2008年6月12日

タバコにまつわる話 その3

タバコねた3回目で、今回はイニシャルも伏せて単に「友人」の話です。

タバコの箱の側面に「健康のため吸いすぎに注意しましょう。」的なことが書かれていますよね。
何だか今のタバコにはもっと消費者に直接的に健康被害を警告する内容になっていたと思いますが、このエントリーのネタ当時はそうなる前のことで、「健康のため吸いすぎに注意しましょう。」でした。

私たちは大学の学食で昼食を食べ終え、タバコを吸いながら薄い茶をすすっておりました。
大学は自由です。
1年生が灰皿を使えるなんて...
もし高校生が法的に問題なくタバコを吸える状況なら(大学1年生はどうなんだ?という話は置いといて...)、学食の灰皿を1年生が使えるなんてことはあり得ないことではないでしょうか?

今はあまり不健康なイメージのないエリッククラプトン(フィルコリンズがプロデュースをしてから急にソフィスティケイトされたイメージがあります)ですが、当時は一般の大学生にはあまり知られていない存在でしたし、当時のロッカーにありがちな不健康なイメージでした。
そのエリッククラプトンが、トレードマークのストラトキャスター(エレキギターの名称です)のペグ(弦を巻きつける部品)のところにタバコを挿し、そのままフィルタまで焼けてしまってギターに焦げ跡が着いているのがたまらなくカッコよく思っていた私は、自分のギターにも真似をしたことがありました。
ところが、ギターに使われた塗料の違いで、私のは「焦げ」というよりは「ヤニ」な感じになってしまい、慌てて雑巾で拭いたことがあります。(笑)
エリッククラプトンだけでなく、当時私があこがれていたミュージシャンたちは、とても短くなったタバコを持って雑誌などに登場することが多く、私の中では勝手に「ミュージシャンはかなり短くなるまでタバコを吸うもの」と決め付けいた部分があり、彼らの真似をして意味なくフィルタぎりぎりまで吸いました。

その学食の席には前回のエントリーで登場した Mくん も一緒で、彼もそんなミュージシャンたちの影響を受けてか、かなり短くなるまで吸っていました。

そこに同席していた、いわゆる普通の大学生だった「友人」は、そんな私たちを見てたまらなくなったのか、こう言いました。
友人 「ちょっと、あんたらさぁ、タバコ短くなるまで吸いすぎとちゃうの!?」
Mくん 「いやぁ、わりぃ、わりぃ。」
私  「もったいないしなぁ。」
友人 「身体に悪いし、やめときな。」
私  「あぁ、あのフィルタ近くには水銀が含まれてるっていう、あの話?」
友人 「違うさ!ちゃんとここに"健康のため吸いすぎにご注意ください"って書いてあるやん」
M、私 「...。」

私が友人に「それは吸いすぎ違いや」と突っ込みを入れることが出来たのは、それから5年以上経ってからのことでした。

2008年6月10日

タバコにまつわる話 その2

タバコねた2回目で、今回は Mくんの話です。

何十年も覚えている話はそんなにあるものではありませんよね。
今から20年以上前に友人が言った一言が今でも私に深く刻まれています。
今回はそのお話を。

Mくんとは学生時代に共にバンド活動をしていたのですが、メンバー4人の中でも特に一緒に過ごすことが多かった、簡単に言えば親友です。

同じ大学に進学した私たちはそれぞれがアパート一人暮らしで、原付を所有していた Mくんは私のアパートまで 20分弱の道のりをほぼ毎日通っていました。
彼は風呂なしアパートに住んでいたので、私のアパートに入浴しに来ていたのです。
毎晩曲作りやら、何やらで楽しく過ごしました。

