2007年7月31日

ニューヨークの夏

I like New York in June ♪ って曲がありますが、6月のニューヨークは最高です。
街は緑にあふれ、晴れた日が続き、Tシャツ1枚でもOKだけど、シャツやジャケットを着てもOKで、日本の6月、梅雨入りの頃とは本当に対照的なところがまたウレシです。

日本の友人にも「遊びに来るなら6月がいいよ」とおすすめしておりました。

一方夏ですが、シーズン中暑くて耐えられなくなるのは2~3日だったと記憶しております。真夏の日中でも日陰でおとなしくしていると昼寝したくなるほど快適で、街を歩くときも日陰を選んで歩いていればバテバテになることもほとんどありません。耐えられなくなるのは雨が降った後のムシムシ状態で、夜は本当に寝れません。

結局この2~3日を我慢すればエアコンは必要ないので、買わずじまいでした。

ニューヨークで夏を4度過ごした私ですが、渡米後アパートを借りてすぐに近くのお店でエアコンのレンタルをしていることを知り、これを利用しました。 標準的なサイズのものが $400 弱でワンシーズン借りれます。

日本なら厳密に○月○日までのレンタルという契約をして、大抵は期日に、遅くとも連絡があった上で2~3日後には取り外されるのが普通ですね。ところがニューヨークでは早く取りに来てくれとしつこく電話しないと引き上げに来てくれないのが普通で、別に追加料金が発生するわけでもないので放っておくのですが、さすがに冬の気配がしてくると窓を閉めたいのでしつこく電話することになります。

そうなんです。ニューヨークのエアコンはほとんどが窓に取り付けるタイプで、買うと $1,000 とかしますので、家電大国ニッポンから行った私には納得のいくものではありません。日本でいうところの冷風機程度の風しか出ませんし、音はうるさいですし、窓から景色を奪いますし… すみません。言い過ぎました。

身体に優しいそよ風のような冷風、セミの鳴き声の代わりに楽しめる音、その上に窓から入る直射日光をさえぎってくれます。

…と、訂正させていただきます。 m(_ _)m

確かに休みの日など日中家の中にいると暑いですが、それも数時間の話。その時間帯は外にでて日陰になっているオープンカフェでコーヒーを何杯もおかわりして読書です。やはり日本語の活字が恋しくなりますのでちょうどいいです。

ところでニューヨークにはセントラルパークって大きな公園があり(ご存知ですよね・笑)、ここを日常生活に取り入れるつもりで公園近くのアパートに決めた私でしたが、3年の間に片手で足りる程度しか行きませんでした。

セントラルパーク、当時はすごく怖いところでした。
一人で行くところではありませんでした。

セントラルパークで遊ぶ夏の計画がたくさんあったのに、どれも叶いませんでした。
残念。

2007年7月30日

英語で話すとき

海外で英語を学ぶ(語学留学をする)ことについて、夢見るだけではなくて、現実を知った上でご自身の進路を決めていただきたいという気持ちで、海外生活の実情を書き進めておりますが、海外に住まないと(留学しないと)身につかない重要なことがあります。

それは話し方です。

英語圏の人たちの話し方は、見出しや結論を先に述べ、その意味を後から補足するように話します。
例えば...
「とても嬉しかったよ。私の誕生日にこんなにもたくさんの友達が集まってくれて。しかも雨の日に。」

それを一般的な日本人が言うと、こうなるのではないでしょうか?
「雨の中、私の誕生日にこんなにもたくさんの友達が集まってくれて、とても嬉しかったよ」

私たち日本人は後者で考える頭になっていますから、話を途中まで聞いて結論を察することが得意です。別の言い方をすると私たちは結論をはっきり言うと角が立ちそうな場合に、あえて結論をぼかすところがあり、聞いている側が意味を察して受け取り、会話が成立することがあります。

これは英語圏ではあまり見られないことです。(全くないわけではありません)

日本で暮らす外国人はこれを理解すべきだと思いますが、日本人が海外に出た場合、その国流を身につけなくてはなりません。実際に海外で生活すると(留学すると)それを体得することができ、駅前留学との違いはそこにあると思います。

私は社会人としての人格を形成する時期に5年弱の時間を英語圏で過ごしたせいか、まず見出しや結論を先に述べる癖がついてしまい、帰国後上司によくそこを指摘され注意を受けました。

日本で営業系の仕事をする場合、「無理だ」ということを伝えるにも「○○でして、難しいです」と言ったほうが角が立ちません。しかし、英語では「無理=no can do」と「難しい=difficult」は別のニュアンスなので、大体私はまず「無理です」といって理由を聞いてもらう間もなく取引先を怒らせました。そして上司にも怒られました。キツイ印象になるみたいでした。

これを日本流に直すのは結構時間が掛かりました。
...というか、今でもたまにですが自覚症状があるときがあります。(笑)

2007年7月29日

MOTTAINAI

私が結構好きなルー大柴。
MOTTAINAI でブレイク中です。

個人的にですけど、これすげえなあ!と思ったのは、「もったいない」をローマ字で綴ったことです。
つまり国際社会への提案なんですねぇ。

実はアメリカにもオーストラリアにも「もったいない」に該当する概念、言葉がないのです。
たぶん他の国にもないと思うのですが住んだことがないので明言できません。

英語には save という言葉があります。
これは「貯める」というニュアンスであって、「もったいない」ではありません。
そこで、地球温暖化による環境問題に多くの先進国の人間が興味を持ち出した今、「MOTTAINAI」として日本古来の文化を国際社会に紹介していこうという真意がある...と私は思いました。

英語のキャンペーンでこういうのを見たことがあります。
Save the earth.
Save the planet.
「地球を守ろう」ということですね。

これは理想、大見出しであって、その内容にまで触れられていないから、具体性がなく私の心に響いてきません。
外国で生まれ育った人たちは、上のコピーから「じゃあ、私はこうしよう!」といった発想になるのかもしれませんが、私はこれ不得意です。

ところが「MOTTAINAI」は、われわれ日本人のとって大変具体的な意味を持つ言葉であって、モノを大切にしようと伝わるわけです。結果としてその積み重ねが地球を救うことに繋がる...

外国人にとっては逆の発想の「MOTTAINAI」。
ルー大柴、がんばれ!

2007年7月28日

ディスカッション

語学留学の授業内容が日本の英語の授業とほとんど同じだということは以前のエントリーで書かせていただきましたが、一番違うところはディスカッションの授業があることです。

先生がテーマを決めて、それについて生徒が自由に(勝手に)自分の意見を述べるわけです。

私はこの授業が大変嫌いでした。
理由1 クラスの半分は日本人=日本人同士で英語=こっぱずかしい
理由2 皆いつも同じことばっかり言っている=飽きる
理由3 内容が浅すぎる...

やはり、日本人同士が英語で話すのはいつまでも馴染めませんでした。片方がネイティヴのように話せて、チャンピオンとチャレンジャーの関係ならまだしも、私が通った学校はテストの成績でクラス分けしていたので、何だか中1の時の教科書の読み合わせのようなことになってしまうわけです。ちなみに私の中1の教科書は Ken Oka と Bill Brown でした。(笑)

テーマが何であれ、結局「あなたの国では...」「私の国では...」になってしまい、クラスの半数が日本人ですから、最終的に日本人vsその他になってしまうわけです。

だけど大してしゃべれない者の集まりで発展性のあるディスカッションができるはずもなく、そこに"だいたひかる"がいたら「ど~でもい~ですよ」連発です。

一番嫌だったのは「人によるけど」という前置き。
It depends on the person. って言うんですけど、1クラス中に何百回出てくるんだ!?
猫も杓子も「人によるけど」、何を聞いても「人によるけど」...

「あなたの国では...?」
「人によるけど、私は... あなたの国は?」
「人によるけど、私は...」

それを「うんうん」とうなずきながら聞いている先生の忍耐力の強さには毎度頭が下がりました。

一人日本人でボソボソ話す生徒がいました。
次から次へと言葉が出てくるのですが、ほとんど聞き取れないほどボソボソしゃべり、それがかえって他の日本人に「あいつすんげえ喋れんじゃん」という印象を与えました。
「何だかイタリア人の彼女と同棲してるらしいぞ」なんて噂でした。

このボソボソ君、ものすごく冷めた性格で、「しょーがねー」「意味がねー」「めんどくせー」を連発。
ディスカッションでも一貫してこういうものの言い方をしていました。
そして笑顔がない...

