2008年5月30日

近頃話題の主婦の年収について

このところ、新聞やテレビで「主婦の労働を賃金計算したらいくらの年収になるか?」という研究を... どこかの誰かが発表したとかで、話題になっております。
その金額は 1,200万円 だそうです。

世のサラリーマンの感想はマチマチのようですが、算出方法を見れば納得の数字だと思います。
主婦業のあれこれを専門職の人に任せた場合の金額で足し算したんですって。

で、日本の主婦に「自分で自分の年収を決めるとしたらいくら?」という街角インタビューをとっているニュース番組がありました。
平均で 550万円 だったかな?

一日の睡眠時間を仮に6時間として、残りの18時間すべてを主婦という仕事に携わっていると考えると... 1年間で...
18時間 x 365日 = 6,570時間
で、それぞれの年収から時間給を計算してみますと...
1,200万円の場合 : 1,826円
550万円の場合 : 837円
と、なります。

これを完全に数学として考えますと...
時間給 836円 以下のパート、アルバイトに出るということは、自分を安売りしているってことでしょうか。
時間給 650円 のパートに出るってことは、時間給 837円 の主婦業を休んでいくわけですから「1時間あたり 187円 の損」をしていることになります。

もちろん、主婦業をしていても時間給 837円 の給与を貰えるわけではありませんから、ここで書いた文字通りにことが成立する話ではないわけですが、パート、アルバイトを選択する際のひとつの目安ににはなるのではないでしょうか?

2008年5月18日

加護さん復帰って?

元モーニング娘。の加護さんが復帰会見をしたことで、いろんな意見が述べられているのは不思議なことと感じています。
私も便乗してその一人になってみたいと思います。(笑)

私の意見は「へえ、そうなんだ。」で、それ以上の関心はありません。
つまんないですか?
元々ファンだったわけでもないので、窓の外を流れる景色の一部といいますか、会見が報じられて、それに意見する人たちがたくさんいて... ただそれだけです。

私は自分が18~20歳だったころを思い出してみると、加護さんの言動に非常に思い当たる節があるわけで、なんとなく彼女の心中がわかるといいますか、まあ喰ってかかってもしょうがないよねぇという感じです。

一方、私が不思議なのは、大人面してもっともな意見を述べる人たちにはそういう「若かりし頃」ってなかったんだろうか?ということです。
「自分は失敗したから...」という老婆心からかもしれませんが、当人にしてみればそんな話聞きたくないし、聞いているふりをしているだけだし、聞いてわかった気になっているだけだし、「自分たちの世界観」を大切にし、その中で青春を謳歌している人たちにとって大人の意見なんてオッパッピーじゃないですかね?
「若い頃それなりに道を外れた自分の言葉には耳を傾けてくれるんじゃないか」と思うのは、大人の勝手な思い込み。
若さってそういうものじゃなかったですか?
時代が変わっても青春のあり方は変わらない気がするのですが...。

もちろん私の周りにも若い頃から常識を備えていて、大人目線の人っていましたけど、結構少数派だったと思うのです。
大多数の友人は、世間から「いわゆる若者」とひとまとめにされても仕方ない共通した価値観、思想を持っていたと記憶しています。

「復帰早すぎ」という意見もあるようですが、あの頃の1年って短すぎて、同時に長すぎじゃなかったでしょうか?
無性に生き急いでなかったですか?
「今やらなきゃダメなんだ!」みたいな。
結局彼女は2年... ん~... 早すぎなんでしょうか?

どっちにしても、タバコ騒動でアイドルから降ろされたという事実は彼女が一生背負っていくこと。
それは彼女がいつ復帰しようと変わらないことです。
彼女なりに気持ちを入れ替えて、今復帰と決めたのなら、それでいいんじゃないかな?と思います。
「復帰した=超売れっ娘」ではなくて、自分と側近の関係者が加護さんに復帰を許した、ただそれだけのこと。
ただそれだけのことにメディアが群がっただけなんですから。
今後の彼女の活躍がどの程度のものになるかは、大人ならある程度の予想がつくはずです。

だから、それで良いんじゃないですか?

2008年5月 7日

いいとこなし?