ある日タバコと健康についてくだらない話をしていると、彼は突然ティッシュを一枚取り、タバコを吸い込み、ティッシュを口にあて、煙を吐きました。
「ほら、見てみ。」
「ああ?何?」
ティッシュには Mくんが煙を吐いた口の形にくっきりとニコチン(かな?)が着いていました。
「えげつないなぁ。こんなん吸ってんのか!?」という私に...
「ちゃう、ちゃう。これだけ毒が外へ出てるっちゅうこっちゃ。」
「...。」
「こんだけ外へ出て行くんやから、そんなに心配要らん。」

このとき私は Mくん に完全に遅れをとった気になりました。
とても私にできた発想ではなく、自分の頭の固さを思い知った事件でした。

そんな Mくん と先日久しぶりにランチを一緒にしたとき、彼はタバコを吸っていませんでした。
彼もやめているようです。

2008年6月 8日

タバコにまつわる話 その1

私は今は非喫煙者です。
今回から3回にわたって「タバコねた」のエントリーを書こうと思います。

今回は禁煙についてです。

大学生になってからタバコの常用を始めた私は、決してタバコの味が好きで吸っていたわけではなく、まわりのみんなが吸っていたから自分も吸ったという何とも意思もポリシーもない話です。
今の大学生の喫煙率はわかりませんが、たぶん私たちの時代のほうが高かったのではないかと思います。
たばこの値段も今より安かったですし。(多くの国産銘柄が180円だったかな?)

それはさておき...

22歳のころ、バイト仲間4人でレンタカーを借りて日光へ紅葉を見に出かけました。
そのときに高速道路でスピード違反で捕まったのです。
ドライバーは私でした。

罰金のことは気になりましたが、警察官が自分から言いませんでしたし、私もそれを聞いてせっかくの仲間とのドライブを険悪な雰囲気にしたくなかったので、あえて聞きませんでした。
おかげでその日は楽しく過ごせましたが...

スピード違反で捕まったことなど忘れきっていたころ、ポストに呼び出し状が届きました。
どこに行ったかは忘れましたが、ハガキに書かれたように出頭すると、私には4万数千円の罰金が科せられました。
貯金のないバイト学生には死活問題です!

罰金は値切って安くなるものでもなく、期日までに支払わなければなりませんから、私に出来ることはバイトの日数、時間を増やすことと、出て行くお金をセーブすること以外に思いつきませんでした。

そんなわけで、「タバコなんて吸っている場合じゃない」状況に追い込まれた私は、健康のためとかそういう理由ではなく、やめざるを得なかったわけです。
チョイスはありませんでした。
禁煙を始めて7日目くらいがイライラのピークでしたが、2週間にもなると、友人のタバコの煙が不快になり完全に吸いたいという気持ちが無くなりました。
こうして私の最初の禁煙は成功するしかなかったのですが、他人からきくほど大変なことではなかったため、「タバコなんかいつでもやめられる」という気持ちを持つようになり、アメリカに渡ってから喫煙を再開しました。

その後、禁煙→喫煙→禁煙を繰り返し、現在に至っております。
今は非喫煙者ですが、一生吸わないと決めたわけではありませんので、また口にする日が来るかもしれません。
ただ、タバコを買うのも面倒な時代になりましたら、吸おうかな...と思っても、行動を起こす前に1枚壁ができていて、もしかしたらこのまま吸わずに通しちゃうのかな?という気もしています。

2008年5月 2日

私のスタンド・バイ・ミー まとめ編

3回に分けて書いた記事ですが、ここにまとめておきます。


小学校5年のときだったと思います。
Oくんは成績優秀、運動神経抜群のクラスの人気者でした。

ある日私は同じクラスの男子からとんでもない計画が進行中であることを聞かされました。
Oくん他数名が自転車で松阪の三交百貨店へラーメンを食べに行くとか...