私なんかは「お前もうちょっと真面目にやれよ」と何度も言いそうになりましたが、自由の国アメリカはそれを彼の個性として受け入れるのです。その懐の深さスゴイです。

彼は英語で話すことに慣れていてやたらボソボソ話せましたが、今思えば何で俺たちと一緒のクラスだったのでしょうか?
文法的にむちゃくちゃ間違ったトークだったってことでしょうか?

まあいいや。人によるってことで。(笑)

2007年7月27日

男性の足組みは要注意です。

私の知る限り、日本人男性は普通に足を組みます。

何が目的で、どこへ行ったのか(たしかソーホー?)は忘れてしまいましたが、その日私は同じアパートの女性と地下鉄に乗っていました。

私のアパートからダウンタウンに行くには、セントラルパークウエストの下を走る路線で各駅停車のC電車を利用します。C電車は通勤、帰宅の時間帯以外は大抵空いていてほぼ座れます。

その日もガラガラではありませんでしたが、私たち2人分の席は充分に確保できました。

席に着くと私は当然のように足を組みます。

後日...

アパートの前でその彼女と会ったときにこう言われました。
「katz この間電車で足を組んでいたけど、あれはやめたほうが良いわ。」
「...?」
「ニューヨークで足を組んでいる男性はホモセクシャルよ。」
「リアリ~?」 ←松田聖子ばりに
「もう少し教えとくわ」
「ふむふむ」
「おしゃれな服装の男性も確率が高いわ」
「えぇ~?」
「ほら、あそこ。あれが典型的なアメリカの男性像よ。」
...と彼女が指差した先には、野球帽、ダボダボのタンクトップ、半ズボンを尻で履いた、普通と肥満の境目的な男性がいました。
「ニューヨークで彼氏を探すのは難しいわ。いい男はほとんどホモセクシャルなんだもの↓」

その日以来、私は数日間観察しました。
電車、バス、レストラン、ベンチ...

なるほど男性は思いっきり股を開いて座るのが流儀のようで、足首を他方のひざにのっけるところが男としてギリギリ譲歩できるところのようです。

キッチリと足を組んでいるのは、服装、ヘアスタイルがおしゃれなイケメンが多く、納得させられました。

観光でニューヨークに行く予定の男性の方、足を組んでいたら誘われちゃうかも。ご注意ください。
誘われたい方は...(笑)

2007年7月26日

キャラ

海外で見る日本人は昨日のエントリーで書いた交差点の件以前に実は簡単でした。
私がニューヨークにいた頃は...のことですけどね。

特に女性2人組は姉妹のように見えました。

同じような髪の毛、同じような服装、同じようなメイク...それでいて二人とも小奇麗でそつないところがそう思わせたのだと思います。
でもこれは、日本で暮らしてごく普通におしゃれに関心があればそうなるものですよね。
趣味、感性の合うもの同士が友達となり、一緒に行動するので、尚更です。
そんな日本の社会の小さな一部を切り取って海外の街に置いてみると姉妹(兄弟)のように見えるのだと思います。

ところが、特にニューヨークは小さな世界と称されるだけあって、肌の色、髪の毛の色やスタイル、服装のバリエーションが大変豊富で、そこで暮らし、その風景に慣れてしまうと、さっきすれ違った日本人2人組と、今すれ違おうとしている日本人2人組の違いを言えなくなってきます。

もちろんそんなニューヨークにも若者文化はあり、私がいた頃はヒップホップがメジャーになりつつあるころで、黒人の若者を中心に、そのファッションは白人の若者にも影響し始めていました。しかし、そのこととここでいう日本人のケースは別の話。...というか、レベルが違うのです。

不思議なもので、自分が流行を発信している(影響を受けている)人たちと同じ世代だと、一つの流れの中でも微妙な違いがわかるんですよね。若者文化を一括りにしてしまうのは「もう自分がその世代に属していない」ということを悟る時期なのでしょうね。

そういう意味で私が日本人2人組以外で兄弟(姉妹)に見えたのは、宗教的つながりの人たち。
信仰心の厚い人たちが、集団になって移動するときはみな兄弟、親子、親戚に見えました。

それくらいのレベルで日本人は同じでした。

思いおこせば...
私がニューヨークにいた頃の日本人ファッションはワンレン、ボディコン!
カジュアルよりの人はデニムにポロシャツ、プロケッズのスニーカー、部分パーマ... 師匠は浅野ゆう子さん! だっけかな?
男子は尾崎豊的、桃太郎的ヘアスタイルにアラレちゃん的メガネ、Tシャツの裾はジーパンにインして...という感じでした。スーツはいかり肩+ダボダボパンツ。スーツを着る系の人は当時の玉置浩二的ヘアスタイルが多かったです。メンズノンノが創刊されたりして、男子もおしゃれに気を使えといった風潮がありましたが、何をどうすればいいのかマニュアルをこなすのに精一杯で、自分らしさなんてものは全く意識の対象外でした。

私も尾崎豊的ヘアスタイルでしたが、ニューヨークでは日本人以外でそんなヘアスタイルの男子は見かけず、結局すぐに角刈りにしました。

ところで...
海外で何十年と暮らしている日本人女性は独自の価値観を築き上げていて、流行に左右されず、その人以外のなにものでもないスタイルの人が多いです。
そういう人だから日本が窮屈で飛び出したのか、暮らしているうちにそうなるのか...
これは疑問です。

2007年7月25日

交差点にて

ニューヨークの場合、街で日本人らしき人を見かけても、その人が観光客なのか住んでいるのかをすぐに判別する方法があります。

横断歩道で信号が「DON'T WALK」のとき、信号待ちしているのが観光客。
構わず渡ってしまうのが住んでいる人です。

ニューヨーカーは信号を待ちません。
市内最大級の交差点ではそれなりに車の往来があり、行きたくても行けない状況になりますから、さすがにそういう場面では信号待ちします。

しかし、大抵の交差点では歩行者用信号は無意味で、みんな目視確認をしつつ平気で渡ります。
観光できた人は慣れない街で気を使わなくてはならないことが多く、自分たちがそんなことで目立ってしまっていることにさえ気がつかないでしょうね。

そういう私もニューヨーカーが信号を守らないことに気がついたのは到着後3~4日経ってからのことです。それに気がつくと信号待ちをしている自分がやたら浮いた存在であることが気になりはじめ、最初の信号無視を犯しました。

これにはしばらく慣れず、渡りながらも何となく気持ちがソワソワしてどうにも落ち着きませんでした。

いつから慣れたのかは記憶がありませんが、渡米後3ヶ月でビザを取得するために一時帰国した際、平気で信号無視をして非常に浮いてしまっている自分に気付いたとき、「俺もニューヨーカーかぁ?」なんてにんまりしてしまいました。

2007年7月24日

英語の授業は大切です。

よく耳にすることですが、日本の学校で勉強する英語は無意味だと思っていらっしゃる方、結構多いのではないでしょうか?

英会話としては「どーなのよ?」と思うところはたくさんありますが、文法は大切です。
実際語学留学しても日本の授業と同じようなことがすべて英語で進められるだけですので、今の現場はわかりませんが、私が中学生、高校生だったころの英語の授業はレベルが高かったとさえ思います。

話す、コミュニケーションをとる場面を考えていただければわかっていただけると思いますが、日本であなたが外国人から声をかけられたとしましょう。

「私来るアメリカから昨日ばっかり。私わからない買うは切符。」
このアメリカ人が何を言いたいのか伝わっていますか?
勘の良い人でしたら、切符の買い方がわからないんだな...と受け取るでしょうが、大抵の人は「え?」と訊きなおすことでしょう。そして日本語が不自由なんだなと子供に話しかけるような日本語で教えてあげることでしょう。

一方...
「すみません。昨日アメリカから来たばかりで、切符の買い方がよくわからないのですが、京都まで新幹線で行くにはどこでどうやって切符を買えば良いでしょうか?」
こう訊かれたらどうですか?
ごく普通に日本人に対して説明するかのように教えてあげませんか?