少し前にテレビのニュースで見たのですが、就職氷河期に就職活動をした世代と、今の新入社員との間に大きな意識の違いがあるそうです。

就職氷河期世代は、成り行きで今の会社に勤めるようになった、今の会社以外にチョイスがなかったなどの社会的な背景により、今の仕事や会社に充実感を持って従事できている人が少ないようです。
一方、今の新入社員は売り手市場だったゆえにそれなりに本人が希望する職種や企業に就職できた人が多いようで、定年まで今の会社に勤めたいと考える傾向があるようです。

なるほど。
なんだか痛々しい話ですね。

時々会社の名前が書いてある社用車で反社会的な運転態度のものを見ることがあります。
ある意味、社用車は会社の広告塔なわけで、道を譲ってもらったりすると、その会社のイメージが良くなりませんか?
逆にいつも利用している会社の社用車が無理な割り込みをしてきたり、プップならしてきたり、ギロっと睨んできたりすると、「何だよーっ!」と思いませんか?

愛社精神というのはそういうところにも自然と表れるものだと思うのですが、嫌々勤める人がいると、本人にとっても会社にとっても不幸なことですね。

2008年5月 3日

どこまでも裸眼主義!

私はこれまでメガネもコンタクトレンズも使用したことがありません。
自慢しているわけではありませんよ。
本当に運が良いなあ...と、あと両親に感謝です。

小学5年生のころに一度視力が落ちたことがあり、確か両眼ともに 0.5 を下回ったのですが、運良くその頃から学校で「目の体操」なるものがはじまり、2限目が終わった休み時間に校内放送で、全校生徒が強制的に参加させられるようになりました。

すると、見る見るうちに視力は回復し、以降マックを購入する24歳まで 1.2~1.5 で推移しておりました。
あれは、目の体操のおかげ以外のなにものでもなく、今ではどうしてやらなくなってしまったのか?
わかりませんが、もったいないと思います。
あれで、視力が回復する児童がどれだけいることか...

アメリカでマッキントッシュに出会って、音楽で使ったのですが、もともと機械好きな私がマックにのめり込むのは簡単なことでした。
この頃目が疲れるなぁと感じつつ、まだ視力に影響が出ないうちにサラリーマンになり、福岡に転勤した頃がまさに日本の会社のパソコン導入花盛り期と重なりました。
どこの会社もこぞってワープロからパソコンに入れ替えていました。

私が勤めた会社でも毎日の売上げなどを東京本社へ電話回線で報告するシステムが導入され、過去にマックを所有していたというだけで福岡支店のコンピュータ担当になりました。
新しいことにトライするのは好きなほうなので、全然イヤイヤではなかったです。
ただ、私のパソコンに関する知識は他の社員から頭ひとつ出ていた程度で、特に DOS はさっぱりわからず...
ごめんなさい。話が違ってきちゃいましたね。

まあ、そんなことしているうちに夕方車の運転をしていて標識の文字が読めなくなってきました。
昼間は問題ないのですが、暗くなり始めると途端に見えなくなりました。

少しして健康診断のときに視力検査をして、その結果にゾッとすることになりました。
0.2 と 0.3 でした!

いけないことですが、免許証の更新時期がこの頃に重ならなかったので、私は放置しました。

その後東京に転勤し、免許の更新がやってきました。
あれって視力検査にパスしなかったら、出直しなんですよね?
それを知らずに出かけて行き...
全然見えないのですが、「見えません」とは言わず、あてずっぽでテンポ良く「右!」、「左!」なんてやってたら...
「はい。OK です。」
「...。」
この更新でゴールドになった私は、むこう5年間メガネを強要される心配がなくなりました。

この間にパソコンのモニタは液晶に進化しました。

私は思いました。
液晶で薄くなったモニタは、ブラウン管より省スペース。
机の奥のほうに置けば目とモニタの距離を多く取れる。
幸い自分には乱視の傾向は見られず、ただ遠くのもの、小さい文字が視力なりにしか見えないだけでした。
モニタをものすごく遠くに置いて仕事をすればだんだん見えるようになってくるのでは?

