グランド・セントラル・ステーション その10
* こちらにコーネリアス・ヴァンダービルトについてのまとめ編をアップロードしてありますのでどうぞ♪
前回エントリーの続きです。
そのうちにコーネリアスはニューヨークのフェリー運行を牛耳るまでになっていきました。
そして1813年、近くに住んでいたいとこのソフィアジョンソンと結婚、13人の子供に恵まれました。
1818年、彼は所持していた艦船を売り払い、トーマス・ギボンスが経営する蒸気船会社 "ギボンス・ライン社" に入社しました。
当時ニューヨーク議会は、ロバート・フルトンとロバート・リビングストンに蒸気船交通の30年の法的独占を与えましたが、コーネリアス(ギボンス・ライン社)は「ニュージャージー・マンハッタン線」(ニューヨークとフィラデルフィアの経済交流で重要)の運賃を勝手に安く販売し、大きな利益をあげました。
その間に、妻のソフィアはニュージャージーの停泊所近くに旅館・レストランを経営し、大成功。
こうしてヴァンダービルト家の財産はどんどん膨らんでいきました。
リビングストンとフルトンはヴァンダービルトを何とかして捕まえようとしますが、逃げられ、結局自分たちの蒸気船の操縦士として好条件で仕事をオファーしました。
彼は「私は自分の目標達成に重きを置いており、お金儲けはそれほど重要なことではない。」と答えたそうです。
彼にとっての目標とは法的独占体制の崩壊でした。
リビングストンとフルトンはギボンス・ライン社を告訴、最高裁まで争われたもの、結局彼らは独占権を失くしました。
コーネリアスは1829年までギボンスライン社に在籍し、商売のノウハウを学び、貯金をして独立。
ハドソン川で「アルバニー・ニューヨーク線」をスタートしました。
彼はまず運賃競争でダニエルドリュー社に打ち勝ち、ダニエルドリュー社を撤退に追い込みました。
すぐにヴァンダービルト・ライン社は、「ハドソン川の安価で快適な船舶」として世間から認められる存在になりました。
1940年代には彼の会社は100隻もの蒸気船を所有し、事業を拡大していきました。
競合会社はひとつにまとまり、ヴァンダービルトを追い出しにかかりました。
そして彼はロングアイランド(ニューヨーク州)・ボストン間の運行に打って出ます。
これは決して彼が負けを認めたのではなく、確実な前進でした。
彼は自らを「コモドール(提督)」と位置づけ、しばしば全身を海軍の軍服でまといました。
そして時代はゴールドラッシュを迎えます。
続きは次回。



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