単語の羅列とボディランゲージ、あとは度胸!みたいな英語の話し方をすると、用件が伝わったとしても相手からは一線引かれた扱いを受けることになりがちです。

留学、ロングステイなどで長期間海外に滞在する場合、やはり現地人の友人がいたほうが何かと心強いですし、一生の友人となるかもしれませんから、まずは文法的に正しい言葉で話すこと、これ重要です。

日本の中学、高校で6年間学んだ英語が身についていれば文法的には充分日常生活をこなしていけます。

2007年7月23日

ニックネームについて

大抵ロバートはボブと呼ばれます。
ボブと呼ばれたくないロバートは、自己紹介のときにロバートと呼んでくれといえば良いわけですが、欧米文化圏以外の国の人は何とでも好きなようにニックネームを自分で決めることができます。

香港の人はちょっと前までイギリスの統治下にありましたから、私たちと同じような顔つきの人がアンドリューとか英語名を持っておりました。(というか今でも持っているものと思います)

私の katz というニックネームはアメリカにいたときに自分で決めたものです。

これはユダヤのかなりメジャーな苗字です。
最初は katsu だったのですが、アメリカ人に自己紹介して「スペルは?」と訊かれた場合、katsu と答えると「カツウ」と呼ばれることになり、「ツ」にイントネーションがつきます。
そして私は誰かに呼ばれるたびに「カツウ」とちゃうわ!と鼻につくようになり、何とかならないものかと思っておりました。

私は後にスタジオミュージシャンになるのですが、ニューヨークの音楽業界の裏方はユダヤ系の人がとても多く、私にきっかけをくれた人もユダヤでした。この人(プロデューサー)にはじめて会ったとき、私はいつも通り「カツです」と自己紹介し、彼はスペルを訊かずそのまま「カツ」(カにイントネーション)として受け入れてくれました。

ある日彼が何かの都合で私の名前を書く場面があり、「katz」と綴っていたのを発見しました。これは何だ?と思って尋ねてみると「ユダヤの苗字だ。よくあるメジャーな名前だ。」とのことでした。

彼が自分の周りに置いているスタッフも圧倒的にユダヤが多く、私もその一員だったので「ユダヤの苗字を持つ日本人」として覚えてもらいやすく、仲間の輪をひろげるのに好都合だと思い、以降は自ら「katz」と綴るようになりました。

そして「カツウ」と呼ばれることもなくなりました。

ところが最初のレコードのクレジットには「Katsu」と書かれておりました。
彼なりに気を使ってくれたのでしょうね。

2007年7月22日

ニューヨークの家賃

ニューヨーク州は広いです。
ニューヨークシティで仕事をしている平均的な妻子持ちサラリーマンは、電車やクルマで通勤し、マンハッタン近郊で暮らしています。

東京で仕事をする日本のサラリーマンと同じです。

日本からの留学生の場合、マンハッタン、クイーンズ、ブルックリンにアパートを借りるのがほとんどですが、これらは東京で言うなら23区内にあたります。特にマンハッタンは山手線の内側といっても良いでしょう。そう考えると当時のニューヨークの家賃は東京より安かったです。

しかし、私が帰国した後ニューヨークでは地上げが行われ、逆に東京はバブル崩壊で値下げとなりましたから、今は逆転しているかもしれません。

ところで、このニューヨークの地上げは何が目的で、誰が仕掛けたのでしょう?
目的は治安の向上、仕掛け人は当時の市長です。

私がいた頃のニューヨークはホームレスが街にあふれ、そこらじゅうに落書きがされていて...、まあそれがニューヨークのひとつの魅力でもあったわけですが、暮らしているものにとってはやはり安全でクリーンなほうが良いに決まってます。

そこで低所得者層がマンハッタンから追い出され、その手段として家賃の値上げが行われたわけです。アメリカといえば自由の国。そんなことが許されるのか?と思うかもしれませんが、アメリカ人が考える自由と日本人が考える自由は別物なのです。

これはアメリカで暮らさないとわからないことだと思いますので、そのへんはまた別のエントリーで書きたいと思います。

2007年7月21日

ニューヨークの物価を考える

今回はニューヨークの物価について書いてみます。

私が渡米した1989年、日本はバブル絶頂期!
東京は世界一物価が高いといわれていたような気がします。(定かじゃないです。ごめんなさい。)

私より一足先にニューヨークのシラキュース大学に留学した友人はこう言いました。
アメリカ、ヨーロッパに限っては都市部の物価は東京と変わらない。
○○は日本より物価が安く暮らしやすいなんてイメージは大きな間違いだ。

そして私は渡米後、彼の発言が正しかったことを知りました。

実際に生活してみると $1.00 は 100円 です。
これはソニーの故盛田昭夫氏がおっしゃっていたことそのままです。
氏は $1.00 は 100円 であるべきだと何かで書かれていらっしゃいました。

ところが当時の為替レートでは $1.00 は 120~125円 だったわけですから、私は 100円 の感覚で 120円 使っていたことになります。
恐ろしいことです... 20~25% も違うわけですから。

お金の出所が日本の場合、すべてのドル価格を日本円で計算して考えると思いますが、こういう人にとってニューヨークの物価はとても高いものになります。

日常の金銭感覚がドルに慣れて、ニューヨークでドルベースの収入を得るとき、やっと余計な計算をしなくても良くなります。また、そのドルベースの収入を日本円に換算し、自分が日本で得るべき収入の 20~25%増しであれば、日本の感覚で生活できるということができます。

私はニューヨーク以外のアメリカの都市部に行ったことすらありませんが、東京、大阪、名古屋でさほど物価が変わらないことを思えば、アメリカの場合もその程度の誤差と読んで良いと思います。ということは、日本円を持ち出してアメリカの都市部で生活しようとする人は為替レートが $1.00=100円 を下回らない限り自分の生活感覚より多くのお金が必要になると思ってください。

アメリカに限らず、これから生活しようとする外国の物価を確認する簡単な方法があります。
現地のマクドナルドの価格をネット検索してください。
そしてその金額を為替レートで日本円に直し、日本のマクドナルドと比べてみてください。

これはあくまでも生活費の類のことで、家賃は別です。
東京の家賃と、のどかな地方の家賃は違いますが、マクドナルドの価格は今のところ同じですからね。

よくテレビ番組で海外のスーパーマーケットに行って肉の安さとかに驚く場面を見ますが、あれを真に受けると計算が狂ってきます。一日3食スーパーで買った肉を食べる人以外は関係ない話だと思ってください。

2007年7月20日

日本語放送

はじめて見つけたときは腰を抜かすほど驚きました。
日本語のテレビ放送。
日曜日の23時から大河ドラマとニュースが放送されていました。
英語の字幕つきです!

何気にチャンネルを回していたら(リモコン押すだけですけど)武士の姿が...
何じゃこれ?
え~っ!日本語じゃん!
翌日から毎日23時になるとそのチャンネルにセットしましたが、どうやら毎日ではないようで...、結局毎週日曜であることがわかりました。
渡米前にはNHKを見なかった私ですが、在米中にはどっぷりと大河ドラマにはまりました。

ある日の朝、何気にチャンネルを回していたら(リモコン押すだけですけど...ってしつこい?)フジテレビの見覚えのあるアナウンサーが...
え~っ!
月~金 7時~9時 フジテレビが日本語放送を流しておりました。
1時間ニュース、1時間ドラマやバラエティとなっており、もちろんこれを見るのは私の日課となりました。

さらに驚いたのはニューヨークにたくさんの日系企業があること。
番組のスポンサーでCMが流れるわけですけど、こんなに身近に日本があったのか...と大変驚きました。
別のエントリーで書きましたが、この頃は「海外生活自分だけ」みたいな感覚がありましたら。

余談ですが、後にこのフジテレビのスポンサー「レストラン日本」のCMソングを手がけることになるとはその頃には思いもしませんでした。

それから、書いて良いのかよくわかりませんが...
東京ビデオというレンタルビデオ店があり、日本で放送される番組を録画したものを貸し出していました。完全に違法だと思いますが、おそらくニューヨークだけじゃなく、日本人がそこそこ生活している都会にはどこにでもあったのでしょうね。そういえば田村正和さん主演のニューヨーク恋物語というドラマでも東京ビデオと思われるレンタルビデオ店のシーンがありました。

今はロケーションフリーといってリアルタイムで日本のテレビ番組が見れるそうですけど、そんなものがあったら留学生は私の頃よりも堕落した生活にはまりやすいと思います。インターネットもあるし。別の言い方をすると、今の留学生には強靭な意志が必要ってことですね。

2007年7月19日

海外生活 初級者編 食生活 その2

こちらにまとめ編をアップロードしてありますので、どうぞ♪

海外生活が慣れないうちはファーストフードに頼りがちです。

たとえばマクドナルドに行くと何を食べられるか知っていますし、値段も $10.00 を超えることはまずないので安心感が違います!

