あれは1992年のちょうど今頃(9月前半)のことでした。
私はミッドタウンのレコーディングスタジオでセッションを終え、朝4時すぎに帰宅しようとタクシーに乗り込みました。
スタジオから私のアパートまでは約40ブロック...10分もかからない道のりです。
ドライバーは心なしか顔色が悪く、左手を窓枠にかけ、頭を支えながら、斜めの上体で運転しています。
普通じゃないことは明らかでした。
タクシーはコロンバスサークルを通過し、セントラルパークウエストに入りました。
すると...
「すみませんが、でんわを1本かけてもいいですか?」とドライバー
しかも泣き声です...
何があったのか、どうなっているのかはわかりませんが、そこで「ダメ」といえるほど根性が据わった人間でもない私は... その一言に精一杯の "迷惑だ" を込めて 「どうぞ」。
ドライバーはタクシーを右端に寄せ、公衆電話に向かって走っていきました。
「あっ... メーター止めていけよなぁ」
ドライバーは1分ほど話した後、タクシーに戻りました。
「どうもすみませんでした...」 とタクシーを走らせました。
無茶苦茶泣いてるやん... でもここは声をかけずに気づいていないフリをしよう... 行き先覚えてんのかなぁ?
すると後ろからタクシーが接近...
私が乗ったタクシーはドライバーが涙で前が見えていないのか2車線の真ん中を走っていて、結構なスローペースです。
後ろから来たタクシーは完全に追いつき、クラクション 「プッ、プー」
ドライバーはルームミラーで後ろのタクシーを確認。
左側の車線に移動しました。
すると、後ろから来たタクシーは右車線をドカッと加速して追い越していきました。
次の瞬間、私の寝ぼけた頭が凍りつきました!
ドライバーは「クッソー!!」と言うと、ガバッとアクセルを踏み込みたちまち追い越していったタクシーに並びました。
向こうのドライバーは "何事だ?" といわんばかりの表情でこちらを見ています。
次の瞬間私が乗ったタクシーのドライバーは「クッソー!!」と叫び、右に急ハンドル!!!
ガツ、ゴツ、ギシッ!
ガー、ゴゴゴ...
向こうはびっくりしてブレーキを踏みましたから、私たちが前に出ます。
当然ですがすごい勢いで向こうのタクシーが並びかけてきて、窓を開け「コラッ!車を右に寄せろ!聞こえてんのか、この野郎!」
私のタクシードライバーはオイオイ泣いています。
さすがにヤバイと思った私は、ドライバーに畳み掛けます。
"Go! Go! Go! Go! Lets Go, man. Go! Go! Go! Go!"
向こうのタクシーはお客さんを乗せたまま、ライトカチカチ、クラクションプープーで追いかけてきます。
ドライバーはちゃんと85丁目の角を曲がりました。
この時ばかりは彼のプロ根性に感心しました!
ヨシッ!
すると私のアパートの少し手前で観念して停車したドライバー。
自らドアを開けて降りていきました。
ものすごい口論がはじまりました。
私は一瞬の判断で、10ドル札をフロントシートに置き、こっそり右側のドアを開け、そーっと降りてすぐに路駐していた車の陰に隠れ、中腰で自分のアパートに入りました。
自分の部屋に入ると鍵をかけ、電気はつけずにじっとしていました。
外ではしばらくの間大声でやりあっていましたが、パトカーがやってきて(おそらく通りの住民が電話で呼んだのでしょう)おとなしくなりました。
ヤバイなあ...こりゃ目撃者の事情聴取でしょ!?
何で逃げた?ってことになるよなぁ...
窓の外ではパトランプの灯がアパート群を照らしていましたが、30分ほどすると私が乗ったほうのタクシーを先導してパトカーは去り、被害を受けたほうのタクシーも立ち去りました。
この日は眠れるはずもなく、警官が来て面倒なことになるといやだったので7時過ぎには出掛け、そのまま午後にスタジオに入りました。 もちろん今朝のことは誰にも言わず、寝不足と不安とストレスでクタクタになりました。
結局、警官が私を訪ねてきたようなことはなかったみたいでひとまず安心しましたが、しばらくインターホンが鳴るとドキッとする日が続きました。