伊勢⇒松阪は25km前後の道のりです。
それを小学生が自転車で往復するなんて、大人の目から見ると絶対に阻止しなくてはならない危険行為です。

ですが、当人たちにしてみれば「アドベンチャー」なわけです。
何しろ誰が決めたのか、当時の事情は小学生、中学生が自分の学校区の外へ出るときは父兄同伴、塾などの例外なし!でしたから、友達同士で駅前の商店街に行くだけでビクビクしていましたから...
その計画を知った私はどうしても「アドベンチャー」に参加したくなり、Oくんに言いました。
「ボクも混ぜて!」

どうしてわざわざ松阪へラーメンを食べに行こうと計画したのか...
それは、伊勢ではあり得ない「安さ」でした。
残念ながらそれがいくらだったのか覚えておりません。
180円だったような...

これも不確かな話で恐縮ですが、東海地区では超メジャーの「スガキヤ」が三交百貨店の地下に出店していて、当時の伊勢にはなかったので、大きなサプライズだったのではないかと...
ちなみに今、スガキヤのラーメンは280円です。

それにしても、今考えると1杯180円のラーメンを「安っ!」と言った小学5年生のなんと生意気なことか。
当時の私の小遣いは1日50円。
4日間駄菓子屋通いを我慢しないと食べられない金額です。

結局アドベンチャーチームは5、6人になったと思います。
これだけの人数が絶対に親に知られないように一丸となって決行当日を迎えること自体がミラクルですが、実際に当日はやってきました。

天候にも恵まれ、朝早くに各々が100円玉数枚をポケットに入れて集合した私たちは、まず所持金を見せあい全員がラーメンを食べることができるか確認しました。
が、1人100円しか持っていなかった者がいたような気がします。
Oくんが「じゃあ足らん分はオレがおごったろ!」と言ったのを覚えています。

わずか10歳にして、経済観念は人それぞれなんですね。
180円のラーメンを食べに行く所持金、私は200円、慎重派は500円、無謀な100円...
そして私たちは列を作って松阪に向かいました。

旧国道23号線を北上した私たち。
宮川にかかる度会橋までは見慣れた景色で、多少の後ろめたさと、その何倍ものワクワク感で、表現しきれない自由に包まれていました。

ところが、度会橋を越えて度会郡に入ると、途端に後ろめたさの方が大きくなり始め、ペダルを漕ぐ足にも疲れが出始め、緊張感が増し、とても喉が渇きました。
私の所持金は200円。
ジュースを買う余裕はありません。

そのうちに皆無口になっていきました。

往路途中で、Oくんが缶ジュースを買って、全員で回し飲みしました。
残念ながら何を買ったか、おいしかったのか、全く憶えておりません。
そして、私たちはまた松阪目指してペダルを漕ぎはじめました。

国道脇の看板が私たちが松阪市に入ったことを知らせたころ、私はパンツの履き心地の悪さが気になりはじめました。
誰かが大声で言いました。
「パンツぴりぴりやぁ~」
皆が口々に言いました。
「うん。パンツぴりぴりやぁ~」
「あはははあはは!」
それからしばらくは「パンツぴりぴり」の大合唱になりました。
ながく自転車を漕ぎ続けてきたことで、パンツがズレてきたのですが、ある者は「パンツの生地が薄くなった」と言いました。
抜群のセンサーを持つおしりです。注射のときはよっぽど痛かったでしょうね。(笑)

ここまでの道のりはとてつもなく長く、途中でリタイヤを何度も考えましたが、
「パンツぴりぴり事件」のおかげでそこから三交百貨店まではイッキに進めました。

三交百貨店に到着すると、私たちは自転車を横並びに整列させ、ダッシュで地下へ。
Oくんが先頭になり、ラーメン屋に一直線です。
そこはカウンター席のみのこじんまりとしたスペースで、カウンター向こうにはおじいさん、おばあさんが一人ずついました。
私たちは全員が同時に席に着くことができました。
「ラーメン!」
「ボクも!」「ボクも!」...