マクドナルドのほかには、バーガーキングをよく利用しました。

さて、これらのハンバーガー系ファーストフードのほかにニューヨーカーがよく利用するのは、屋台のホットドッグ、プレッツェル、デリのべーグル、そして断然多いのがピザです。

ピザ屋さんは街のいたるところで見ることができ、私も渡米直後からずっと気になる存在でした。

でも、注文の仕方がわからずお店の前で「やっぱりやめた」ということが何度かあり、初めてピザ屋さんを利用したのは6ヶ月ほど経ってからでした。

そのときは「今日こそピザを食べるぞ!」と覚悟を決めて出かけました。
...何て注文すればいいんだ?
...Can I have a piece of pizza, please? か?
...何か硬くないか?
...まいっか。今日こそ食べるんだ!

近所のピザ屋に入ると、注文待ちで並んでいる人達がいます。
私の前の南米系の青年が言いました。
"Give me a slice."

そっか☆

私の番が来ました。
"Give me a slice."
ヨッシャー!

こうして私は念願のチーズピザを初めて食べることができました。
若者のピザにトッピングは不要です!

結局私はこの日に食べたピザの美味さに完全にノックアウトされ、以降週に1度はピザを食べました。一番売れるのはプレーンなチーズピザなので、つまり一番回転率が良く、これを注文する限りかなり鮮度の高いものが食べられ、直径60~70センチはあろうかという特大サイズの1スライスは若い男子の空腹を満たすに十分なボリュームです。しかも値段は $1.50 程度だったと思います。当時の為替レートで200円くらいですから、最高です☆

ドリンクを注文しないのが硬派の流儀です。(笑)
他の客を見ていると、一人で来る客はドリンクは頼まず、席について2分くらいでピザをやっつけ、すぐに立ち去ります。家族やデートで来る客はドリンクも注文してそこそこ長居します。

ニューヨークのピザ屋さんは日本の牛丼屋さんのような存在で、なくなると困る人がたくさんいます。

2007年7月18日

不得意の理由

私たち日本人は、実はかなり英語ができますが、多くの人は苦手意識を持っており、その実力を封印してしまっています。

これはなぜでしょう?

私が個人的に感じることですが、中学、高校で勉強する英語の重要度が高すぎることがひとつの原因ではないでしょうか。理系の道に進もうが、文系の道に進もうが、受験という場面で英語の重要度は大変高く、学生は「勉強させられてしまう」現実があり、重要度が高いゆえ「間違ってはいけない」という感覚が知らず知らずのうちに身についてしまっていませんでしょうか?

それに、日本人の英語教師の発音... あれはどうなんでしょうか?
生徒も「こんな発音で通じるわけがない」と思いつつ、そういう発音で学んでいきます。

この2点だけで「苦手意識」は充分にでき上がるような気がします。

「間違ってはいけない」という潜在意識が「わからない」という気持ちに発展し、「発音が悪い」が話すことを億劫にしてしまいます。

英語に囲まれて1年も生活していると、日常生活の会話はほぼ「聞き取る」ことができるようになります。しかし、「聞くこと」と「話すこと」は別のものなので、「話す」ことができるようになるまでにはもう少々の時間が必要です。

大抵の人は、徐々に話せるようになるのではなく、スイッチがオンになったようにある日突然話しはじめます。
私もそうでした。

そのときの自分の気持ちを思い起こすと、勉強してわかってきたから話し始めたのではなく、「間違えたら恥ずかしい」とか「話せない」といったネガティブな気持ちが、雨雲が去るように去っていっただけでした。

もちろん間違いだらけだったと思いますが、ある程度は伝わったと実感しました。

でも!

学校の勉強も大切なのです。
次回はそのあたりのお話を...

2007年7月17日

外国人だという言い訳を捨てたところがスタートです。

海外旅行に行ったとき、あまりの日本人の多さに「海外気分台無しじゃん」と思ったことのある人、結構いらっしゃるのではないでしょうか。
どうやら私たち日本人の多くは脱日常目的で海外旅行をし、自分たちだけのバカンスを楽しみたいという気持ちがあるようです。
でも同じ気持ちで海外に出る日本人の多さには現地に行くまで気がつきません。

たとえば南国のビーチやホテルのプールサイドでビーチベッドに寝そべって、ローテーブルにはトロピカルなカクテルなんぞ置いて夕景を楽しむ...
そんな光景を想像するとき、その景色の中に日本人はいますか?

実際に行くと、この景色の中には日本人がたくさんいるものです。
日本語が飛び交い、そういう時に聞こえてくるのはなぜか大抵関西弁です。(笑)
旅行者の行動範囲はそれほどに限られたものであるということなんですね。

私もそういう感覚の一人でした。
海外で生活する。
自分は日本人で母国語は日本語。
英語はまだまだこれから。

実はこういう感覚って、海外で生活しようとするものにとっては「甘え」なんです。
例えばニューヨークで暮らす外国人はまさに星の数です。
私とクラスメイトだけではありません。
自分が望んで海外に行くわけですから、「日本人だから」という言い訳は何の説得力もありません。

外国で暮らしていくための最低限のルールは"その国の言葉を使うこと"であり、守るべきマナーは"他人に迷惑を掛けないこと"です。(というか、私はそう思います。)

実はこれ、アパートの住民を通して知り合った会計士に言われたことなんです。
あれこれ日本のことや私自身のことを訊かれ、当時の自分の英語力ではカバーできない領域に話が及び、「英語が母国語じゃないから上手く言えない」と言った私に彼はこう言いました。
「ニューヨークには大勢の外国人が暮らしている。みんな初めから上手く英語が話せたとは思わないけど、ここはアメリカなんだから英語を話さなくちゃいけない。そこから逃げちゃいけない。それがイヤなら自分の国に帰ればいい。外国人なんだろ?」

おっしゃるとおり!
あの時ズバッと切ってくれてよかったです。
アメリカは移民の国。歴史的にも言葉の壁をクリアできた者が次のステップに進めてきたことでしょう。いわば外国人が寄り集まってできた国で、自分は外国人だという感覚はとてもナンセンスなんですね。

2007年7月16日

ニューヨークのコンビニ~デリ~

当時ニューヨークでセブンイレブンを見たことがあります(見たことがあるような気がします)が、日本のコンビニとは違う種類のお店です。

日本のコンビニ的なお店はデリと言われ、前回のエントリーで書いたサンドイッチをはじめ、フルーツ、飲み物類、日用雑貨、たばこ、新聞、花などが売られています。

やはりスーパーマーケットに比べると若干値段が高く、多くが24時間営業です。

デリはオーナーファミリーと数名の従業員で運営され、オーナーファミリーは休みなく働きます。サンクスギビングもニューイヤーも関係なく働きます。デリのオーナーのほとんどは外国人で出稼ぎが多いときいたことがあります。がむしゃらに数年間働いて自分の国に帰るとか...

一部のデリにはビュッフェが備えつけてあり、サラダ、肉料理、巻き寿司などが並べられ、プラスチック容器に好きなものを詰めて買うこともできます。

これなら英語を話さなくてもいいし、メニューを見て「わからん!」と落ち込まなくてすみますので、初めて見つけたときは感動しました。そして何より巻き寿司が日本人の心をくすぐります。問題は味です↓
そして値段もそんなに安くなく、それなりに詰めるとコーヒーショップでサンドイッチが食べられるほどの額になりますので、私はその初めてのとき以外に2度くらいしか利用しませんでした。

映画で紙コップにふたがついた状態でコーヒーを飲む場面見たことありますか?
あのコーヒーはデリで買えますよ。

ドーナツやマフィンも売っていて、私はドーナツ派でした。
春、秋にはドーナツとコーヒーを買って通りのベンチで楽しみました。

デリに通っていると、オーナー、従業員の機嫌の良い日、悪い日がわかるようになります。機嫌の良い日は少々話もしますが、悪い日はこちらも気を使ってなるべくサッサとすませます。

そんなこんなでデリには親近感がわく要素があふれているわけですが、生活の基本はスーパーマーケットにしたほうが良いです。値段が違いますので。

2007年7月15日

海外生活 初級者編 食生活 その1

こちらにまとめ編をアップロードしてありますので、どうぞ♪

なにはともあれ、食べなくてはなりません。

スーパーマーケットの食材は概ね1パックがものすごい量で、特に肉は1か月分か?とも思えるものです。持って帰るのも大変です。そういうわけか、たいていのスーパーには配達係り(デリバリーパーソン)がいて、わずかなチップで配達してくれます。お年寄りにはありがたいサービスです。

私は食材を買って結局捨ててしまうのが嫌だったので、キャンベルの缶スープをいつも利用していました。具だくさん系、ドロっと系のものを好んでチョイスし、これを1合のご飯にかけて食べるのです。ちょうどいい量だし、安いし、簡単だし、最高でした!

