アパートの老人 その1
* こちらにまとめ編をアップロードしてありますので、どうぞ♪
私がその老人に会ったのは... 憶えておりません。
物件探しの時には会いませんでしたし、入居のときはドアのところで階下の女性に会っただけでした。
ただ、はじめて話しかけられたときのことは憶えています。
「どこから来たんだ?」
「日本です。」
その後彼は自分のことをあれこれ話しはじめたのですが、老人特有の~自分の話は長々とするが他人の話はあまり聞いていない~印象で、20歳そこそこの私には耐え難いものでした。
恐らく5分くらいのものだったと思いますが、ひどく長く感じ、イライラしました。
そもそもほとんど英語ができなかったころの話ですし、自分のことを話す中で、「第2次世界大戦にアメリカ兵として出兵した」といったので、敵国であった日本のことはあまり良い印象ではないだろうと思い、一刻も早くその場から立ち去りたかったのです。
彼は身長170cmくらいの痩せ型で、白髪。
いつも洒落た帽子をかぶり、だらしない格好や、半ズボンでいるところは見たことがありませんでした。
彼は「自分はプエルトリコ人だ」と言いましたが、実際の話なのか、哲学的な話なのかはわかりません。
私が質問をしても、私の英語が未熟なのか、彼が聞いていないのか... 質問に答えてくれたことは一度もありませんでした。
いつも一人でしたので、結婚していたのか、子供はいるのか...など訊いても答えてくれませんでした。
彼は私たちのブロックでは皆が知る存在でした。
私が彼に会ったときにはもう年金生活で、一日の大半をアパートの前で、通り行く近所の人たちと話をして過ごしたからです。
気分のいい日は通行人を呼びとめ、歌を歌って聞かせました。
相手の目を見て真剣に訴えかけるようにして歌いました。
時にはその人を自分の部屋に招きいれ、レコードをカラオケにして聞かせました。
まだ音楽がビジネスとして大きくなる以前の、古い年代の音楽だと思います。
他人が歌を聞かされているところを目撃すると私は楽しくて仕方ありませんでした。すれ違いざまに "犠牲者" を見ていると、皆私に「何とかしてくれよ」「まいったよ」という目で訴えかけてきましたので、私はニッコリと笑ってやりました。
「我慢しろよ!」という思いを込めて。 私なんて何度そのめに遭っていることやら...
彼のことを煙たく思っていたのは私だけではなかったようですが、彼と同年代の老人たちは本当に楽しそうにしていました。アメリカ人には年齢をいった人でも普通に(気軽に)話ができる人が多かったのですが、その光景を見るとジェネレーションギャップを感じずにはいられず、実は老人たちが若いものに話をあわせてくれてたんだなぁと思いました。
彼の暮らしぶりは質素でした。
朝は早く、8時には就寝。小鳥を飼い、テレビは持たず。
夕食はスープが多く、ラジオを聴きながら食べていました。
雨の日はアパートの中で大音量でレコードをかけ、それに合わせて歌いました。
アパートの玄関のすぐ脇の部屋だった彼は、いつも自分の部屋のドアを開けっ放し、ホールに彼の生活臭と加齢臭を撒き散らしました。
アパートの住民みんなが迷惑していましたが、誰も彼に文句を言いませんでした。
どうやら人の話を聞かない姿勢は徹底していたようです。
続きは次回。



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