このアメリカ鉄道史上最も初期の鉄道事故のうちの1つにコーネリアスは巻き込まれました。
彼は肋骨を2本折り、それが肺に突き刺さったため全治1ヶ月の大怪我を負いました。
実はこの汽車には元大統領のジョン・クインシー・アダムスも乗車していて、彼は脱線した客車の1両前に乗っていたため無事でしたが、息子を亡くしました。
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続きは次回。



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