でも生来パンが好きな私はサンドイッチもよく食べました。
サンドイッチは自分で作らずデリを利用しました。

~デリについてはまた今度書かせていただきます。

あちらでサンドイッチを注文するときは仕様を言ってあげなくてはなりません。
これは私が初めてサンドイッチを注文したときのやりとりです。

壁に貼られたメニューを見る。
何だかよくわかんないなあ...ここは無難にローストビーフといくか...
「ローストビーフサンドイッチください」
「どのパン?」
「えっ?」
「ヒーロー、ロール...」←種類をベラベラと
...何だよ、わかんないよ。...んなもん何でもいいんだけど。 そんじゃあ...
「大きいやつ」
「ヒーロー?」
「そう」
バゲットのハーフサイズくらいのものを取り出す。
お~っ!結構、いやかなりデカイじゃん。
「これはヒーローって言うんだ。マイフレンド。今度注文するときはヒーローって言えばいい。」
「ありがとう」
「日本人か?日本に行ったことあるよ。」
この一言が妙にうれしかったけど、うまく会話を盛り上げられません。
「へえ、そうなんだ」
「レタス?」
「はい」
「トマト?」
「はい」
「たまねぎ?」
「いいえ」
「マヨネーズ?」
「はい」
「塩コショウ?」
...ん? まあいいや。
「はい」
「ほかには?」
「結構です」

松嶋菜々子さんのコマーシャルみたいでしょ?

出来上がったサンドイッチを真ん中でサクっと切って、紙に巻いてくれます。
その紙にマジックで金額が書かれ、受け取った後レジで清算します。
ちなみにそのときのローストビーフサンドイッチは $5 ちょっとでした。
どうして覚えているかと言いますと...

そのサンドイッチ、めっぽう美味くて「今日はサンドイッチを食べよう!」と思い立ったとき、いつもこれを注文したからです。お昼に半分食べ、後の半分は夕食になります。700円くらいで2食食べられるので悪くありません。

観光の方はサンドイッチを持って、セントラルパークや川沿いの公園に行き、ベンチに腰掛けて食べると良い思い出になるのではないでしょうか。

では、ローストビーフサンドイッチの注文の仕方をご紹介します。

Can I have a roast beef sandwich, please.
そして、相手に質問される前に...
I would like it, lettuce, tomato, mayonnaise and salt&pepper, on a (hero).

お店によっては hero という呼び方をしないところもありますので、
(hero) の部分を、larger bread と置き換えれば良いでしょう。
多分「これでいいか?」と実物を見せてくれますから、よければ「Yes, please.」、大きすぎると思ったら「Something smaller, please.」で。

また、女性の場合は食べきれないかもしれませんので、roll をおすすめします。
roll はお店によって大きさがまちまちですが、どこのお店でも通用しますよ!

2007年7月14日

日常生活~生活用品をそろえる

アパート、銀行口座、電話を手に入れた私。

必要な生活用品をそろえなくてはなりません。
冷蔵庫は賃貸アパートの場合ほとんど備え付けとなっております。
洗濯機は住民がシェアするように洗濯場があって、基本的にはそこ。見に行って誰かが使っているときは外のコインランドリーに行きます。よって洗濯機は不要です。

とりあえず必要なものを書き上げていきます。
テレビ、掃除機、ラジカセ、なべ、食器類、ベッド...

んっ?
どこに行けば買えるんだ?
どこで買えば安いんだ?

ガイドブックにはそのような情報はありません。

やはりここは新聞か?と、外に出ます。
ニューヨークの歩道を歩くと、ゴミ箱、公衆電話なんかにまぎれてゴミ箱くらいの高さの箱のようなものが置いてあります。中には新聞が入っています。まあ新聞の自動販売機とでもいいましょうか。
それらをやり過ごして(笑)、デリで ヴィレッジヴォイス (やわらかめの新聞)を買いました。

「まずはテレビでしょう♪」と電器屋さんの広告をチェック...
「え~っ! 何この高いの!?」
日本では考えられないようなベーシックで何の色気もない製品ばかりなのに、値段がすごく高いのです。「こんなの買いたくないよ~っ!」

無いものは買えませんから、あるものの中から選ぶしかありません。
結局私が選んだのは、ソニーの21インチ、ステレオ音声のもので、確か $700.00 くらいでした。
その展示処分品を値切って買いました。安く抑えるために配達も頼みませんでした。
箱がなかったので、結構重いテレビを抱きかかえタクシーでアパートへ。
タクシーのいすはフワフワのスカスカなので、テレビを抱きかかえて座るとものすごく沈みました。
これは結構楽しかったです。

ニューヨークではほとんどの家にケーブルテレビが入っています。
ビルばっかりで、その上室内アンテナではテレビを見ないほうがマシなくらいにしか映りません。
なので、私もケーブルテレビを契約しました。

基本コースに、HBOとショータイム(だったかな?)を足しました。
ニューヨークでは強盗予防策としてテレビをつけたまま出かけることが多く、大活躍です。
寝ている時間以外はずっとついています。

基本的にいつもMTV。番組表を見て、見たい映画があればそのときだけは映画でした。

テレビで予想外の出費をしてしまったため、ほかのモノは安く済まさなくてはなりません。
かわいい雑貨屋があって、そこであれこれそろえたかったのですが、結局ウールワースという庶民の雑貨デパートで一通り揃え、ベッドは新聞に広告を出していたお店でシングルのマットのみ購入。
フローリングの床の上に直接マットを置いてすませました。

あのころインターネットがあったらどれだけ便利に賢く買い物ができたでしょう...

2007年7月13日

日常生活~電話がつながらない

当時は携帯電話はなかったと思います。
バブルの頃不動産屋さんが大きな携帯電話を持っていたなんて話も聞きますから、実際にはあったかもしれませんが、私などが日常生活を送っている環境ではまず出会える代物ではなく、とくにニューヨークでは見られませんでした。

自動車電話はそれなりに普及していたようですが、すごく高かったそうです。

そんなわけでアパートを決めて、銀行口座を手に入れた私は電話の申し込みをしました。
そのやりとりは後に起こる事件(?)に比べると何でもないことなので省略します。

私はいよいよ入居日を迎え、ギターとスーツケースを持ち、どうにも好きになれなかったホテルをチェックアウトしました。ホテル→アパートの移動は荷物が多かったのでタクシーを使いました。

ホテル前で大きな荷物を持った東洋人。
タクシードライバーから見ると明らかに空港行きです。
私の目の前にスッと現れたタクシー。
運転手はビッグチップを期待してか、サッとクルマから降りて私の荷物をトランクに入れてくれました。
「この人勘違いしてるよ。ヤバイなあ...」
タクシーに乗り込むとすぐにドライバーも荷積みを完了して運転席に戻りました。
私はアパートの住所を告げる...
やはり思っていたとおり理解できない表情。
もう一度アパートの住所を言います。
明らかに最初から言えよといった態度。

タクシーがアパートの前に到着しました。
私は運賃はわずかでしたが、多めのチップを渡しました。
すると、一気に表情が緩み車から降りてトランクの荷物をアパートの入口まで運んでくれました。
...そういうものなんやね。

さて、今回は電話の話なのでちょっと時計を進めます。

入居して数日後に電話が繋がることになっていました。
日本と同じでコネクタ式だったので、電話機を用意して、コネクタを挿してその日を待ちました。

その日がやってきました。
朝起きて受話器を上げてみる。
------------。
そっか、まだ早いしね。
10時に再度受話器を上げてみる。
------------。
あれ?
まあ、今日としか言われてないし夕方だって今日だしね。
17時にまた受話器を上げてみる。
------------。

だまされた~!

