内宮の鎮座伝承
天照大神は、歴代の天皇によって皇居の中で祀られていました。
神勅の通りに神鏡と天皇が「同床共殿」(床を同じく、殿を共に)されていたわけです。
ところが、第10代崇神天皇(すじんてんのう)のころ、疫病が発生し、大勢の人が亡くなり、流民も出る事態となりました。
天候不順と食物の欠乏から起きたと考えられた疫病がきっかけとなり、天照大神は皇居の外で祀られることになりました。
「同床共殿は畏れ多い」とする神人分離の発想で、神鏡を三輪山に近い笠縫邑(かさぬいのむら)へ遷すことになたのです。
皇居では神鏡の模造が祀られ、神鏡は皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)=初代斎王により祀られました。
「古語拾遺」によると、このとき天叢雲剣も遷され、模造の神剣が皇居に残されたそうです。
二つの神器が伊勢に遷されたのは、第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の即位26年(約2000年前)のこと。
垂仁天皇の皇女で斎王を継がれた倭姫命(やまとひめのみこと)は、さらに良い宮地をもとめて、大和から伊賀、近江、美濃などを巡り、伊勢にたどり着きました。
「日本書紀」では、倭姫命は天照大神の教えによって、宇治の五十鈴川のほとりに、皇大神宮(内宮)を創建されたと伝えられています。



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