味は覚えていませんが、
「むちゃくちゃ美味しいラーメン」と聞いていただけに「普通だな」と思った記憶があります。
 参) 当時の私のラーメンの絶対的価値基準は サッポロ一番塩ラーメン でした。

それよりも私の頭からは校則違反を犯しているという緊張感が取れることがなく、「早くしなきゃ」「早く食べなきゃ」と、とにかくそこから早く立ち去ることばかり考え、ラーメンを味わう余裕などなかった気がします。
何しろ子供たちだけで学校区の外へ出ることが禁じられていた中、松阪までやってきて、ラーメンを食べているのですから、見つかったときの罰は、全校集会で校長から「こんなことがありました」と発表され、一日中廊下に立たされ、体育の授業も見学させられ、給食はおあずけで... 考えられる罰のすべてが抱き合わせになって課せられる気がしていました。

すると...

誰かが言いました。
「ボクらこのラーメンを食べに伊勢からきたんやんな」

私は一瞬固まりました。
このまま捕まって、警察に連れて行かれるのでは...と、表現しきれない暗黒世界に一瞬でトリップしていました。

おばあちゃんは...
「え~っ!?」
「ちょっと、ちょっと、この子らここのラーメン食べに伊勢から来たんやって!」
客らしき別のおばさんがこの話に便乗し、
「え~っ!? 何とな!? 子供らだけで来たんかな?」
「そう」
「どうやって来たんやな? 電車かな?」
「ううん。自転車で来たんや」


やめろ、やめろ、やめてくれ~っ!


「そうかな。気つけて帰らないかんな。」
というおばあさんの一言で、私は暗黒世界から戻ってきました。
おばあさんの表情はやさしく、私を安心させるに充分でした。

ラーメンを食べ終えた私たちはすぐに自転車に乗り...
そこで誰かが言いました。
「松阪公園へ行ってみよか?」
学校の遠足で行った、城跡のことです。
私はモーレツに反対しました。
親に何も言わずに出てきたので、暗くなる前に帰りたかったのです。

それまで一つの目標に向かって一丸となってきた私たちは賛成派と反対派に分断されることになりました。

私は反対派でしたが、賛成派が過半数を占め、民主主義的には行かなくてはなりません。
何よりクラスのリーダー的存在であった Oくん が賛成派だったことが敗因でした。
私はイヤイヤムード全開で列の一番後ろをダラダラついていき、松阪公園に到着。
落ちていた木の枝と松ぼっくりで野球をはじめました。

しばらく遊んで、気がつくと時刻は 14時 をまわっていました。

往路に約4時間かかったことから、そろそろタイムリミットです。
「まだええやん!」というものもいましたが、今回は Oくん も「そろそろ帰ろう」派だったせいか、すんなりと帰ることに決定しました。

私たちはまた列をつくってペダルを漕ぎはじめました。
走りはじめてすぐにパンツに違和感を覚えました。
私は言いました。
「パンツぴりぴりやぁ~」
全員が口々に応えました。
「パンツぴりぴりやぁ~」

復路はとても短く感じました。
すぐに「伊勢市」の看板の下を通過し、度会橋を越えました。
「先生にみつかったらどうしよう...」
そんな私の心配をよそに、私たちはすんなり自分たちの学校区に戻りました。

そして...
「今日のことは絶対に内緒やで!」
私たちは固く約束をして別れました。

家に帰ると、私以外の家族が食卓を囲んでいて、いつもなら「遅い!」と父が怒る場面でしたが...
なぜかこの日は「早く食べろ」ですみました。

翌日から私たちはクラス内で「パンツぴりぴりやぁ~」を仲間の合言葉のように使いました。
そんなに長くは続きませんでしたけどね。

2008年4月29日

私のスタンド・バイ・ミー その3

こちらにまとめ編をアップロードしましたので、よろしければどうぞ。


前回の続きです。

誰かが「松阪公園へ行ってみよか?」と言い出したことで、それまで一つの目標に向かって一丸となってきた私たちは賛成派と反対派に分断されることになりました。

私は反対派でしたが、賛成派が過半数を占め、民主主義的には行かなくてはなりません。
何よりクラスのリーダー的存在であった Oくん が賛成派だったことが敗因でした。
私はイヤイヤムード全開で列の一番後ろをダラダラついていき、松阪公園に到着。
落ちていた木の枝と松ぼっくりで野球をはじめました。

