2007年12月18日

1902年ニューヨークの列車事故 まとめ編

これも数回に分けてご紹介したエントリーですが、読みやすいようにまとめておきます。

1902年1月8日のことでした。
ラッシュアワー真っ只中の8:17am、グランドセントラル手前のトンネル出口付近でハートフォード発ニューヨーク行きの列車が信号停車中に、後ろから来たホワイトプレーンズ発の列車が突っ込みました。
ホワイトプレーンズ発の列車は、停止していた列車の最後部車両を押しつぶし、なおも列車半分ほどの距離を押し進め、後部車両と機関車が横並びの状態で停車しました。

押しつぶされ、かたまりと化した鉄の残骸や、壊れた機関車のシリンダーやパイプからヒューヒューと音を発して吹き出る高温の蒸気が人々を苦しめました。
衝突の衝撃により列車は停電し、トンネル内は暗闇に包まれました。
幸いにも逃げ出すことができた人たちに救助を求める怪我人たちのわめき声が暗闇と鉄の残骸の中から聞こえていました。
勇気ある人々の救出劇が始まりました。
ニューヨーク中の救急車が集められ、5つの地区の警察官とマンハッタン東セントラル地区の消防士が集結しました。
警察官、消防士、外科医に加え、内科医、聖職者のボランティアによる救済が始まりました。

トンネル通気孔からハシゴが下ろされ、ロープと斧を持った警察官、消防士が突入しました。
無事だった乗客たちも残骸をどけるなど人命救助にあたりました。
スミス神父とウオークレイ博士(消防署の従軍牧師)は死に逝く人々に仕えました。
消防士のクラーク氏は二人の女性を救出するため手足に大やけどを負い、乗客だったマーフィー氏は自分の両足が骨折しているにもかかわらず残骸の撤去作業を手伝うなど決死の救出劇が進行する中、あと少しで救出されるところで命を落とす人もいました。
ウオークレイ博士は痛みに耐えられない人たちに覚せい剤を配りました。

すぐに治療が必要な重症者は救急隊と外科医が仮手当てを行い、地上に引き上げられました。
重症患者はすぐに病院に搬送され、パークアヴェニュー沿いのたくさんの建物が怪我人のために開放されました。
死体は安置所と警察署に運ばれました。

雪の中数え切れないほどの人が成り行きを見守りました。

ヴァンダービルト氏締め出しを喰らう!

Cornelius Vanderbilt もトンネルに駆けつけましたが、警察は彼の立ち入りを許可しませんでした。
(Cornelius Vanderbilt はグランドセントラルを建てた鉄道王。ただし、創設者は1877年に亡くなっていますので、ここで登場するヴァンダービルト氏は跡継ぎと思われます。ヴァンダービルトファミリーではコーネリアス、その息子のウイリアムが2世、3世として何代も受け継がれています。)

この事故原因は結局ウヤムヤにされてしまいました。
フランクリン警察本部長は "JMウイスコー" (衝突した側のホワイトプレーンズ発の列車の機関士)の責任と主張しました。追突された側の列車が停まったとき、旗手が後続車両に停車中を知らせるサイン(ライト)をセットしたことは明らかな事実だったからです。
通気孔から雪が降りこむ日のトンネル内には蒸気と煙が充満し、視界が悪くなる傾向はありました。
ウイスコー機関士とボイラーマン(石炭をボイラーにくべる人)フリン氏が逮捕されました。
旗手も拘留されましたが、後に釈放されています。

フランクリン警察本部長は次の声明文を発表しました。
「59丁目の信号は追突された側の列車によりSTOPを示しており、後続のウイスコー機関士がこれを無視したことが事故の原因である。ボイラーマンのフリン氏が停車を促したにもかかわらずです。停止の信号を見逃すということは進行OKの信号も同時に見逃していることとなり、もし視界が悪く信号が見えなかったのであれば慎重になってしかるべきだ。」

事故に遭遇した乗客のユージン氏はこのように語りました。

「私たちは後ろから2両目の客車に静かに座っていました。客車は1席か2席しか空いていないほど混み合っていました。私の車両、最後尾の車両にはともに数名の女性が乗車していました。
私たちは57丁目で少しの間停車していました。
事故は突然の出来事でした。
車両の電気はたちまち消え、真っ暗闇になりました。
鉄と木がぐしゃぐしゃになる音と大勢の悲鳴が聞こえました。
後部車両に目をやるとそこにはつぶれた客車と、なおも轟音を上げる機関車が一緒になっていました。

私は大きなゆれによって席を投げ出され、額から大量の出血を感じました。
息苦しい煙と蒸気が一面に立ち込めました。
傷だらけになりながらも必死に抜け出そうとする人がたくさん見えました。

そのとき突っ込んできた機関車が発火しました。
もう逃げることしか思いつきませんでした。
私はすぐ右側に自分の友人をみつけました。
彼は「コンチキチョウ!開きやがれ!」と泣きわめきながら窓を開けようとしていました。
私も窓のほうへ向き直りましたが、窓ガラスは事故の衝撃ですべて割れていました。

私たちは何とか抜け出しました。
途中血だらけながら自力で抜け出そうとする人が数名いました。」

以上です。
m(_ _)m

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