深海魚で目が退化してなくなった種がある...という話をテレビで聞きました。
人間も動物だし、生活環境に適応していくわけで、一日の多くをパソコンの前で過ごしていると、半径数十センチの中で生きていければいいと体が判断してしまう → 目の筋力が落ちる → 視力低下 となっているんじゃないかと思ったわけです。

私は自分の席で最も遠い位置にモニタを設置してみました。
すると、約1メートルの距離が取れました。

最初はモニタの小さな文字がさっぱり読めず、結局中腰で覗き込むような姿勢になりがちでしたが、それでも毎日続けていると段々読めるようになっていったのです。

そして健康診断がやってきました。
私の視力は 0.5 と 0.7 まで回復しました。

今では「一生裸眼で通してやる!」と勝手に決めてます。

2008年5月 2日

私のスタンド・バイ・ミー まとめ編

3回に分けて書いた記事ですが、ここにまとめておきます。


小学校5年のときだったと思います。
Oくんは成績優秀、運動神経抜群のクラスの人気者でした。

ある日私は同じクラスの男子からとんでもない計画が進行中であることを聞かされました。
Oくん他数名が自転車で松阪の三交百貨店へラーメンを食べに行くとか...

伊勢⇒松阪は25km前後の道のりです。
それを小学生が自転車で往復するなんて、大人の目から見ると絶対に阻止しなくてはならない危険行為です。

ですが、当人たちにしてみれば「アドベンチャー」なわけです。
何しろ誰が決めたのか、当時の事情は小学生、中学生が自分の学校区の外へ出るときは父兄同伴、塾などの例外なし!でしたから、友達同士で駅前の商店街に行くだけでビクビクしていましたから...
その計画を知った私はどうしても「アドベンチャー」に参加したくなり、Oくんに言いました。
「ボクも混ぜて!」

どうしてわざわざ松阪へラーメンを食べに行こうと計画したのか...
それは、伊勢ではあり得ない「安さ」でした。
残念ながらそれがいくらだったのか覚えておりません。
180円だったような...

これも不確かな話で恐縮ですが、東海地区では超メジャーの「スガキヤ」が三交百貨店の地下に出店していて、当時の伊勢にはなかったので、大きなサプライズだったのではないかと...
ちなみに今、スガキヤのラーメンは280円です。

それにしても、今考えると1杯180円のラーメンを「安っ!」と言った小学5年生のなんと生意気なことか。
当時の私の小遣いは1日50円。
4日間駄菓子屋通いを我慢しないと食べられない金額です。

結局アドベンチャーチームは5、6人になったと思います。
これだけの人数が絶対に親に知られないように一丸となって決行当日を迎えること自体がミラクルですが、実際に当日はやってきました。

天候にも恵まれ、朝早くに各々が100円玉数枚をポケットに入れて集合した私たちは、まず所持金を見せあい全員がラーメンを食べることができるか確認しました。
が、1人100円しか持っていなかった者がいたような気がします。
Oくんが「じゃあ足らん分はオレがおごったろ!」と言ったのを覚えています。

わずか10歳にして、経済観念は人それぞれなんですね。
180円のラーメンを食べに行く所持金、私は200円、慎重派は500円、無謀な100円...
そして私たちは列を作って松阪に向かいました。

旧国道23号線を北上した私たち。
宮川にかかる度会橋までは見慣れた景色で、多少の後ろめたさと、その何倍ものワクワク感で、表現しきれない自由に包まれていました。

ところが、度会橋を越えて度会郡に入ると、途端に後ろめたさの方が大きくなり始め、ペダルを漕ぐ足にも疲れが出始め、緊張感が増し、とても喉が渇きました。
私の所持金は200円。
ジュースを買う余裕はありません。

そのうちに皆無口になっていきました。

往路途中で、Oくんが缶ジュースを買って、全員で回し飲みしました。
残念ながら何を買ったか、おいしかったのか、全く憶えておりません。
そして、私たちはまた松阪目指してペダルを漕ぎはじめました。

国道脇の看板が私たちが松阪市に入ったことを知らせたころ、私はパンツの履き心地の悪さが気になりはじめました。
誰かが大声で言いました。
「パンツぴりぴりやぁ~」
皆が口々に言いました。
「うん。パンツぴりぴりやぁ~」
「あはははあはは!」
それからしばらくは「パンツぴりぴり」の大合唱になりました。
ながく自転車を漕ぎ続けてきたことで、パンツがズレてきたのですが、ある者は「パンツの生地が薄くなった」と言いました。
抜群のセンサーを持つおしりです。注射のときはよっぽど痛かったでしょうね。(笑)

ここまでの道のりはとてつもなく長く、途中でリタイヤを何度も考えましたが、
「パンツぴりぴり事件」のおかげでそこから三交百貨店まではイッキに進めました。

三交百貨店に到着すると、私たちは自転車を横並びに整列させ、ダッシュで地下へ。
Oくんが先頭になり、ラーメン屋に一直線です。
そこはカウンター席のみのこじんまりとしたスペースで、カウンター向こうにはおじいさん、おばあさんが一人ずついました。
私たちは全員が同時に席に着くことができました。
「ラーメン!」
「ボクも!」「ボクも!」...

