グランド・セントラル・ステーション その7
* こちらに1902年の鉄道事故についてのまとめ編をアップロードしてありますのでどうぞ♪
さて、前回予告しましたようにニューヨークで1902年に起きた事故とはどのようなものだったのでしょうか?
これがきっかけで蒸気機関車の乗り入れを禁止してしまったくらいですから気になります。
では、調べた結果をご紹介いたします。
1902年1月8日のことでした。
ラッシュアワー真っ只中の8:17am、グランドセントラル手前のトンネル出口付近でハートフォード発ニューヨーク行きの列車が信号停車中に、後ろから来たホワイトプレーンズ発の列車が突っ込みました。
ホワイトプレーンズ発の列車は、停止していた列車の最後部車両を押しつぶし、なおも列車半分ほどの距離を押し進め、後部車両と機関車が横並びの状態で停車しました。
押しつぶされ、かたまりと化した鉄の残骸や、壊れた機関車のシリンダーやパイプからヒューヒューと音を発して吹き出る高温の蒸気が人々を苦しめました。
衝突の衝撃により列車は停電し、トンネル内は暗闇に包まれました。
幸いにも逃げ出すことができた人たちに救助を求める怪我人たちのわめき声が暗闇と鉄の残骸の中から聞こえていました。
勇気ある人々の救出劇が始まりました。
ニューヨーク中の救急車が集められ、5つの地区の警察官とマンハッタン東セントラル地区の消防士が集結しました。
警察官、消防士、外科医に加え、内科医、聖職者のボランティアによる救済が始まりました。
トンネル通気孔からハシゴが下ろされ、ロープと斧を持った警察官、消防士が突入しました。
無事だった乗客たちも残骸をどけるなど人命救助にあたりました。
スミス神父とウオークレイ博士(消防署の従軍牧師)は死に逝く人々に仕えました。
消防士のクラーク氏は二人の女性を救出するため手足に大やけどを負い、乗客だったマーフィー氏は自分の両足が骨折しているにもかかわらず残骸の撤去作業を手伝うなど決死の救出劇が進行する中、あと少しで救出されるところで命を落とす人もいました。
ウオークレイ博士は痛みに耐えられない人たちに覚せい剤を配りました。
すぐに治療が必要な重症者は救急隊と外科医が仮手当てを行い、地上に引き上げられました。
重症患者はすぐに病院に搬送され、パークアヴェニュー沿いのたくさんの建物が怪我人のために開放されました。
死体は安置所と警察署に運ばれました。
雪の中数え切れないほどの人が成り行きを見守りました。
今回はこの辺で...
次回へ続く。



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