翌日、公衆電話からニューヨークテレフォンに電話。
目一杯の英語で「昨日繋がるはずの電話が繋がらない」と伝える。
相手は白人のオジサン的な話し方だ。
フランクだけどぶっきら棒みたいな...
「ベルが鳴らなかったか?」
「いいえ」(Never と答えた)
「鳴ったのか?」
「いいえ」(No と答えた)
「どういうことだ?ベルは鳴ったのか鳴っていないのか?」
「いいえ」(Never と答えた)
「お前の言っていることがわかんないよ。ever か never はっきりしてくれ!」
「?????」
辻褄が合っていないんだ...ということは ever が正解か?
「いいえ」(ever と答えた)
「そうか、ever なんだな。チリンと一瞬でも鳴らなかったか?」
「いいえ」(ever と答えた)
「everだと? お前の言ってることはサッパリわからん!」

どうしようもないと諦めた私は礼を言って電話を切った。
そしてアパートに帰ってガイドブックでニューヨークテレフォンの場所を調べ、すぐにバスに乗った。

ニューヨークテレフォンの受付に到着し、私は自分が電話で遊ばれていたことを知りました。
こちらに来てからの緊張の連続で知らず知らず溜め込んだストレスが一気に爆発し、怒りがこみ上げてきました。
なんとニューヨークテレフォンはストライキ中だったのです!

ワナワナと震える気持ちを押さえ、受付で用件を伝えました。
またここでも「ever」か「never」かという話に...(電話とは違う人ですが言うことは同じ)
「そんなことは知らん。とにかく電話を使えるようにしてくれ!」と私。
「じゃあ係りのものを見に行かせるよ。でもストライキ中だからなあ。」
「いつだ?」
「ストライキ中だから...」
「cdvfghんmj、。・d;blkmjにひbhぐhjげw;;@sおp」
「わかったよ」

おじさんはその場でどこかに電話してくれました。そしてこう言いました。
「明日の午前中だ」

私はアメリカ流というものをこのときに学んだような気がします。

アパートに帰るとすぐにブザーが。
「ニューヨークテレフォンです」

何だよ。やりゃあできんじゃん!

2007年7月12日

日常生活~銀行口座開設

アメリカでは銀行口座がないと生活できません。
家賃や公共料金をパーソナルチェック(小切手)で支払うのが一般的だからです。

日本人が渡米して最初に戸惑うのがこのパーソナルチェックだと思います。
慣れていないということはとにかく不安ですし、大抵郵送しますので何かあったときのことを思っても心配です。まあ、使っているうちに(生活しているうちに)慣れてきて、かえって便利にさえ思えてきます。

さて、私の場合当初の計画(というか目論見)ではアパートを借りて、学校を決め、入学許可証をもらってから銀行口座...と思っておりました。銀行口座を持つにはソーシャルセキュリティ(社会保障番号~国民背番号のようなもの~)が必要で、留学生の場合は学生番号がこれを兼ねています。

私の場合はパスポート以外の身分証は何もなかったので、銀行口座を持つためには入学許可証をもって行き、事情を説明するしかないと思っておりましたが、アパートを借りるのに予想外の出費となってしまい学校に納めるお金がなくなってしまいました。

なので、銀行口座を先に開設して親から送金してもらわないと学校選びもできない状態だったわけです。(というか自分の不手際でそうなってしまったわけです)

さて、困りました。
銀行側の条件を満たしていないのに上手く交渉しなくてはなりません。
もちろん英語はろくにできません。

私はサクセスストーリー系の映画の主人公たちの言動を思い起こし、自分を奮い立たせました。

よし。まずは考えてみよう...
話を聞いてもらわなくてはならないから、忙しい店舗に行くと軽く断られそう...
暇そうな店舗に行くと話しを聞いてくれすぎてダメといわれるかも...
じゃあここは、大きすぎず、小さすぎず、そこそこ人が並んでいる支店が良いだろう...
銀行は一番ATMが目に付くケミカルバンクが良かろう...
じゃあケミカルバンクで丁度よさそうな支店を探そう...
...なんだか銀行強盗みたいだ。

でも結局断られた後の作戦も考えておかなくてはならず、結局その場合人に頼るしかなく、アパートの住民でケミカルバンクに口座を持っている人にどこの支店で口座を開いたか訊いて、そこに行くことにした。

さあ、勝負だ!

受付にはちょっぴりぽっちゃりの黒人女性。
列ができている。
私の番だ。彼女が何といったかはわからなかったが用件を訊いているに決まっている。
「I would like to open my own account.」
「Open account?」
「Yes.」 ...そっかぁ。事前に調べてて自信あったのに、オープンアカウントで良かったのか↓

ある白人女性テラーの所に通される。
「オープンアカウントね?」
「学生になるんです。」(やべ。訊かれてないことを言ってる。)
「どこの?」
「まだ決めていません。」
「???」 表情が曇る... ヤバイ。
何やら調べています。というか、調べているように見えました。
「学生証がないと無理なのよ」
「そこを何とか...口座がないとお金が受け取れないから学校に払うお金がないんです」
「...。」
「アパートを借りるときにデポジットを2か月分取られて、もうお金がないんです。」
「パスポートはある?」
返事をするより先にカバンから取り出す。
パラパラと見る...
「どこの学校へ行くつもりなの?」
「ニューヨーク大学です」 (突発的に口から出た。)
するとテラーの表情が緩みました。
後から知ったことですが、ニューヨーク大学は学費が高めでお坊ちゃん学校のイメージらしく、それが功を奏したのでしょう... あるいは彼女自身がニューヨーク大学出身だったのかもしれません。
「そう。何を勉強するの?」
「英語です。」
彼女はしばらくパソコンをたたき、こう言いました。
「この書類に記入して」
「やったあ!これがアメリカだ!アメリカ万歳!日本とは違うぜぃ!」
「一つ約束して。学生になって学生証を手にしたら必ず私の所にもう一度来て。」
「OK 約束する。」

こうして私は無事銀行口座を開設し、外の公衆電話から日本を離れるとき以来の連絡を親に入れました。

しかし、私はこの親切なテラーとの約束を軽くぶっちぎりました。
この行為が最低のことで、アメリカでは最も軽蔑されるものだということを知ったのはずっと後のことでした。

2007年7月11日

日常生活のはじまり

ニューヨーク初日、無事ホテルに到着。
タクシー代を支払うため日本で両替してきた米ドルの出番です。
旅行慣れした方は良くご存知でしょうが、なるべく小額紙幣で行くほうが良いですね。
日本の銀行で両替してくれるパックになったものは使いにくいです。
もちろんそんなことは知らない私は、$50.00札を渡してお釣りを要求。
ガイドブックに書いてあった通りに計算して額を決めたのに、ブツブツと文句を言ってなかなかお釣りをよこさないドライバー。
言っていることがわかれば話のしようもありますが、私はサッパリわからないわけですから、彼が妥協するほかなく、最終的に私の言ったとおりのお釣りを受け取りました。
空港で乗るときには荷物をトランクに入れてくれたのに、降りたらトランクが空いていて、ドライバーは降ろしてくれる気がないようです。
仕方ないですね。

こうしてチェックインしたとき何時だったかは忘れましたが、午後の陽の高い時間でした。
初めての国際線は一睡もできず、ムチャクチャ疲れていたはずですが、それを越える極度の緊張により眠れそうにありません。
とりあえず外に出て、ブロードウェイ~コロンバスアベニューを散策。歩道にテーブルと椅子を並べたレストランがたくさんあります。憧れのオープンカフェ。

そうだ。何か食べよう。

外の席に座ると、ウエイトレスがやってきました。
メニューを見る... さっぱりわかりません↓

サンドイッチのセクションから一品とコーヒーを注文しました。何のサンドイッチだったのか、どんな味だったのか...全く覚えておりません。とにかくガイドブックの写真で見ていた光景の中に、自分が座っていることがエキサイティングでした。

お金を支払い、歩き始めたときにふと考えました。
今の食事代がチップ込みで $15.00... んっ? ということは日本円で...
ダメだ! ダメだ!
こんなことをしていたらすぐにお金がなくなってしまうし、これから自分がやりくりする中ではあり得ない高級レストランに入ってしまったんだ!(実はそうでもないが...)

ホテル代と今の食事代で $100.00 でしょ、タクシーでいくら払ったっけ?????

その後は何も楽しくない。
コロンバスアベニューは可愛いお店がたくさんあり、ウインドウショッピングも楽しいところですが、自分はこういうところで買物ができないんだ...と感じ、ひとしきり歩いた後ホテルに戻りました。

歩き疲れたせいか急に眠くなり寝ることに... zzzzz

目が覚めたのは夜中の3時。初めて体験する時差ぼけです。
今日やらなくてはならないことを考えるとまた激しい緊張が襲ってきて、もう眠れません。
仕方なく持って来たエレキギターを弾く...
隣の人に文句を言われたくないからなるべく小さな音で弾く...