しばらく遊んで、気がつくと時刻は 14時 をまわっていました。

往路に約4時間かかったことから、そろそろタイムリミットです。
「まだええやん!」というものもいましたが、今回は Oくん も「そろそろ帰ろう」派だったせいか、すんなりと帰ることに決定しました。

私たちはまた列をつくってペダルを漕ぎはじめました。
走りはじめてすぐにパンツに違和感を覚えました。
私は言いました。
「パンツぴりぴりやぁ~」
全員が口々に応えました。
「パンツぴりぴりやぁ~」

復路はとても短く感じました。
すぐに「伊勢市」の看板の下を通過し、度会橋を越えました。
「先生にみつかったらどうしよう...」
そんな私の心配をよそに、私たちはすんなり自分たちの学校区に戻りました。

そして...
「今日のことは絶対に内緒やで!」
私たちは固く約束をして別れました。

家に帰ると、私以外の家族が食卓を囲んでいて、いつもなら「遅い!」と父が怒る場面でしたが...
なぜかこの日は「早く食べろ」ですみました。

翌日から私たちはクラス内で「パンツぴりぴりやぁ~」を仲間の合言葉のように使いました。
そんなに長くは続きませんでしたけどね。

2008年4月23日

私のスタンド・バイ・ミー その2

こちらにまとめ編をアップロードしましたので、よろしければどうぞ。


前回の続きです。

わずか10歳にして、経済観念は人それぞれなんですね。
180円のラーメンを食べに行く所持金、私は200円、慎重派は500円、無謀な100円...

往路途中で、Oくんが缶ジュースを買って、全員で回し飲みしました。
残念ながら何を買ったか、おいしかったのか、全く憶えておりません。
そして、私たちはまた松阪目指してペダルを漕ぎはじめました。

国道脇の看板が私たちが松阪市に入ったことを知らせたころ、私はパンツの履き心地の悪さが気になりはじめました。
誰かが大声で言いました。
「パンツぴりぴりやぁ~」
皆が口々に言いました。
「うん。パンツぴりぴりやぁ~」
「あはははあはは!」
それからしばらくは「パンツぴりぴり」の大合唱になりました。
ながく自転車を漕ぎ続けてきたことで、パンツがズレてきたのですが、ある者は「パンツの生地が薄くなった」と言いました。
抜群のセンサーを持つおしりです。注射のときはよっぽど痛かったでしょうね。(笑)

ここまでの道のりはとてつもなく長く、途中でリタイヤを何度も考えましたが、
「パンツぴりぴり事件」のおかげでそこから三交百貨店まではイッキに進めました。

三交百貨店に到着すると、私たちは自転車を横並びに整列させ、ダッシュで地下へ。
Oくんが先頭になり、ラーメン屋に一直線です。
そこはカウンター席のみのこじんまりとしたスペースで、カウンター向こうにはおじいさん、おばあさんが一人ずついました。
私たちは全員が同時に席に着くことができました。
「ラーメン!」
「ボクも!」「ボクも!」...

味は覚えていませんが、
「むちゃくちゃ美味しいラーメン」と聞いていただけに「普通だな」と思った記憶があります。

それよりも私の頭からは校則違反を犯しているという緊張感が取れることがなく、「早くしなきゃ」「早く食べなきゃ」と、とにかくそこから早く立ち去ることばかり考え、ラーメンを味わう余裕などなかった気がします。
何しろ子供たちだけで学校区の外へ出ることが禁じられていた中、松阪までやってきて、ラーメンを食べているのですから、見つかったときの罰は、全校集会で校長から「こんなことがありました」と発表され、一日中廊下に立たされ、体育の授業も見学させられ、給食はおあずけで... 考えられることのすべてが抱き合わせになって課せられる気がしていました。

すると...