味は覚えていませんが、
「むちゃくちゃ美味しいラーメン」と聞いていただけに「普通だな」と思った記憶があります。
 参) 当時の私のラーメンの絶対的価値基準は サッポロ一番塩ラーメン でした。

それよりも私の頭からは校則違反を犯しているという緊張感が取れることがなく、「早くしなきゃ」「早く食べなきゃ」と、とにかくそこから早く立ち去ることばかり考え、ラーメンを味わう余裕などなかった気がします。
何しろ子供たちだけで学校区の外へ出ることが禁じられていた中、松阪までやってきて、ラーメンを食べているのですから、見つかったときの罰は、全校集会で校長から「こんなことがありました」と発表され、一日中廊下に立たされ、体育の授業も見学させられ、給食はおあずけで... 考えられる罰のすべてが抱き合わせになって課せられる気がしていました。

すると...

誰かが言いました。
「ボクらこのラーメンを食べに伊勢からきたんやんな」

私は一瞬固まりました。
このまま捕まって、警察に連れて行かれるのでは...と、表現しきれない暗黒世界に一瞬でトリップしていました。

おばあちゃんは...
「え~っ!?」
「ちょっと、ちょっと、この子らここのラーメン食べに伊勢から来たんやって!」
客らしき別のおばさんがこの話に便乗し、
「え~っ!? 何とな!? 子供らだけで来たんかな?」
「そう」
「どうやって来たんやな? 電車かな?」
「ううん。自転車で来たんや」


やめろ、やめろ、やめてくれ~っ!


「そうかな。気つけて帰らないかんな。」
というおばあさんの一言で、私は暗黒世界から戻ってきました。
おばあさんの表情はやさしく、私を安心させるに充分でした。

ラーメンを食べ終えた私たちはすぐに自転車に乗り...
そこで誰かが言いました。
「松阪公園へ行ってみよか?」
学校の遠足で行った、城跡のことです。
私はモーレツに反対しました。
親に何も言わずに出てきたので、暗くなる前に帰りたかったのです。

それまで一つの目標に向かって一丸となってきた私たちは賛成派と反対派に分断されることになりました。

私は反対派でしたが、賛成派が過半数を占め、民主主義的には行かなくてはなりません。
何よりクラスのリーダー的存在であった Oくん が賛成派だったことが敗因でした。
私はイヤイヤムード全開で列の一番後ろをダラダラついていき、松阪公園に到着。
落ちていた木の枝と松ぼっくりで野球をはじめました。

しばらく遊んで、気がつくと時刻は 14時 をまわっていました。

往路に約4時間かかったことから、そろそろタイムリミットです。
「まだええやん!」というものもいましたが、今回は Oくん も「そろそろ帰ろう」派だったせいか、すんなりと帰ることに決定しました。

私たちはまた列をつくってペダルを漕ぎはじめました。
走りはじめてすぐにパンツに違和感を覚えました。
私は言いました。
「パンツぴりぴりやぁ~」
全員が口々に応えました。
「パンツぴりぴりやぁ~」

復路はとても短く感じました。
すぐに「伊勢市」の看板の下を通過し、度会橋を越えました。
「先生にみつかったらどうしよう...」
そんな私の心配をよそに、私たちはすんなり自分たちの学校区に戻りました。

そして...
「今日のことは絶対に内緒やで!」
私たちは固く約束をして別れました。

家に帰ると、私以外の家族が食卓を囲んでいて、いつもなら「遅い!」と父が怒る場面でしたが...
なぜかこの日は「早く食べろ」ですみました。

翌日から私たちはクラス内で「パンツぴりぴりやぁ~」を仲間の合言葉のように使いました。
そんなに長くは続きませんでしたけどね。