すると外で誰かが大声で何か叫んでいます。
窓から見下ろすとニューススタンドのあたりで黒人が何かしています。

...なんで俺、こんなところに来てしまったんだろう。
こんなところで暮らしていけないよ。
今なら帰れる。またビデオ屋でアルバイトしよう。
いや。バイトの仲間は頑張れと見送ってくれたし、あそこには戻れない...

~そんなことを考えること数時間~

外が明るくなり、人が歩き始めました。

ヨシ!

私は今日しなくてはならないことがあります。
ニューススタンドに行ってニューヨークタイムス(新聞)を買い、アパートを探すのです。
新聞を買うのは簡単です。
気合を入れてニューススタンドへ。
この日は日曜日。
日曜版ニューヨークタイムスはあり得ない分厚さ。
アパート情報も充実しています。

私は新聞を買うとすぐに部屋に戻りました。
アパートの紹介欄を見つけ、ガイドブックで物件の位置を確認しながら検討します。
気になる物件が少々ありましたが、日曜日で休みの不動産屋が多いだろうから電話は翌日にしようと逃げる私。

なにしろ電話するには勇気が要ります。
でも、アパートへの入居が遅れれば遅れるほどホテル代がかさみます。
毎日 $100.00 も使っていては、すぐに所持金ゼロです。
そう思いながらも結局その日は電話に手を伸ばすことができませんでした。

翌日、月曜日。
昨夜も時差ぼけで夜中に目が覚め、ギターを弾く。
夜中なのに外ではパトカーのサイレンがけたたましく鳴り響いています。映画と同じ音。

10時になるのを待って電話の態勢。
~公衆電話は周りがざわざわしてきっと無理だ。少々高くてもホテルから掛けるべきだ。~
ここはひとつ勇気を振り絞って... ダイヤル!

そのとき言ったことは今でもはっきりと憶えています。
「ハロー アイアムルッキングアットニュースペーパー アイウォントゥーレントアンアパートメント」
「cvbんmdssg、gkbkじょ、lkもじw3jhygjjkぉ」←つまり聞き取れない...
「キャンナイビジットユアオフィス?」「ホエアアーユー?」
一応住所をメモりましたが、それがあってるのかいまいち自信がありません。

とにかく行ってみることに...

メモった場所に目当ての不動産屋さんはありました。
簡単な質問があり、「じゃあ案内します」と不動産屋の後継ぎが私に3軒見せて回ってくれました。
ニューヨークはとてもよくできた街で、アパート3軒を歩いて見て回れます。

そのうちの1軒に決めました。
「いつ入居できますか?」
「掃除をしますので3日後でいかがですか?」
私はあと3日もあのホテルにいるのは嫌だったけど、それ以上早くは無理だというので仕方なく了承する。
「あなたは外国人ですので、デポジット(敷金)を2倍の2か月分いただきたいのですが可能ですか?」

~デポジット2ヶ月、前家賃1ヶ月+αも支払うと持ち金がほぼなくなる。親からはさしあたってのお金をもらってきていて、銀行口座を開いた後当面の生活費を入金してもらうことになっていた。何とかならないか交渉したくてもうまく言えない。どうしよう...~

「OK。でもデポジットですよね。戻ってくるんですよね?」
「そうです。」

私は財布が空っぽになったせいもあるが、ひとつ前進した気分良い疲労感を伴ってホテルに帰った。
この日も時差ぼけで夜中に目が覚めてしまったが、昨夜までとは別の後悔に悩まされました。

「言いたいことが言えなくて生活していけるのか?」

2007年7月10日

日常生活...その前に

そもそも海外で暮らすには、それ以前にきっかけと準備がありますよね。
きっかけは人それぞれでしょうし、準備もそれなりにそれぞれだと思います。

私の場合、学校を日本で選んで初登校のときがっかりして一気にやる気をなくす...というパターンは避けたかったし、本当にニューヨークで自分は暮らしていけるのか?という心配もありましたので、まずはビザなしで滞在できる3ヵ月間遊びに...イヤイヤ下見に行き、アパートも決めてしまおうと思いました。

当時私は三軒茶屋のレンタルビデオ店でアルバイトしており、バイトの特権で新作以外は無料レンタルすることができましたので、毎日1本映画を借りて、「これ必要!」と思った字幕が出たら何度も巻き戻して俳優のセリフをメモりました。反復練習もしましたし「いきなり結構やれるんじゃないの?」なんて変な自信を持ってしまいました。

この勉強方法はおすすめできません。 こんな失敗をしました...
「摩天楼はバラ色に」を見ていたとき、マイケルJフォックスが言いました。 "気をつけます"
お~っ!絶対これは使う!っと巻き戻し... I will watch my staff. ふんふん...
ある日アパートの前で階下の女性に会いました。
彼女 「足音が気になるんだけどカーペット敷いていないの?」
私  「まだ買ってないです」(たどたどしい)
彼女 「○○に行けばリーズナブルなものがあるよ」
私  「今度行ってみるよ」(たどたどしい)
彼女 「それまでの間、歩くときにちょっと気を使ってもらえるかな?夜ね。」
ここで私は"あのとき憶えたセリフの使いどころだ!"
私  「I will watch my staff.」(自信満々!)
ところが彼女は露骨に顔を歪め「え?こいつ何言ってんの?」と言いたげ...
その時に「変なことをいいましたか?」と正直に訊けば教えてくれたかもしれません。
が、ある程度わかってきたときにはあれこれ訊くことに抵抗を感じませんでしたが、全然しゃべれなかったときはどうも人に訊くことが苦手でした。
その場はそのままやり過ごしました。

ずっと後になって、そこそこ聴く力がついてきた頃テレビで「摩天楼はバラ色に」を見ました。
例の場面で...
パトロン役の女性がマイケルに対して社内での自分の言動に気をつけなさいといったようなこと、つまり足許をすくわれないようにしなさいといったことを言いました。
それに対してマイケルは「I will watch my staff.」~スタッフには気をつけるよ~
と言っていたのです。
話の前後を考えずに、字幕だけで丸暗記...そりゃあダメですよね。

でもそれだけでは彼女があれほど顔を歪ませた理由にはならない気がして、考えてみたのですが...
「I will watch my staff.」といったつもりが「I will watch my stuff.」と受け取られていたらどうでしょう?
「部屋の中のモノが勝手に動いてうるさいんだね、きっと。よく見とくよ。」ってことです。

結局私は帰国するまでそのアパートで暮らし、彼女とも仲良くなりましたが、その件には触れませんでした。(笑)
後日談ですが、彼女は私の英語の成長振りを褒めてくれる例え話として、「あなたは来たばかりの頃、私が"which one..."って訊いてるのに、自信ありげに"Yes."って言ってたわ。」と言いました。
彼女にとってはかなり変なことがたくさんあったのだと思います。だから先述の件もそのうちの一つに過ぎなかったのでしょうね。

ところで、私は海外旅行の経験がなく、ニューヨークに行くと思い立ってからパスポート申請に行きました。
それなりに英語の勉強したし、学校でも英語の成績は悪くなかったし、何とかなるだろうと楽観的に飛び出した私。入国審査で完全に出鼻を挫かれました。というか、折られました。

ガイドブックにも訊かれることは書かれていたのに、最初の一言がさっぱり聞き取れず大パニックに...
「Sorry?」を連発、途中で別室に連れて行かれるんじゃないか?と不安になり半泣き状態↓

空港からホテルまでのタクシーは上手く乗れましたよ。
「星の王子ニューヨークへ行く」でメモってましたから。

2007年7月 9日

品格の問題

1992年9月にアメリカから帰国した私は同年11月旅行会社の現地駐在員としてシドニーにいました。

そのあたりの経緯についてはまた機会がありましたら書かせていただきますが、英語ができる日本人ということで決まったわけです。

自分でも英語については特に心配することがなかったので、あとはオーストラリアの生活をどれだけエンジョイできるか??ということばかりが気になっておりました。

初めての出勤日、10人あまりのオーストラリア人を前に自己紹介をしました。「すごいアメリカ訛りだ」と誰かがいいましたが、そこに悪意を感じなかったので気にしませんでした。

ある日同い年のオーストラリア男児とちょっとしたことで口論となり、そのとき彼がこういいました。
「俺はニューヨークサブウェイイングリッシュは理解できないんでね。」
その場では気にならなかったのですが、後から「ニューヨークサブウェイイングリッシュ」と言った彼の真意を考えるとただ事ではない気がしてきました。

そもそも私はオーストラリアで暮らし始めてからもアメリカ流(ニューヨーク流?)を通していました。
日本人が友人に会って「おうッ!」という場面...
オーストラリア人は「グダイ、マイ」(Good day, mate.)←日本人には馴染み薄ですよね。
私は「ワッツアップ、メン」
オーストラリア人にしてみれば、アメリカンスラングを使う日本人がとても奇妙で鼻についていたのでしょう。

社内で別のオージーとふざけていたとき、それを見ていた女子が「katzのしゃべり方はエディマーフィーそっくりだわ」...なんてこともありました。

結局私はアメリカで友人に囲まれ、その中で英語を勉強したために、カジュアルな...というか、ビジネスなどの緊張を伴う場では普通使わないような言葉遣いをしていたわけです。

日本で暮らす外国人の中には、彼女から日本語を習ったという人も珍しくなく、結構女性言葉だったりするじゃないですか?