誰かが言いました。
「ボクらこのラーメンを食べに伊勢からきたんやんな」

私は一瞬固まりました。
このまま捕まって、警察に連れて行かれるのでは...と、表現しきれない暗黒世界に一瞬でトリップしていました。

おばあちゃんは...
「え~っ!?」
「ちょっと、ちょっと、この子らここのラーメン食べに伊勢から来たんやって!」
客らしき別のおばさんがこの話に便乗し、
「え~っ!? 何とな!? 子供らだけで来たんかな?」
「そう」
「どうやって来たんやな? 電車かな?」
「ううん。自転車で来たんや」


やめろ、やめろ、やめてくれ~っ!


「そうかな。気つけて帰らないかんな。」
というおばあさんの一言で、私は暗黒世界から戻ってきました。
おばあさんの表情はやさしく、私を安心させるに充分でした。

ラーメンを食べ終えた私たちはすぐに自転車に乗り...
そこで誰かが言いました。
「松阪公園へ行ってみよか?」
学校の遠足で行った、城跡のことです。
私はモーレツに反対しました。
親に何も言わずに出てきたので、暗くなる前に帰りたかったのです。

続きは次回。

2008年4月21日

私のスタンド・バイ・ミー その1

こちらにまとめ編をアップロードしましたので、よろしければどうぞ。


小学校5年のときだったと思います。
Oくんは成績優秀、運動神経抜群のクラスの人気者でした。

ある日私は同じクラスの男子からとんでもない計画が進行中であることを聞かされました。
Oくん他数名が自転車で松阪の三交百貨店へラーメンを食べに行くとか...

伊勢⇒松阪は25km前後の道のりです。
それを小学生が自転車で往復するなんて、大人の目から見ると絶対に阻止しなくてはならない危険行為です。

ですが、当人たちにしてみれば「アドベンチャー」なわけです。
何しろ誰が決めたのか、小学生、中学生が自分の学校区の外へ出るときは父兄同伴、塾などの例外なし!でしたから、友達同士で駅前の商店街に行くだけでビクビクしていましたから...
その計画を知った私はどうしても「アドベンチャー」に参加したくなり、Oくんに言いました。
「ボクも混ぜて!」

どうしてわざわざ松阪へラーメンを食べに行こうと計画したのか...
それは、伊勢ではあり得ない「安さ」でした。
残念ながらそれがいくらだったのか覚えておりません。
180円だったような...

これも不確かな話で恐縮ですが、東海地区では超メジャーの「スガキヤ」が三交百貨店の地下に出店していて、当時の伊勢にはなかったので、大きなサプライズだったのではないかと...
ちなみに今、スガキヤのラーメンは280円です。

それにしても、今考えると1杯180円のラーメンを「安っ!」と言った小学5年生のなんと生意気なことか。
当時の私の小遣いは1日50円。
4日間駄菓子屋通いを我慢しないと食べられない金額です。

結局アドベンチャーチームは5、6人になったと思います。
これだけの人数が絶対に親に知られないように一丸となって決行当日を迎えること自体がミラクルですが、実際に当日はやってきました。

天候にも恵まれ、朝早くに各々が100円玉数枚をポケットに入れて集合した私たちは、まず所持金を見せあい全員がラーメンを食べることができるか確認しました。
が、1人100円しか持っていなかった者がいたような気がします。
Oくんが「じゃあ足らん分はオレがおごったろ!」と言ったのを覚えています。

そして私たちは列を作って松阪に向かいました。

旧国道23号線を北上した私たち。
宮川にかかる度会橋までは見慣れた景色で、多少の後ろめたさと、その何倍ものワクワク感で、表現しきれない自由に包まれていました。

ところが、度会橋を越えて度会郡に入ると、途端に後ろめたさの方が大きくなり始め、ペダルを漕ぐ足にも疲れが出始め、緊張感が増し、とても喉が渇きました。
私の所持金は200円。
ジュースを買う余裕はありません。

そのうちに皆無口になっていきました。

次回につづく...