オーストラリア人は基本的に古き佳きイギリス文化を継承している(ニュージーランドよりは砕けている)ので、ロイヤルな物腰、ジェントルな行動を評価し、品格を重視するところがあります。(私が感じただけかもしれません)

それ以降、人の話し方を注意して観察するようになりました。

さて、仲間とつるむのも日常、仕事も日常、はじめましての出会いがあるのも日常...
では、日常会話ってどこからどこまででしょうか?

次回はそんなことを書いてみます。

2007年7月 8日

遊ぶ暇はなかったです。

私の場合、22歳で渡米、ニューヨークで3年ちょっと暮らし、その後シドニーに赴任するために一時帰国したときは26歳だったわけですが、当時の自分の考え方や、生活態度を振り返ると、今の22~26歳の人たちとは大きなジェネレーションギャップがあり、つまり私たちの世代はもっと浮かれた毎日を過ごし、別の意味でその日暮らしだったし(フリーターという言葉が存在せず、就職しないでバイト生活を続ける者が現れ始めたのが私たちの世代)今の人たちのような堅実な気持ちを持った人は少なかったです。

なので、今の人たちが留学しようと決意する背景と、私たちの世代のそれとは大きく違うかもしれません。私たちの頃は留学生症候群なる言葉が生まれ、大学、短大をもうすぐ卒業だけどちょっと遊び足りない、まだ社会に出たくない...といった気持ちから安易に留学を選ぶ学生が多かったです。

もっとも、そういう気持ちで留学した人の多くは自分が思い描いた生活と現実とのギャップについていけず学校を辞めてしまったり、早々に切り上げて帰国しました。

何しろ語学留学ですら日本の学生生活とはかなり違う現実があり、逆切れしてしまいそうな宿題の量に遊ぶ暇などほとんどありませんし、クラスの半分は日本人。放課後外国人とカフェで語り合ったり、ショッピングに出かけたり...なんて世界はありません。英語が満足に使えない人たちが集まってくるクラスですから、仮にヨーロッパから来た生徒と話す機会があっても、冷静に考えると極めて幼稚な会話しかできていないので、楽しくないのです。たとえば、イタリアリラは桁数が多いのでチョコ1個が...じゃあフェラーリは何桁だ?... そんな会話を刺激的と感じるかつまらないと感じるかはその人次第だと思いますが、私は最後まで学校で友達を持つことはありませんでした。

もし留学を考えている人の中で、私の世代的な期待を膨らませている人はよ~く考え直したほうがいいかもしれません。1年外国で暮らして得るものはそれなりにあると思いますが、1年日本にいないことで失うものがあることを忘れないでください。そして、どれだけまじめに学校に通って宿題をこなしても、1年では英語を話せるようになれません。海外旅行で家族や友人をエスコートできるくらいにはなれますが、日常生活を難なくこなせるようになるには最低でも3年の全力疾走が必要です。

なんて、偉そうに書いてしまいましたが、実は私は宿題をしたことがありません。
同じアパートで暮らしていたミュージシャンとバンドを結成し、米語を学びました。学校に通いながら本気で音楽で食べていこうとしている人たちと一緒にバンド活動をすると遊ぶ暇など全くなく、宿題をする時間さえありません。当然学校では落ちこぼれです。結局"結果として英語が身につけば良いんだ"というひねくれた考え方を最後まで貫きましたが、後にそれが間違いだったことを知ります。オーストラリアに行ってから...

次回はそのお話でも。

2007年7月 7日

人の弱さを知る

前回予告した、学校の先生に怒られたこと。

今はどうかわかりませんが、私がニューヨークにいた1989年~1992年のアメリカは大変不景気で、道を歩いているとやたら人に話しかけられました。
話しかけられるというか、「クォーター(25セント)くれ」、「タバコくれ」、「トークン(バス・地下鉄用)くれ」、「火かしてくれ」などなど...簡単に言うと"たかられる"わけです。

銀行の入口には紙製のコーヒーカップ(?)を持った人が立っていて、入ろうとするとドアを開けてくれます。この人たちは銀行の社員ではありませんし、バイトでも、警備でもありません。愛想をふりまき、チップをもらおうとしているわけです。多くの人がカップに小銭を入れてあげていました。

そうかと思えば、「え~っ?それどうしたの?」と声を掛けたくなるような大怪我を足に負っていて、歩道にしゃがみこんで泣きまくっている人も色んな場所で見かけました。「怪我しているんだけど病院に行くお金がありません。どなたか恵んでください。」という意味です。この人たちのカップには大抵お金は入っていませんでした。

さて、昨日の記事で書いたように渡米早々に「ものをあげて難を逃れる」技を習得した私は、すれ違いざまのたかりにはこう対処しました。

「クォーターくれ」 ⇒ ズボンのポケットに入っている小銭を1枚あげました。
25セントコインは公衆電話、コインランドリーで必要なので、金額の問題以前にあげられません。コインランドリーには週1回のペースで行きましたが、その間に貯めておかなくてはならなかったからです。片手で目一杯握り締めていっても足りないこともあるくらいです。乾燥機にたくさんかかるからです。
なので、私はお釣りで25セントコインを受け取るとズボンの前ポッケ左側に入れ、それ以外のものは右のポケットに入れる知恵を身につけました。こうすることによって路上のたかりに対しても、立ち止まることなく前ポッケ右側に手を入れコインを一つ取り出しカップに入れてあげられるので、すれ違いざまの一瞬で取引が完了し、お互いに嫌な思いをせずにすむのです。
こんなこともありました。
右ポケットから取り出したコインは1セント。目視するわけではありませんが、カップに入れてあげるときに微妙に目に入ったコインは多分1セント。かまわずやり過ごすと、背後から「そりゃないよ...」(実際には Oh, man.)と明らかに肩を落としテンションがガタ落ちした人間の悲痛な叫びが聞こえました。これには思わずクスっと笑ってしまい、10歩ほど引き返してあと5セントあげました。そのとき Thank you! と言った彼の表情は今でもうっすらと憶えています。

「タバコくれ」 ⇒ 自分が明らかに吸っている場面ではあげました。火もつけてあげました。
自分が吸っていないときには立ち止まらず「I don't smoke.」とやり過ごしました。多分私の後ポッケ右側ではタバコらしき物体が存在を主張していたものと思いますが、それが問題に発展することはありませんでした。

「トークンくれ」 ⇒ すれ違いざまに「I can't.」でやり過ごしました。
当時のトークン1枚の値段は1ドル25セント。そんなものあげられるわけがありません。あつかましい!

「火をかしてくれ」 ⇒ 女性にはそうしてあげました。

ある日学校で先生がこういいました。
「道でコインをたかっている人たちに、コインあげたことある人いますか?」
積極的な私はもちろん手を挙げる!
すると...
「それはやってはいけないことです。」
「あなたたちは彼らの多くがどうしてホームレスになったか考えたことがありますか?」
...ない。もちろんない。
私は自己防衛策として技の数々を体得したのだから、彼らのことなど考えていない。
先生は続けました...
「彼らの多くは麻薬が原因でホームレスとなり、未だ麻薬を断ち切れないから仕事に就けないでいるのです」
...そうだったのか。
「あなたたちがあげたコインで彼らがサンドイッチを買っていると思いますか?」
「彼らに社会復帰してほしいと願う気持ちがあるならコインをあげるのはやめてください。」
「お腹を空かせて可愛そうと感じるならお金ではなくパンの1個でもあげてください」

ショックでした。
麻薬に手を出し、家を失ってもまだ麻薬が欲しいなんて...
人の弱さを知りました。

単純な私はその日の学校帰りから方針を改め、一切お金をあげないことにしたのは言うまでもないが、さすがにいつもパンを持ち歩く気にもなれなかった。

でも、銀行入口の"勝手